60~70年代カルチャーへの思い。
義理の父の影響で、最近は60~70年代の音楽史を振り返ることが多い。
学生の頃からこの時代に興味関心があった著者であるが、最近改めて振り返る機会が多かったので、備忘録的にこのブログに記しておこうと思う。
今よりも音楽が娯楽の大部分を占めていた60~70年代。若者がこぞってアコースティックギターを弾き、レコードを聴いていた時代。
ベトナム戦争、ヒッピー、カウンターカルチャーの創生など、世界情勢が激動を迎えるのと比例して、文化の方も爆発的に多様化した時代だった。
音楽や映画を見ているとわかるのだけれど、この時代の若者は本気で大人と戦っていたんだよな。作品を鑑賞していると、思わぬところで「大人と同じことはやらねぇぞ!」という意思を見つけてしまう。
長く伸ばしたブロンド髪のニール・ヤングは、ギター一本と歌で世界と対峙した。
ゴダールは三脚からキャメラを外し、手持ちカメラで作品を作り続けた。
ヤクでヨレヨレのウィリアム・バロウズは、ヨレヨレのまんま頭の中の支離滅裂な散文を書きなぐり「裸のランチ」を出版した。
共通しているのは「今までのやり方」を完全に否定していることだ。
「大人社会」を完全に拒否している。「あいつらは戦争ばかりしている」と。
ジミヘンの切り裂くようなギターが鳴り響いたウッドストックフェスティバルで頂点を迎えたヒッピーカルチャー。「俺たちには音楽があればいいんだ」と、一体感を覚えた若者たち。思えば、ヒッピーたちの言う「ラヴ&ピース」は、ウッドストックを生で体験した世代からしてみれば決して「夢物語」ではなかったんだよな。
「30代以上のやつらを信じるな」
「資本主義はブルジョアの搾取だ」
「社会主義こそが平和をもたらすんだ」
「物質ではなく精神の豊かさを目指せ」
時代は現在、2020年を迎えようとしている。60~70年代はすっかり「大昔」になってしまった。再考する人々は非常に少ない。でも、遡って歴史を学んでと感慨深い事象が数多く、驚くばかりだ。
世界はこれから、どこへ向かうのだろう。