極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

ゴジラvsコング 怪獣映画に人間ドラマは不要だ!

 

 

 

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トカゲとゴリラのマジ喧嘩!

 

特撮怪獣映画に「ストーリーの深み」やら「人間同士のヒューマンドラマ」を求めるのは筋違いというものだ。怪獣映画なんてものは、はっきり言って観たあとで何も残らない。

オキシジェンデストロイヤーの仕組みや、メカゴジラの体の中の構造などの特撮知識が、私の人生で役に立ったことは殆どない。怪獣特撮に「学び」を求めることは間違いなのである。それで良いのだ。なぜなら、私たち特撮ファンが観たいのは、怪獣たちの大暴れ、カッコイイメカ、破壊されるビル群と大爆発だけで、他の要素等おまけを通り越して「蛇足」に過ぎないからだ。

 

そういう意味では今回の「ゴジラvsコング」はほぼ満点である。

全編通して人間ドラマは無し。前回の「キングオブモンスターズ」で見られたような、主要人物のイマイチ納得できない暴走や家族間の問題等、「公私」における「私」の部分は今作には見られない。ウェットな部分を潔く切り捨て、怪獣プロレスに振り切った快作。

 

「公私を描く」というのが、「映画シナリオを書く上での鉄則」である。ライターの専門学校等では「必ず」教わることだ。

天災や宇宙人からの侵略を描く、いわゆるディザスタームービーには、国家の対応や軍の行動とは別に、必ず主人公の家族の話や恋愛模様が描かれる。

「私」の部分を描くことによって、観客が感情移入しやすいようにすることが目的なのだろうが、こと怪獣映画、特撮等に関しては、この鉄則が「蛇足」になっているパターンが散見される。

前回の「キングオブモンスターズ」がまさにそれだった。「ゴジラ様とコング様という、圧倒的な役者キャリアを持ったお二方の共演の前では、そんな人間ドラマは不要!」と判断した、今回の制作サイドには盛大な拍手を送りたい。大成功だ。

 

以上を踏まえた上で、少しだけ気になる点を書いていく。

小栗旬氏の演じた「芹沢蓮」という役について。

前作で死亡した、渡辺謙氏が演じた「芹澤猪四郎」の息子という設定である。

この設定が作品を通じて全く生かされていないし、親子間におけるエピソードもまるで描かれない。「人間ドラマを切り捨てた」と前述したが、そもそも「芹沢」と名のついたキャラクターを登場させる意味があったのだろうか。

加えて、インタビューで小栗氏本人も語っていたが「英語の発音の難しさ」について。

そもそも日本語と英語では「母音」の数が違いすぎるため、日本人俳優が英語の発音をマスターするのは一朝一夕では済まされない。発音に苦慮されいてる様子が、演技から伝わってきた。

日本人俳優のハリウッド進出には大きな壁があることがよく理解できた。しかし、同時に役者としては健闘されていたように思う。特に、引き絵の際の立ち姿のクールさは他の俳優では代え難い。

 

もう一点は、メカゴジラのデザイン。アメリカ人ならではの工業的な造形に既視感があり、真新しさはなかった。

私が個人的に気に入っているのが日本版初期のデザイン。西洋甲冑と般若面のイメージを取り入れたオリジナリティあふれるものだ。子供のころに「ゴジラvsメカゴジラ」を見た際は、ひたすらメカゴジラのカッコよさに痺れたものだった。今回のメカゴジラのデザインに関しては、それほどの衝撃はなかった。

 

以上、二点ほど書いたが、今作が快作である事実に変わりはない。

過去の特撮やアニメ作品へのオマージュ満載で、特撮ファンやアニメファンへの目配せもバッチリである。

メカゴジラを操る芹沢の姿は「メカゴジラの逆襲」の登場キャラクター「真船かつら」を思わせるし、ゴジラの口に斧の柄を押し込もうとするコングの姿は、「キングコング対ゴジラ」のワンシーンそのままである。ジュール・ベルヌ作の「地底旅行」の設定をそのまま持ってきたところも見逃せない。人間ドラマ抜きでも決して中だるみせず鑑賞できる。

 

鑑賞中、日常の様々なことを忘れて映画の世界に没入できた。

本作を観終わって街を歩いていると、どこからともなくゴジラとコングがやってきて、ビル群を破壊しながら暴れまわってくれるような気分にさせてくれる。童心に帰ってワクワクできる、本作はまさに快作だ。