新丸ビルにて誕生日会
3月13日は妻の誕生日ということで、新丸ビルの「AW KITCHEN」にてランチに出かけた。
サラダバーとイチゴデザートは食べ放題。丸の内の人々は健康的で意識が高い。
都会的な雰囲気の中での食事は久々だ。緊張するけれど、背筋が伸びる感じもたまには良い。
ご満悦である。
妻のおかげで毎日楽しく過ごさせてもらっている。
仕事で大変な日があっても、家に帰ると待っていてくれる人がいるというのは、それだけで幸せなことだ。毎日感謝である。
これからもよろしくお願いします。
「tears in rain」という曲について。
新曲は歌なしのインストゥルメンタル。極楽蝶の新アルバムに収録しようと考えている。
言うに及ばず、ブレードランナーという映画からインズパイアされた。
それに加え、最近ネット上で話題になっている「low-fi beat」(ロー・ファイ・ビート)
からも影響を受けている。一応カセットテープMTRを使用してテープコンプやテープノイズを残してあるが、ローファイになり過ぎないようにゆるく掛けた。
今年の冬は雨が多かったように感じる。そんなわけで、こんなジメッとした曲が生まれた。
ギターソロは、本来ならサックスの音の方が似合いそうだ。
雨の音とサックス、色気があるね。ギターで弾いてみたけれど、なるべくサックスに近い音色にしたつもりではある。
春の長い夜に、聴いてみてください。
BOOTHにて、キリカの過去作品を販売開始しました。
クリエーターのための販売サイト「BOOTH」にて、私と妻のユニット「キリカ」の1st album「ロマンチックで残酷」がリリースされました。
今まではライブでの物販や同人音楽イベント「M3」でのみ販売しておりましたが、改めて「ロマ残」を聴いてみて、我ながら「これは良い」と思い感動してしまったので急遽販売することにしました。
キリカは2014年の秋ごろに結成した。お互いにそれぞれの活動が忙しかった中、その年のクリスマスイブにライブをやることになったり、翌年は同人即売会に出ることになったりで、忙しい合間を縫ってひたすらに曲作りをしていた記憶がある。仕事の他にバンド活動、サポート業務等で忙しいながらも、今思えば音楽のことばかり考えていて、とても充実していたと思う。
キリカの1st albumは、それまで自分一人ではできなかったことを全て注ぎ込んだ意欲作となった。「あれもやりたい、これもやりたい」といった具合で、アイディアが尽きることはなかった。まあでも、アイディアが尽きないのは今も同じだけれど。
試聴版はこちら!
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キリカ 1st album「ロマンチックで残酷」ダイジェスト
BOOTH販売サイトはこちらへ! ダウンロード価格500円!
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皆さま、よろしくお願いいたします!
NS製作所さんから軍艦島の模型を頂きました。
凄いものを頂いてしまった。表題の通りである。
どん!!
こんな素晴らしいものを仕事のちょっとした合間に渡してくださった。
巨大なゴディバの紙袋を手渡され、中を開ければ軍艦島である。仕事中だというのにぶっ飛んでしまった。危うく新人の指導を忘れるところだった。
そして、昨日NSさんのブログを改めて確認してさらに驚いた。1月28日に、この「軍艦島」の製作日誌をアップロードされていた。すっかり見過ごしていた。そうか、この日は確か俺、国家試験受けてたわ…。
しかし、いつも思うのだけれど、NSさんの製作日誌は情報量が豊富である。
調べた事柄を自分の言葉で書かれているところに真摯さを感じる。ただ模型を作るだけでなく、その背景や歴史を調べる姿勢が素晴らしい。
僭越ながら、リンクを張らせて頂きやす。
しかし、素晴らしい再現度だ。僕は2年前の6月に妻と二人で新婚旅行で軍艦島を訪れたのだけれど、この模型を眺めているとその時のことを思い出す。
NSさん本人は軍艦島は未踏とのこと。行ってないのにここまで再現できることにさらに驚く。資料だけでここまで作れるというのは相当な観察眼の持ち主である。
今日の昼は妻と二人で写真を撮ってよく観察してみた。
軍艦島はかつて炭鉱の採れる島として栄えた産業都市である。「産業都市」で、しかも島。ナウシカみたいだ。それだけでもう無条件でアツい。
最盛期には5000人ほどの住民が暮らし、街全体も賑わっていた。住民たちの多くが狭い集合住宅(鉄筋コンクリートは当時最先端技術)で暮らしていたが「カネ」の面だけで言えば裕福であり、当時は珍しいテレビ等の家電製品を皆が所有していたとか。
島には炭鉱だけでなく学校、幼稚園、医療機関、映画館、スナックや喫茶店なども存在していた。
上は実際に私が撮影した、南から見た軍艦島の全体像。本当に軍艦みたいに見えるよね。実際、太平洋戦争の折には米軍の潜水艦が敵艦と誤認して魚雷を打ち込んだ、なんていう話まである。
ドルフィン桟橋という船着き場に上陸して、トンネルを上がって最初に見るのが、島の北東部に見える小中学校跡地である。以下は実際のその写真。
これがNSさんの手にかかると…
おお! と思わず声を漏らしてしまった。一部残るクレーンやほかの建物は、NSさんの製作日誌によると「見所を残すために敢えて残している」のだとか。
写真だと実物がどれほど小さいか想像しにくいと思うが、このクレーン、本当に親指よりも一回りくらい小さい。本当によく製作されたなと思う。細かすぎる…。
島の一番高い丘の上にある団地は、幹部クラスの従業員とその家族が暮らしていた場所。こちらも、小学校が見えた場所の同じ場所からみることができる。
こちらも…
角度は違うけれどこのような感じ。草木の生い茂った様子が実に見事に再現されている。
本当に、模型を眺めていると懐かしさが込み上げてくる。
ここは島の南西部の端。手前にあるのはプール跡地。このあたりで、九州訛りのガイドのおじさんの話を聞いたな。「ばってん!」って叫ぶように言っていた。
模型を見ていると、旅行中は考えなかった細かいことに色々と気づくものである。
例えば、こんな密集した団地群である。人々の生活はどのようなものだっただろう?
島の、主に北側や北東側に住宅が密集しているのがわかると思う。
団地に挟まれた場所なんて、日光がほとんど当たらないわけだから洗濯物とかどうしてたんでしょうね?
それに、団地それ自体が堤防の役割も兼ねていたらしく、高波が来た際は潮が降る地区もあったのだとか(潮降街と呼ばれる一帯)。お金はあったかもしれないけれど、ここの生活は決して楽じゃないよね。
こちらは実際の写真(著者撮影)。集合住宅を乗せた巨大な戦艦。物凄い迫力だ。
そうそう、動画も作っていたのだった。添付添付っと。
これも本当に懐かしい…。観光客目線で撮影しました。
しかし、とても楽しい模型を頂いてしまった。
前述したけれど、模型をゆっくり眺めることで思いもよらぬ発見や、それまでは考えることのなかった当時の人々の生活の様子をじっくり想像することができた。模型が手元になかったら、ここまで想像力を膨らませることはなかっただろう。
新婚旅行当時のことを思い出し、妻とも思い出話に花が咲いた。
NS製作所さんは確かな腕をお持ちのモデラーさんです。
今現在、カッティングマシーンを導入して新たな事業を開拓されようとしています。
今後の動向も要チェック!
NSさん、今回は貴重なものをありがとうございました!
私も負けずに音楽諸々がんばるべ!
僕がレディオヘッドが表現する「厭世観」を全肯定する理由。
唐突だけれど、世の中っていうのは矛盾に満ちている。
何から話そうか迷うくらい、間違ったことだらけである。
世界をコントロールしているのは先進国のてっぺんにいるお偉いさんたち。我々は、彼らの決定の元、都合の悪い情報を抜き取られた「害のない情報」を共有し、生活している。
経済のグローバル化も、その「お偉いさんが決めた事」の一つだ。
ユニクロ、H&M、ZARA、GAPなどのファストファッション企業は、低価格の洋服をアフリカや東南アジアの縫製工場で生産している。低価格の衣料品を展開するために、経済格差のあるアフリカや東南アジアなどに工場を構え、月収4000円程度で従業員を働かせている。労働環境は劣悪を極め、バングラデシュの縫製工場では縫製工場の入ったビルが崩壊し、多数の従業員が生き埋めとなった。
こういったことは、何もファストファッションに限ったことではない。
みんな大好き「iphone」でおなじみの「アップル」。
筆者も使用している「iphone」。ポケットにコンピュータが入るなんて「未来」って感じだね。
でも、多くの人々は自分が持っている「iphone」が、アジアの子供たちの手で作られていることを知らない。「睡眠時間4時間」という劣悪な労働環境の中、自殺者は後を絶たない。
それでも山のように発注はやってくる。コンベアーを止めるわけにはいかない。
もはや製造機械の一部と化した労働者たちは昼夜を問わず働かされ、思考停止した先には「死」という名の救いに手を伸ばし始める。
そんなことはお構いなし。先進国に住む我々は「新製品はまだかな?」と首を長くして待ちわびている。
まだ出す? これ系の話題尽きないよ?
ここで一つ、誤解しないでほしいのは、僕はそれらのものに対して批判的になっているわけではない。僕もファストファッションは利用する。理由は簡単、安いから。フェアトレードで服を作っている会社も知っている。でも、高くて買う気になれない。もうTシャツ一枚に5000円も出せないよ、ユニクロで安く売ってるんだもの。
「iphone」だって引き続き利用するだろう。使いやすいし写真も綺麗だ。
原発も、無い方が良いのは自明の理だ。チェルノブイリ、スリーマイル、東海村、福島、人間が放射能汚染で死んでいくのは恐ろしい。汚染された細胞が破壊され、時間をかけて朽ち果てていく。「殺してくれ」と呻くように声を漏らす。人間の尊厳も何もあったものではない。
でも、僕だって電気を使っている。この文章も、家のリビングで「DELL」のラップトップPCを使って書いている。どこぞの原発で作られた電気を使っている。
ビニール袋を使うのはやめよう、プラスティックも環境汚染の原因だ。わかってるよ。でも、今日もビニール袋貰っちゃったよ。
戦争しないと儲からない、経済が回せない。
何もかも間違っている。それは知っている。世界は間違いだらけだ。
でも、もうそこから抜け出せない自分のことも分かっている。
僕らは何も変えられない。個人ではどうすることもできない問題が、あまりにも多すぎる。
そして、そんな「どうしようもなさ」こそが、レディオヘッドが表現する「厭世観」そのものなのだ。
例えば、上に挙げた先進国を取り巻く状況に対して「クソッタレ!」「くたばれ!」と叫ぶことも表現の一つの在り方である。芸術の役割の大きな要素の一つだ。しかし、どんなにこの状況を否定したところで、自分たちはこの矛盾に満ちた世界で生きているし、そこから抜け出すことは難しい。無人島でたった一人で住むよりほかはない。
間違いや矛盾だらけの社会で平静を保ちながら生きていくことの難しさたるや。
そんな社会で生きる人々の苦悩を、レディオヘッドは代弁してくれた。1990年代から現在に至るまで、日常の苦悩やら恋愛について歌った楽曲はそれこそ腐るほどこの世に存在し、その多くは忘れ去られていった。セールスだけを重視した音楽業界において、それを真っ向から否定し、世界の矛盾やこの世の不条理について歌ったアーティストは、レディオヘッドだけだったのだ。
初期の名曲「High & Dry」。
「週休二日ありゃ満足だろ?」
「自分を殺して生きていくことをやめられないんだろ?」
「お前ができることなんて、それが関の山だ」
「おいていかないで、おいていかないで!」
歌詞の一つ一つが胸にグサリと突き刺さる。
混沌とともに幕を開けた2000年にリリースされた「KID A」。今ではロック史に名を残す名盤となったが、リリース当時は物議をかもしたものだった。
白状すると、僕は夏の図書館でこの曲を聴いて、それまで滝のようにかいていた汗が一気に引いたのを覚えている。とにかく衝撃的だった。それからは耳に穴が開くほど聴いていた。
クローン羊「ドリー」が誕生したことにより、人類が生命を作り出す「神の領域」に手を伸ばし始めた世紀末。「KID A」というのは「もうすでに生まれているはずのクローン人間第一号」のことだ。
それを踏まえて聴いてみると、この曲の構造がよくわかる。不旋律的にならされる鐘の音は、まだ彼が音楽の構造を理論的に理解していないからかもしれない。
歌詞を読んで、表現しがたい感動を覚えた。何故か涙さえ浮かべてしまった。
「僕は指揮者を得て、君は腹話術士を得た」
「僕のベッドの端に影に隠れて立っている」
「実験ネズミと子供たちが僕の後についてくる」
「みんな、おいで」
自我をもった「少年A」は、ネズミと子供たちを引き連れて研究所を抜け出す。
そのあとに彼らが見た世界は、僕らのよく知っている矛盾に満ちた世界。
アルバム「KID A」の最終曲は、そんなこの世界に別れを告げる歌だ。
「多分、お前は狂っているよ」
そうつぶやくのは、世界の不条理を嫌というほど目の当たりにしたクローン人間「少年A」かもしれない。
現時点での最新アルバムからの一曲。
この曲でのトムは死者なのだろうか。人々にトムの姿は見えていないし、魂がめぐるように様々な場所に姿を現す。冒頭に映し出される背景にいる人々も、やはり死んだ魂なのだろうか。一本の映画を見ているようなMVだ。
Thom Yorke: Anima, 2019, Paul Thomas Anderson - Damien Jalet
トム・ヨークのソロ作から一曲。
個人的に大好きなMV。ソロアルバム「アニマ」のテーマは夢の持つ「潜在的無意識」について。
鞄を落とした女性を追う、夢遊病のトム。女性が置いていった鞄の意味とは。そして、それを追う夢主であるトムが求めているものとは。
繰り返し前述したが、こんなに世界について考えさせてくれるロックバンドは、彼ら以外にいないのである。現代を生き、大きな視点を持って生きているからこそ見えてしまう様々な矛盾に対して、「納得いっていないのは君だけじゃない」と思わせてくれるのは、このバンド以外にいない。
これからも、僕は彼らの音楽を聴き続けるだろう。世界が矛盾を有している限り。
聴かなくなる時があったとすると、それはきっと「この世界」を諦めたときだろう。
マルチ商法をぶっ潰せ! ‐或いは、自分のことを愛せない人々へ‐
さてさて、またこの話を書かなければならないとはね。
これはもう7年ほど前に僕が書いた記事。
↓
まあ、今回に関しては僕ではなく、妻の方に勧誘があったのだけれど、まだこんな勧誘をやっているアンポンタレがいるのかと思うと、「人ってのはなかなか進化しないものなんだな」と苦笑せざるを得ない。
僕が「マルチまがい」商法やら「ネットワークビジネス」を憎む理由は沢山あるのだけれど、その理由の一つに「勧誘される側の心の弱さ」がある。
僕の経験上、マルチまがい商法の販売員には売れないミュージシャンや声優、俳優志望、貧乏な劇団員、お笑い芸人が多かったように思う。現状に満足し充足した生活を送っている人間は殆どいなかった。それもそのはずである。
勉強もスポーツもできず、これといって人よりも秀でたものがない。恋人もいなければ友達もいない、自分を肯定できる要素があまりにも少ない。
そんな人間が逃げ込む場所として、芸術関連は最適だ。何故って? 明確な意味での勝ち負けがないから。勝負しなくて済むじゃない。
何者にもなれなかった人々は、そんな感じで芸術関連になだれ込み、いつしか「売れない自称芸術家、表現者」を名乗るようになる。
「できないことばかり」「普通にすらなれなかった」彼らは、言ってしまえば「当たりまえに享受されるはずだった幸せ」を手にいれられなかった人々でもある。
マルチまがい商法は、そんな彼らの心の隙間を狙ってくるのである。
「俺が友達になってやるよ。その代わり、傘下に入ってよ!」
偽りの笑みを浮かべて近寄ってくる販売員よ。彼らはとても親切だね。心の弱ったみじめな「売れない自称芸術家、表現者」にやさしさをくれる唯一の存在。当たりまえだ、「売れない自称芸術家、表現者」が彼の傘下に加わってくれる可能性がある限り、彼ら販売員は親切にしてくれる。利用価値があるかぎりはね。
胸糞の悪い話だ。
でも、僕が一番気に入らないのは販売員のアホ達ではない。
販売員の話す「底の浅い口車」にまんまと引っ掛かってしまう「売れない自称芸術家・表現者」の方である。
いや、わかるんだよ。君たちには人に秀でたものがない。勉強もスポーツもできなかったんだろう。だから優劣のない分野に逃げ込んだ。
友達もいないし、いじめられた過去もあったかもしれない。イケてる大学生がやっているような「友達と大勢でドライブ!バーベキュー!」なんていう輝かしいリア充ライフを享受できなかったんだと思う。恋人もいたことがないのかもしれない。
自己肯定感が極端に低いのも知っている。
マルチまがい商法に加われば、そこには仲間がいる。夢を語りあって「自分たちは正しいことをしている」と実感できる。
「普通に生きている人々がバカみたい」と思うこともあるかもしれない。
傘下の販売員が増えれば、自分が認められたかのように嬉しい。
所属している会社のイベントに呼ばれて表彰台に立てるかもしれない(そうそう、マルチの会社って、表彰イベント多いんだって。自己肯定感を植え付けるためらしい)。
「何もなかった自分の人生が、変わるかもしれない」
アホか。
お前の人生はマルチまがい商法をやるだけで変わるのか? 安い人生だな。
本当に、勧誘されて犬みたいに尻尾振って入会しちゃうバカの多いこと、辟易するね。
ちょっと賢そうな言葉をチラつかせれば「この人、頭良いんだ!」って錯覚してしまう。いやいや、あなたが何も知らないだけだよ。新聞くらいまともに読めよ。
足元見られてることに気づけ。お前たちはただの鴨だ。
こうしてみると、例えば子供のころや学生の時の体験っていうのは、その後の人生に大きな影響を及ぼすんだな。冴えなかったいじめられっ子は、おとなになってもいじめっ子たちの鴨にされる。
しかし、君たちはもうそろそろ目を覚ますべきだ。
マルチまがい商法やネットワークビジネスをやれば空っぽで底の浅い形だけの「幸せ」は手に入るかもしれない。偽りの友情や、リア充の「真似事」に終始したイベントとかな。
しかし、それは「何もない自分自身」から目を逸らしているだけだ。
結局、今ある自分がどんなに気に食わなかったとしても、真正面から自分を見つめるしかないのだ。安直な勧誘なんかに逃げるべきじゃない。辛い自分とちゃんと向き合え。
何も秀でたものが無い自分も、「普通の幸せ」を手に入れられなかった自分のことも、将来に不安を感じている自分のことも、全て肯定しろ。すべての瞬間を肯定するのだ。
「自分には何もない」と嘆く暇と愚痴をこねくり回す脳みそがあるなら、自分の価値を創るために頭を使えよ。一生かけて「なりたい自分」ってやつを手に入れろよ。
浅はかなヤツばかりだ、本当に。
今回妻が受けた勧誘には、やはり「自称芸術家・表現者」の女の子と、これまた「自称芸術家・表現者」の中年男性がいたらしい。恐らくは中年の方がボスだろう。嗚呼、やっぱり…って感じ。
妻には危機管理の能力があり、以前から「怪しい」と踏んでいたとのことだった。さすが我が妻。
鍋会みたいなものもあったんだってさ。リア充の真似事か。そんな「人集め」ばっかりやってないで、自分の芸術活動やら表現活動でやりたいことがあるのならそちらに尽力したほうがよっぽど良いのではないかね。
あ、あと付け加えると、この本の話をしてくる人たちはほぼ「マルチ野郎」らしいです。
↓
この本読むと「何かやらなきゃ!」って思うらしいです。本当に底の浅い人々や。普段から活字を読む習慣がない人のための本でしょ、これ?
長く生きていればそれなりに色々あるものだ。
そんな心の隙間を狙ってくる不貞の輩がいることを、わすれてはいけないね、本当に。