バットマン・リターンズ ー陰キャ、非リアのためのクリスマス映画ー
嫁さんに出会うまでの年の瀬というのは中々に憂鬱な時期だった。10年ほど前は「リア充爆発しろ」なんて言ってクリスマスをひたすら憎む人間が数多くいたな。
恋人や家族と共に幸せに過ごすクリスマスやお正月。
プレゼントを贈りあう恋人や、共に新年を祝い合う家族のいない人々にとって、この時期がいかに残酷なものなのか。どれほどに心を追い詰めるものなのか。この「バットマン・リターンズ」という映画には「孤独」を知る人間のもの悲しさが描かれている。
監督は鬼才ティム・バートン。
前作「バットマン」で、アメリカンコミックにおける人気ナンバーワンヒーローであるバットマンをおとぎ話化し、ダークファンタジーの世界に観客を招待したバートン。思えば、彼の監督したバットマンシリーズで描かれるブルース・ウェインというのは彼自身の投影に他ならない。
幼少期からの父との確執、学校にいかずに昼のホラー映画の再放送ばかり見ていた子供時代。やがて、古典ホラー映画に出演していた俳優たちを、ティム少年は「理想の父親」として親しみを覚えるようになる。血のつながった現実の父親は野球関連の仕事をしているスポーツマンである。芸術家肌のティム少年と気が合うわけがない。父への愛を殆ど受けず、恋人もいなかったティム・バートンの姿は、肉親も恋人もおらず執事のアルフレッドと二人で豪邸に暮らすブルース・ウェインの姿と見事に重なる。
例に及ばず、ブルース・ウェインは夜な夜な蝙蝠のコスチュームを着て自警活動に勤しむ奇人である。
本作に登場するヴィラン「ペンギン」も、容姿の醜さから両親に捨てられ、下水道に住むサーカス団に育てられた奇人。
「キャットウーマン」も、元は男に振り向かれるどころか雑に扱われてしまう地味な社長秘書である。
言ってしまえば本作で描かれているのは、そんな幸せになれない3人の奇人(陰キャ、非リア)の足の引っ張り合いだ。ペンギンは自らの出自の悲劇を市民にアピールし、同情を買うことで市の人気者となる。それに対してバットマンはペンギンの真の思惑と素行の悪さを市民にアピールして(いわゆるネガティブキャンペーン)ペンギンを潰しにかかる。
「あいつは俺より人気がある! 潰してやれ!」という絶望的な泥仕合の連続である。
結論から言ってしまえば、誰も幸せになんてなれない。泥仕合の果てにハッピーエンドなどあり得ないのは自明の理である。それでも、この映画には価値があると私は信じている。ネオンで輝く街の風景、軽やかに響くクリスマスソング、テレビを点ければ暖かい暖炉に囲まれた家族のイメージ、恋人たちがディナーを楽しむ風景。
そういった、一見罪のなさそうに見えるクリスマスの描写が、幸せになれなかった人間たちをどれほど苦しめるのか、「孤独」や「寂しさ」の本当の意味を知らないあなたたちにはわかるまい。
しかし、我々の心には、孤独を抱えたまま高級車のバックシートで一人揺られているブルース・ウェインがいる。DVDを再生すれば、孤独なブルースはいつもそこにいて、我々と傍にいてくれる。それは一つの救いなのかもしれない。そう思わないとやってられないほどに、独り身というのはつらいものだったという話。