NS製作所さんから軍艦島の模型を頂きました。
凄いものを頂いてしまった。表題の通りである。
どん!!
こんな素晴らしいものを仕事のちょっとした合間に渡してくださった。
巨大なゴディバの紙袋を手渡され、中を開ければ軍艦島である。仕事中だというのにぶっ飛んでしまった。危うく新人の指導を忘れるところだった。
そして、昨日NSさんのブログを改めて確認してさらに驚いた。1月28日に、この「軍艦島」の製作日誌をアップロードされていた。すっかり見過ごしていた。そうか、この日は確か俺、国家試験受けてたわ…。
しかし、いつも思うのだけれど、NSさんの製作日誌は情報量が豊富である。
調べた事柄を自分の言葉で書かれているところに真摯さを感じる。ただ模型を作るだけでなく、その背景や歴史を調べる姿勢が素晴らしい。
僭越ながら、リンクを張らせて頂きやす。
しかし、素晴らしい再現度だ。僕は2年前の6月に妻と二人で新婚旅行で軍艦島を訪れたのだけれど、この模型を眺めているとその時のことを思い出す。
NSさん本人は軍艦島は未踏とのこと。行ってないのにここまで再現できることにさらに驚く。資料だけでここまで作れるというのは相当な観察眼の持ち主である。
今日の昼は妻と二人で写真を撮ってよく観察してみた。
軍艦島はかつて炭鉱の採れる島として栄えた産業都市である。「産業都市」で、しかも島。ナウシカみたいだ。それだけでもう無条件でアツい。
最盛期には5000人ほどの住民が暮らし、街全体も賑わっていた。住民たちの多くが狭い集合住宅(鉄筋コンクリートは当時最先端技術)で暮らしていたが「カネ」の面だけで言えば裕福であり、当時は珍しいテレビ等の家電製品を皆が所有していたとか。
島には炭鉱だけでなく学校、幼稚園、医療機関、映画館、スナックや喫茶店なども存在していた。
上は実際に私が撮影した、南から見た軍艦島の全体像。本当に軍艦みたいに見えるよね。実際、太平洋戦争の折には米軍の潜水艦が敵艦と誤認して魚雷を打ち込んだ、なんていう話まである。
ドルフィン桟橋という船着き場に上陸して、トンネルを上がって最初に見るのが、島の北東部に見える小中学校跡地である。以下は実際のその写真。
これがNSさんの手にかかると…
おお! と思わず声を漏らしてしまった。一部残るクレーンやほかの建物は、NSさんの製作日誌によると「見所を残すために敢えて残している」のだとか。
写真だと実物がどれほど小さいか想像しにくいと思うが、このクレーン、本当に親指よりも一回りくらい小さい。本当によく製作されたなと思う。細かすぎる…。
島の一番高い丘の上にある団地は、幹部クラスの従業員とその家族が暮らしていた場所。こちらも、小学校が見えた場所の同じ場所からみることができる。
こちらも…
角度は違うけれどこのような感じ。草木の生い茂った様子が実に見事に再現されている。
本当に、模型を眺めていると懐かしさが込み上げてくる。
ここは島の南西部の端。手前にあるのはプール跡地。このあたりで、九州訛りのガイドのおじさんの話を聞いたな。「ばってん!」って叫ぶように言っていた。
模型を見ていると、旅行中は考えなかった細かいことに色々と気づくものである。
例えば、こんな密集した団地群である。人々の生活はどのようなものだっただろう?
島の、主に北側や北東側に住宅が密集しているのがわかると思う。
団地に挟まれた場所なんて、日光がほとんど当たらないわけだから洗濯物とかどうしてたんでしょうね?
それに、団地それ自体が堤防の役割も兼ねていたらしく、高波が来た際は潮が降る地区もあったのだとか(潮降街と呼ばれる一帯)。お金はあったかもしれないけれど、ここの生活は決して楽じゃないよね。
こちらは実際の写真(著者撮影)。集合住宅を乗せた巨大な戦艦。物凄い迫力だ。
そうそう、動画も作っていたのだった。添付添付っと。
これも本当に懐かしい…。観光客目線で撮影しました。
しかし、とても楽しい模型を頂いてしまった。
前述したけれど、模型をゆっくり眺めることで思いもよらぬ発見や、それまでは考えることのなかった当時の人々の生活の様子をじっくり想像することができた。模型が手元になかったら、ここまで想像力を膨らませることはなかっただろう。
新婚旅行当時のことを思い出し、妻とも思い出話に花が咲いた。
NS製作所さんは確かな腕をお持ちのモデラーさんです。
今現在、カッティングマシーンを導入して新たな事業を開拓されようとしています。
今後の動向も要チェック!
NSさん、今回は貴重なものをありがとうございました!
私も負けずに音楽諸々がんばるべ!