漫画「AKIRA」を読む
言わずもがな、2019年は大友克洋の漫画「AKIRA」の舞台となる年だ。
現実の2019年までに東京には新型爆弾は投下されなかったし、第三次世界大戦は勃発しなかったし、ネオ東京は建設されることもなかった。東京オリンピック開催だけはただ一つの例外。
普段、漫画は殆ど読まない僕だけれど、大友克洋の漫画だけはほぼ全作品所有している。
「童夢」はもちろん、「ショートピース」や「ハイウェイスター」、「気分はもう戦争」「彼女の想いで」などなど。大友氏と言えば、緻密な都市描写など、圧倒的な画力で有名で、僕もその画力に圧倒された人間の一人だが、僕が大友氏の漫画に惹かれたのはそれだけではなかった。
大友氏の漫画を知った当時、僕はアメリカ文学にハマっていたのだけれど、大友氏の漫画の登場人物のセリフの言い回しがまさにアメリカ文学的だったのだ。現に、大友氏もチャンドラーなどのアメリカのハードボイルド文学に影響されているとのこと。謎めいた言い回しに、他の漫画にはない知性を感じた。
しかしこの「AKIRA」、今読んでも十分読み応えがありますね。
東京に作られた巨大なクレーター、それを避けるように東京湾上に建設されたネオ東京の雑多な摩天楼の数々。「あのぽっかり空いた東京の穴は、一体何なのだろう?」と
僕は考えてしまう。敗戦の象徴か? いや、それよりも、恐らく世代的に大友氏自身も間接的に体験したであろう昭和中期の安保闘争や学生運動の敗北感のメタファーと捉えるべきか。
そして、あの巨大高層ビルが立ち並ぶネオ東京は空疎なバブル経済の象徴だろう。過去の傷に対して何の代償も払わずに発展していく空虚なビル群は、やがて新たな闘争の舞台となる。
目的なく暴力と薬による快楽に明け暮れる暴走族集団、宗教団体の隆盛、武装し過激化する都市ゲリラたち。
ここまで書いていて思ったんだけれど、「AKIRA」を読み解いていけば、日本の昭和史が語れるかもしれないね。
Akira (8/30) Movie CLIP - Commerce Terrorist Bombing (1988) 4K
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こちらは映画版。
ここで描かれる都市なんて、未来都市のフリして昭和の新宿だもんね。
プロムナードなんつってさ。
それにしてもやっぱり、学生運動の敗北感は当時の若者にとっては大きすぎる絶望だったんだな。
結局は資本家に搾取されるだけの労働者たち、搾取されることを前提に作られている社会構造。それに反発するだけの大義が、当時の若者たちにはあったのだろう。
その敗北によって、宗教などの内面世界に没頭する人々が出てきたり(オウムしかり)、さらに過激化し武装していく集団(赤軍派しかり)が出てくるわけで。
若者の病める魂としての「鉄雄」の存在も、今じゃアニメ界ではおなじみの系譜ですな。アムロやらカミーユやらシンジ君やら。
反対に、病むよりもまず体が動いてしまう金田のバイタリティにはいつも胸が熱くなる。悩む前に行動してしまう男らしさに憧れる。まあ、結構な社会不適合者ですが。
とにかく、いろいろな切り口で読み進められる「AKIRA」。
難しいことをイチイチ考えなくても、登場するメカやバトルシーンのカッコよさだけでも十分面白い。
また読み返してみることにする。
動画を撮り歩く。
外出するときは、なるべく一眼レフと動画用のカメラを持ち歩くことにしている。
思わぬところで素材になりそうな風景や構図を見つけてしまうからだ。
旅行に行った際はそれこそ肌身離さず、といった具合。
一年前の夏、もはや年一回の定例イベントになっている「富士急ハイランドでの家族集合」の時も妻と二人、乗り物そっちのけで動画を撮り歩いた。
その成果がこちら
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夜の遊園地は幻想的だ。白鳥氏の世界観と合致している。
見慣れたはずの空中ブランコや回転木馬が、夜になるとより一層ファンタジックに見える。夜の闇に負けじと煌々と輝く様子が美しい。
実はこれ、なかなか気に入った絵が撮れなかったがために、白鳥氏には軽く10回ほど回転木馬に乗ってもらっている。乗るたびにチケットを買ったので、製作費も少しだけかさんだのだった。
いやいや、「2001年宇宙の旅」のキューブリック監督だったら10回のNGなんて少ない方だ。「シャイニング」の時はNGをわざと48回出して主演女優を狂気の淵に追い込んで、歴史に残る恐怖シーンを撮影した。私など可愛いものだよ。
実は、翌日の昼も回転木馬に乗ってもらって撮影してるのだけど、そちらはお蔵入り。やっぱり夜じゃないとね、イマイチ幻想的じゃないんだわ。
こんな感じで、素材を撮りためていると予期せずにMV制作に使えたりする。
こちらは京都に行った時の動画。
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BGMも自作した。「Tomorrow Kyoto Land」という名前。
名前に特に意味はないんだけど、シンセの音がディズニーランドのトゥモローランドで流れているBGMと似ていたので、なんとなく名付けてみた。
トゥモローランドの80年代感、昔は「ダサい」と思っていたけど、今はどことなく懐かしさを覚える。僕も一応、子供の頃にバブル経済の恩恵を少しばかり受けたのだった。
もう一つはこちら。江の島への日帰り旅行。
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こちらもBGM自作。
江ノ電、展望台、サムエル・コッキング苑など等、絵になるものが沢山。
BGM制作も楽しい。いつか近いうちにBGM制作などなど引き受けようかと思う。
ココナラやクラウドワークスとか、今は受注環境も充実してるしね。
またどこかへ出かけよう。カメラを持って。
カセットテープのMTRを買った話
さて、勢い余ってブログを立ち上げた次第だ。
ここ最近、なぜかカセットテープのマルチトラックレコーダー(MTR)のことが頭を離れなかった。近年、水面下でカセットテープブームが来ているというネット記事を読んだからかもしれない。中目黒に専門店があるんだってね。
僕は今35歳で、カセットテープに親しんだのは幼少の頃だ。15歳になった頃にはCDが音楽メディアとして台頭し、カセットテープは過去のものとなった。でも、僕は同年代の人々と比べたらカセットテープの恩恵に授かった数少ない人間かもしれない。
家でギターを弾いて、エレクトーンを鳴らしていた18歳の僕が最初に手に入れた録音機材がTASCAM製のカセットテープMTRだった。
はっきり言えば、カセットテープMTRは2003年当時でも時代遅れだった。バンドマンはこぞってデジタルのMTRを使ってデモCDやMD(懐かしい!)を作る時代。お金のない僕はアナログのカセットMTRを使い、旧式のエレクトーンと安物ギターとエフェクターを用いてせっせと宅録をしていた。
当時は色々な工夫をしたな。ボコーダーとかも持っていないから、マイクにギター用のエフェクターをつないでエコーやリバーブを出したりしていた。
今じゃパソコンの中にあるDAWソフトに必要なエフェクトは全部入ってるもんね。
録音も苦労した。テープなのでミスったらトラックごと全部やり直し。
完成した音源は最終的にはMDコンポにつないでMDに落とすのだけれど、うまくやらないと音が割れる、音量が小さくなる。。。マスタリング処理? なんだそりゃ?な機材…。
そして、どんなに頑張っても結局はカセットテープの音になってしまうというジレンマ。
そんなこんなもあり、カセットテープのMTRには苦労させられたことが多い。
結局、僕は今から7年前の引っ越しの際に、自分のMTRを廃品業者にもっていってもらうこととなった。当時はまさか7年後の自分があの機材を手放したことでこんなに後悔するとは思わなかった。
不便だけど、音は良かったのだ。PC上の金ぴかな音に慣れてくると、あのカセットの味わい深い音が恋しくなる。
録音、ミックス、トラックダウンまで、今は全部PC上で完成できてしまう。便利な世の中になったものだ。
便利な世の中になったはいいが、反面、皆が同じようなDAWソフトを使うようになったため、クリエーターたちは個性を出しづらくなったのでは?と思う。
コンピュータはMac、ソフトはlogicやPro Tools。皆同じ機材を使用するDTM界隈。
「商業ベースでやっていくには必要な機材がある」という話はよく聞く。実際、音楽業界のプロたちはPro Tools使えないと仕事にならないらしいし。
かくして、皆が同じような機材を購入して同じようなゴールを目指し、本来は「正解」という概念がなかったものに「正解」を見出すようになるわけである。
なんか、つまんない話。右へ倣えの精神で個性を失くすなんてさ。
カセットテープMTR、僕にとってはクリエーターとして個性を出す重要なアイテムになりそうな気がする。
先ほどまで嫁さんと二人で、自分たちの曲をカセットにダビングして聴いていたのだけど、やっぱり一度テープに乗った音の劣化具合は味わい深い。サーッというノイズさえも懐かしい。
これを再びDAWに取り込むと、また余計なものが削ぎ落されてしまうのだろうか。
工夫すればまだまだ用途がありそう。これからまた頑張って使いこなそう。
頼むぞ相棒。
夏の夜
夏の夜、外は眩暈がするほどの暑さ。アパートの廊下に転がる蝉。ほの暗い電灯。
空調の効いた部屋で僕はパソコンと向かい合う。一文字も書くことがないまま小一時間。麦茶がなくなったので、ピッチャーを洗って新しい茶葉と水を入れる。何も書けない時は、浮かんだままに書く。手が向く方へ自動筆記だ。わざわざ頭を使わなくても、そのうち本音が出てくる。辻褄は合わないかもしれないが、少しずつ書いていく。
7月に母方の祖母が他界した。去年は父方の祖父が他界したので、訃報を聞くのは二年連続だった。高い声でハキハキと話す人だった。横浜に住んでいたので、母方の祖母との思い出は、みなとみらい近辺や横浜そごうなんかが多い。
親戚に会うのも久しぶりだった。25年振りくらいに会う人も居た。
去年からか、親族の死に向き合う度に「自分はどこに向かっているのだろう?」と考えるようになった。子供の頃は当たり前に居てくれていた人々が、時間と共に去っていく。久々に会う親族たちも、確実に歳を取っている。抗うことのできない大きな流れの中で、一人佇んでいるようだ。
夏は毎年、両親と姉家族と僕ら夫婦で富士急ハイランドで集合するイベントがあるのだけれど、今回はそんな風に考えていたこともあって、とても貴重なことのように思えた。今は幼い甥っ子たちが、今から20年ほど経ってこの時のことを振り返ったときにどんなことを想うのだろう?なんて考えた。
夏は解放感があって楽しいはずなのに、毎年どうしても一抹の切なさを噛みしめているような気がする。
こういうときは何か創作するべきなんだろうな。
またギターを弾こう。幸い、夏の夜は深い。
ファイナルファンタジー7 REMAKEのこと
FINAL FANTASY VII REMAKE for E3 2019
僕はゲームってほとんどやらない。やりはじめたら時間がなくなるしね。
そんな僕でもこのトレーラーを見たときは夜勤の休憩中にブッとばされたのだった。
彼らが帰ってくる。心の中に様々な葛藤を抱えながら、悩み抜きながらも敵と戦い、星を救った彼らが、完璧な姿で帰ってくる。
このゲームが発売されたとき、僕は中学生だった。当時からゲームはあまり興味がなかった。ファンタジーは特に設定がややこしいので遠ざけていた。部活や塾通い等で忙しい日々を過ごしていたし、周りが「プレステだ!」「FFの新作だぞ!」と大騒ぎしていても「そんなものか」と思ってみていた。
でも、テレビコマーシャルでミッドガルの街並みが映し出されたときに、僕の中でパラダイムシフトが起こった。これ、ファンタジーっぽくない! SFっぽい街並み! こういうの好きじゃん俺!
買ったはいいものの相変わらず忙しい日々。それに、当時は両親との約束で「ゲームは一日一時間」と決められていた。周りのクラスメートよりも遅く購入したし、一日一時間のプレイ。早々とクリアしているクラスメートからは「まだ終わらないの?」と罵られる日々。でも、君らにはわかるまい。これが逆に良かったのだ。
長い時間をかけて、僕は画面の中にいるクラウドや仲間たちと大きな旅をすることができたからだ。
一日一時間のプレイ時間、僕は夜寝る前に、登場人物たちの心境を想像することが好きだった。ゲームに描かれることのない「行間」を読むことが大好きだった。それはきっと、一日何時間もプレイして「誰よりも早くクリアする!」という目的でゲームを進めているクラスメートには理解できないことだっただろう。クラウドたちは、本当に「生きた人間たち」として僕の心の中にいたのだった。
リメイク版発売とのことで、ネットを使って改めて設定資料やシナリオ等を調べてみたけれど、これは本当に凄いね。ミッドガルは、今思えば「AKIRA」のネオ東京のようだ。そういえば、バイクでぶん殴るシーンなんかもあったしね。
国家ではなく、巨大企業が世界の覇権を握る世界。「エイリアン」のユタニ社みたい。70年代後半から90年代にかけて、そういう設定のSF映画いっぱいあったよね。楽しい!
スチームパンク的な機械文明、漢字を使用したブレードランナー的な東アジア感、そこにファンタジーチックなドラゴンやモンスター、魔法を違和感なくブレンドする。すごいよね、あの世界観で召喚獣なんて登場したら浮くはずなのに違和感がない。
登場人物が錯綜するシナリオも見逃せない。作者の頭どうなってんだ!と思わせるほど複雑な人間関係。登場人物それぞれの想いや思惑があるなかで、破綻なく進行していくシナリオは本当に見事だ。頭ではわかっていても、説明するのは難しい、何とも奥深いストーリー。
今回のリメイク動画、本当に懐かしい気分にさせてくれた。中学生当時の記憶と共に、彼らと旅をしたときの心境が蘇る。PS4は持っていないし、ゲームはやりはじめると大変だから購入するかはまた考えるけれど、しばらくはこの懐かしさを噛みしめよう。
スマッシングパンプキンズの「アドア」について
世の中っていうのは、わかりやすいものでしか感動できない人間がほとんどである。
だからこそ、毎年一回日本テレビは「24時間テレビ」で障碍者の方にチャレンジをさせて「お涙頂戴」の演出をするし、流行りのドラマや映画は恋愛ものだし、その恋愛ドラマでは病気の主人公の恋人が空港で倒れて主人公が「助けてください!」とかなんとか、人々が行きかう中で叫ぶし、そんなことがあって飛行機の発着に影響が出て困る人がいるということを一切描かない。
巷では、主人公に感情移入させることに終始したドラマ、毎年公開される似たり寄ったりの胸キュン青春映画ばっかりになるし、例を挙げるだけでも枚挙に暇がない。
「わかりやすさ」はある意味では正義だ。なぜか? 実際に「わかりやすさ」というのはカネになるからである。アイドルが出演する胸キュン映画なんてものはまさにそれで、もう本当に「水戸黄門かよ」と思うほど単純に出来ているかわりに「胸キュン青春モノ」という枠組みから外れないかぎり一定数の動員を見込めるのである。
かくして、商業ベースという枠組みが生まれ、それに対してクリエーターたちは「右へ倣え!」の精神で「商品」を作り続けるわけである。批判めいた書き方になってしまっているけれど、別に僕は嘆いているわけでも怒っているわけでもない。「そういうものだ」と言いたいだけだ。
ここで一つ、当時絶大な人気を誇っていながらも、そんな商業ベースに敢えて乗らずにセールス不振に陥った作品を紹介する。
スマッシングパンプキンズの「アドア」というアルバム。
リリースされたのは1998年。
前作「メロンコリー そして終わりのない悲しみ」は二枚組アルバムであるにも関わらず全世界で1000万枚セットを売り上げた。
「メロンコリー」は当時最盛を誇っていた「オルタナティブ・ロック」というジャンルの一つの到達点となった。荒ぶるディストーションサウンドとクリーントーンの対比、叫びまくったかと思えば、次の曲ではアコースティックギターを持って穏やかに歌う。
「動と静」の違和感のない同居。それはまさに「愛と憎しみ」という一見すると相反するように思える二つが、実は表裏一体であることを表すかのようだった。
次はどんなヘヴィネスを聞かせてくれるのか、それともまた穏やかなサウンドスケープを披露してくれるのか?
ファンの期待はそのようなものだっただろうと推測する。しかし、スマッシングパンプキンズのフロントマンのビリー・コーガンは、それまでのバンドのキャリアから大きく外れるような音像を、この「アドア」というアルバムで提示して見せたのだった。
「アドア」 尊敬、敬愛、崇拝という意味だ。
このアルバム全体を通して聞こえるのは、それまで当バンドが惜しみなく披露してくれたアグレッシブな轟音やヘヴィネスではなく、陰鬱とも呼べるアコースティック、電子音の断片の数々だった。現在に至るまで、この「アドア」はスマッシングパンプキンズの「黒歴史」の一つと評され、一部ではこの作品のセールス不振が「最初の解散の要因」とも呼ばれている。
僕の音楽仲間界隈でも「スマパンのアドアが好き」なんて言った日には「変わり者」の烙印を押され、知ったような口調で「いやいや、あれは失敗作でしょ」なんて嘯かれたりもする。そんな言葉を聞くたびに僕は「ああ、やっぱり表面しか見ない人がほとんどなんだ」と思わざるを得なくなる。
このアルバムを本当の意味で理解する上では、フロントマンのビリー・コーガンの当時の状況を知る必要がある。
「メロンコリー」で大成功を収めた当バンドは、その後数々の災難ツ見舞われる。
ツアー中でのサポートキーボーディストのオーヴァードーズでの死亡、その場にいたドラマーのジミー・チェンバレンのこれまたドラッグ問題での解雇。
結婚したは良いものの数年でピリオドを打ってしまったビリーの私生活、極めつけは、家庭の事情で殆ど会うことの叶わなかった実の母の死。
山積する数々の問題の中でも、ビリーがこの「アドア」を作る動機となったのがこの、「母の死」であることは言うまでもない。
ここからは僕の妄想。
ビリーは母と他界するその時まで、実の母と再会することを夢見ていたのではないだろうか?
ディストーションギターをかき鳴らし、ステージでは縦横無尽に叫びまくる。
「俺は暴れまわるだけのただのロックスターではない」と言わんばかりに、アコースティックギターやピアノ、ストリングス、シンセを用いて壮大な世界を作り出す。
インタビューでは「俺は他人をクソほど信じない」と吐き捨てる。
どれもこれも、母からの愛情を求める子供のようにも見えなくもない。
音楽で無敵になることで、母に見てもらう。叫び続けることで、母に気づいてもらいたい。そんな幼児性を僕は感じざるを得ないのだ。
母に会うことがすべてだった。だが、それが遂に叶わぬ夢となって消えてしまったとしたら…?
もう、彼はそれ以上叫ぶことができなくなってしまったのではないか。
陰鬱な気分の時ほど、ギターのディストーションが耳障りに感じるものだ。とてもギターを弾いて暴れる気になんてなれない。叫ぶなんてもってのほかだ。
でも、ピアノなら、そんな気分の中でも弾けたりするものだ。
そんな叶わぬ夢を思い知った先に鳴らされたサウンドが「アドア」だったのだとしたら…。
そこで鳴らされている陰鬱な電子音も、揺蕩うようなアコースティック音の断片の意味も、すべてが納得できる。
陰鬱な気分の時ほど、僕はこのアルバムに助けられた。
どうにもならない悲しさに打ちひしがれたとき、軽快なロックサウンドは耳障りなだけだ。そんな気分のときに聞いたこの「アドア」は、まるで自分に寄り添ってくれるかのように親密な音に聞こえた。
「アドア」は、決して聞きやすいアルバムではない。
わかりやすいものでもないし、陰鬱なサウンドだけに一聴するだけでうんざりする人間がいるのも無理はないと思う。
「あれは駄作だ」と嘯く輩がいるのもよくわかる。
でも、このサウンドには意味があって、数は少なくても理解できる人間にはちゃんと届いている。
正直に書けば「アドア」は売れなかった。「わかりやすさ」が求められる商業ベースから「アドア」は外れてしまったのかもしれない。でも、痛みを負った心にここまで寄り添ってくれる音楽というのはそれほど多くはない。こんなに痛みをさらけ出した音楽が売れなかったばっかりに「無価値」だとは僕には到底思えない。
断言する。このアルバムには価値がある。
初夏の江の島
日常的なストレスを回避する方法として「今いる場所より遠くに行く」というものがある。
要は旅行に行く、とかそういうことね。僕ら夫婦も暇があれば小まめに出かけている。休日が妻と重なったときはよっぽど疲れていない限り出かけないともったいないと思う。まあ、家でゆっくりするのも大事なことではあるけれども。
5月の終わり、江の島へ行ってきた。僕は人生初の江の島上陸。
鎌倉には行ったことがあるので江ノ電には乗ったことはあったのだけれど、久しぶりに乗るとまた面白い。レトロな外観や車内に心が躍る。
島に上陸した後、エスカレーターを上りサムエル・コッキング苑へと向かう。
梅雨が遅れてきてしまったので、当面は外出しても室内施設になるかな。
また夏が来たら、遠出をしたいものです。