身延へ行く 二日目 ー朝の下部温泉街、身延山、酷道を越えて本栖湖へー
昨夜の小雨も上がり、すっかり穏やかな晴れ間を見せる温泉街。
昨日の疲れも朝風呂につかることでゆっくりと癒えていった。
夜とは違い、日の光が降り注ぐ下部は穏やかで開放的ですらある。
温泉街ということもあり、湯治のための療院や神社が立ち並ぶ。ここにも「歴史」を感じさせる。
旅館街の裏手に神社があるようだ。カメラ片手に階段を上っていく。
朽ちてい建物。樹木が包み込むかのようだ。
一泊お世話になった宿「甲陽館」さんの前でシャッターを切る。
本日はこの旅の目玉である本栖湖に向かう。と、その前に、日蓮聖人を拝まなければならないので、身延山へと車を走らせる。
ここでも我々は思いもよらない建造物を目撃する。
いきなり鉄橋が現れる。工事車両用とのこと。台風の影響で陥落した箇所も多いし、新たに建設している道路等もあるのだろう。装飾のない無骨な建造物に、思わず男心がくすぐられる。
さて、身延山。
道中、武州屋という乾物屋に立ち寄る。ここでゆるキャン△の缶バッジがもらえるのだが、貰うためには買い物をした後で店員さんに「ゆるキャン△応援しています」と告げなければならない。弱冠恥ずかしい。
さて、最初に買い物を済ませたのはNSさんだった。お会計前に店員のおばさんに二、三言小話をした後で恥ずかしそうにいつもより低い声で「ゆるキャン△応援しています」と告げた。おばさんは慣れた口調で「はい、ありがとうございます」と言い、缶バッジを差し上げていた。
死んだ。爆散していくNS氏を、私はただ見ていた。
次は私の番である。弱冠恥ずかしい。死ぬ、と覚悟する。
お会計の際に「クレジットカード使えますか?」とおばさんに尋ねた後(レジにVISAのマーク付いてるから聞かなくてもわかる)、「ゆるキャン△応援しています」とおばさんに告げた。おばさんはまたもや慣れた口調で「はい、ありがとうございます」と言い、缶バッジを私にくれた。
恥ずかしさのあまり耳のあたりが熱を帯びてくるのを感じる。
これが、死か。
死んだ。
NSさんに続き、私も爆死したのだった。
そんなこんなで武州屋のレジ前で順を追って爆死した中年二人は、屍となった心を抱えたまま日蓮聖人の待つ身延山ロープウェイ乗り場へと向かうのだった。
身延山から富士を望む。
本日の最終目的地は目と鼻の先にある、と思いきや、ここから思わぬ酷道に迷いこむことになる。
いざ本栖湖へ。
と、その前に昼の腹ごしらえはカレー専門店「園林」へ。
「園林」が満席だったため、営業元である隣の「旅館山田屋」にてカレーを注文する。
そしてここでも我々はステッカー欲しさに「ゆるキャン△応援してます」と宣い、本日何度目かの爆死を経験するのだった。
南無、妙法蓮華経!
少し足を延ばして南部町の道の駅でお土産の買い物をすることになった。
目的地まではNSさんの計らいで、私が運転させてもらえることになった。
恥ずかしいまでのペーパードライバーだったので、色々とご迷惑をおかけしたが、自分にとっては本当に良い経験となった。やはり熟練のドライバーさんに横に居ていただけると安心感がある。
道の駅南部での買い物を済ませたあとは、NSさんに運転を代わっていただき、最終目的地の本栖湖へ。
昨日思い知った通り、国道300号線が台風被害で通行止めとなっているため、一旦北上して大回りに迂回しなければならない。
途中までは比較的道幅のある一般道を進んでいたが、林の多い山道に入ったところから酷道がスタートした。
対向車がすれ違えない一本道をひたすら進んでいく。対向車どころか、車一台でもかなり狭い道だ。目の前に対向車が来ないことを切に願いながら進んでいたが、なんと度々大型の工事用車両が目の前に立ち塞がることとなった。
後になって考えてみると納得できるのだが、それもそのはずなのだ。
普段使われているはずの国道300号線が不通、しかも、復旧のための工事車両が必要なのだ。大型車両であっても、普段使われていない林道を使用する他は無いのだ。
「本栖湖に行きたい」と言い出したのは自分だったので、NSさんには負担を強いてしまった。
しかし、目の前に大型車が来ても、颯爽と車をバックさせて幅の広い路肩に車を止めて安全確保をするNSさんのハンドルさばきに驚いた。運転技術の未熟な自分では対応できなかっただろう。運転の上手い人は、やっぱりカッコいい。
林道を抜けると、目の前に富士山が広がっていた。
感動も束の間、ここからもまた人通りの多い住宅地を進む。子供たちの下校時刻と重なったためか、やけに人が多い。しかも、ここも一本道がメイン。
大通りに出たところで、再度運転を交代させていただき、最終目的地の本栖湖へ。
ここまで長い道のりだった。NSさんには心から感謝です。
これが見たかったんだよな、と思った。
休職中の悶々とした日々の中、自分が求めていたのは「旅に出ること」だった。
コロナ禍もあり、気ままに旅行ができない閉塞感もあった。知らず知らずのうちに、そんな閉塞感が自分の心を蝕んでいたのかもしれない。
大きくそびえたつ富士山を眺めて、心の底から「来てよかった」と思えた。
帰りの高速道路はまたしても私にハンドルを握らせてくださった。高速はまともに運転したことがなかったので、本当にありがたかった。色々な方面で、良い経験をさせてもらえた。
帰宅後数日間は、まだフワフワと夢の中にいるような気持ちだった。
久しぶりに、本棚から「つげ義春」の漫画を引っ張り出して読んだり(つげ氏の漫画にも、度々温泉街が登場する)、旅先で訪れた場所を自分なりに調べたりもした。調べれば調べるほど、身延周辺はまだまだ奥が深いと感じる。また行かねばならんな、なんて思う。
一日目の記事の冒頭にも書いた通り、今回の旅は自分にとって、ある種の癒しになった。集落や廃墟、陥落した道などに身を置くことで、自分の日常を客観的に見れたような気もする。
社会から隔絶された空間の中にも、変わらない美しさがある。
それは、現代的な美とは違うのかもしれない。朽ちていく鉄の錆、それを包むような緑。そういったものをもっと見てみたい。そして、そこにあったはずの光景に、思いを馳せたい。
また旅に出よう。
最後に、NSさん本当にありがとうございました。