極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

2か月半休職、退職、次に進む。

 

 

今月15日付けで、6年ほど働いていた有料老人ホームを退職した。

原因は体調的なものが諸々重なったことにある。時系列的に書いていくことにする。

 

まずは、去年の冬から継続していた腰痛である。すべての元凶はここにある。

最初の段階では勤務中にバンテリンを腰部に塗ったり、コルセットを巻いて対処していたのだけれど、6月ころには眠ろうと思って横になっても痛みで眠れない日々が続いた。

 

ベッドに入り、腰部に痛みを感じる。横を向いても真上を向いても痛い。

そこそこ責任のある立場だったので、昼夜も休みも問わず会社のグループLINEからは業務連絡が入る。職場は過渡期というか変革期にあるらしく、ルールがどんどん変更更新される。痛みと戦いながら、何とか業務連絡を確認する日々だったが、次第にその連絡も追えなくなっていった。

 

不眠のはじまり。私は経験的に「これはまずいことになる」と感じていた。

 

20代のころ、鬱を患ってしまったことがある。あの時も不眠が全ての元凶だった。おかげで、人生でかなり貴重な「20代」という時間を私は「鬱との闘い」に費やすこととなった。周りの友人が昇進やら結婚やら子育てをしている中、私はひたすら自分自身の心と向き合う日々が続いた。限られた「若さ」という時間を棒に振ったようなものだった。

 

そんなわけで、自分の心が強くないのは経験的に理解している。

 

早々に心療内科に飛び込んだ私は、ドクターに頼んで「適応障害」の診断書を書いてもらい、休職する運びとなった。

こういう時、プライドが無い自分で良かったと思う。

 

あくる日、休職の指示をもらった私は、人間ドックを受けるため、雨が降りしきる中、東京駅へと向かうのだった。

 

ここでも心電図異常が確認される。

 

「ブルガダ症候群」というものをご存じだろうか?

かの昔は「ぽっくり病」と呼ばれたこともある、前触れなく心臓が止まり突然死してしまう病気である。最悪、寝たまま起きてこないで死んでいる、というパターンもあり。

10年前のガイドラインでは、発覚した時点でペースメーカー手術案件だったそうだ。

幸か不幸か、本人には自覚症状は全くなかった。痛くも痒くもない。

雨の日が続く6月初旬、私は心療内科と人間ドックのほかに、循環器内科にも行かなければならなくなった。ついでに歯も少し痛かった。歯磨きを怠ってたら、歯医者にも行くはめになっていたことだろう。

 

「ブルガダ」に関しては具体的な治療法はないし、再検査をしても結果は変わらず、現時点でできることは何もない。

「12月に再検査をして様子を見る」ことに落ち着いたが、ドクター曰く心電図に関しては「かなり気になる波形をしている」とのことだった。

 

 

そんなわけで、2021年の夏は

 

「腰痛」

適応障害

「ブルガダ症候群」

 

の3つの災いに、私は襲われていた。「腰痛」と「適応障害」の流れは自分でも理解できるものの、「ブルガダ症候群」は予想外だった。ひょっとしたら、かなり早い段階から無意識の領域で体が悲鳴をあげていたのかもしれない。知らんけど。

 

7月から9月半ばまでの2か月半、猛暑が続く夏の日々を、私はほぼ自宅で過ごすこととなった。

最初のうちは音楽を作ったり、ウェブサイトを作ったり、「シンエヴァ」やら「ゴジラVSコング」を観に行ったりしていたのだけれど、次第に先が見えない日々への不安が大きくなっていった。

 

「働き場所を変えよう」と決めたのは、9月に入った頃だった。

新しく9月分の診断書を心療内科の医師から受け取ったとき、「環境を変えるときが来た」と思った。6年間働いた場所で、未練がないわけではない。しかし、このまま診断書を貰い続けていても埒があかない。

6年。普通の会社なら部署異動なんかあっても良さそうな期間だ。私の父は銀行員だったが、私が記憶している限り3~4年に一度は転勤していた。癒着や不正を防ぐためである。環境を変えて、仕切りなおすには丁度良い。介護福祉士の資格も持っているし、この業界は労働者に対しては売り手市場だ。色々な場所で働いて経験を積むのも選択としては正しい。

 

今月17日、荷物の片づけのために出勤した。

事務所にて出勤中のスタッフの方々を集めていただき、一人ひとりお別れの言葉を頂いた。

思えば、仕事以外にも結婚式に出てくださった方々等、自分の人生の大切なイベントに携わってくださった方々も数多くいることに気が付いた。

ベトナムからはるばるやって来た実習生の方々も、来年には母国に戻られる。一期一会の儚さを痛感した。

 

体調を崩した自分のことが許せなかったのだけれど、そんな自分にも変わらず温かい目を向けてくれる人々がいることに気づき、思わず皆の前で涙をこぼしてしまった。

こういう、周囲の人々のやさしさに気づけない自分にいつも嫌気が差す。

でも、「ここに残って働く」という選択肢が、もう自分の中に無いこともわかっていた。

 

職場を去ったあとの一週間は、寂しさで心がグラグラと揺れていた。自分の居場所が一つ無くなった心細さで、気分も少し不安定になっていたと思う。

 

それも束の間。

一週間後、早速新しい仕事場に見学へ行ったとき、一週間抱えていた心細さが自然と収まっていくのを感じた。そこで働いている自分を想像できたからだと思う。

 

それに、働く場所は変わっても、変わらず仲良くしてくれる人たちもいる。

 

10月1日から、新しい場所で始業開始する。予報だと台風が来るそうだ。妻が言うには私は「相変わらずの雨男」だそうだ。今回も調子が良い、ということか。

 

体調がすぐれない中、変わらず生活を共にしてくれた妻には心から感謝している。生活の不安もあっただろうし、大きな喧嘩もした。申し訳ない。これからまた、返していく。

 

「腰痛」は、今はだいぶマシになった。ギターを立ったまま弾けるまでになったのが嬉しい。少し前まで、軽いアコギでもぶら下げられなかった。

適応障害」は、「腰痛」と職場の業務連絡が追えないというストレス要因が解消されたので、こちらもクリア。

「ブルガダ」は様子見。12月の再検査を待つ。

 

 

また、前に進もう。自分なりの、歩幅で。