極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

AIと我々は共存できるのか? 大躍進するAIアプリ、人間の努力の価値とは?

 

 

数か月ほど前に、SNS上で「NovelAI」等の自動画像作成サービスが突如現れた。

単語を入力して瞬時に希望のイラストが出力される。しかも高画質。現役で活動されているイラストレーター並みの画像が、瞬時に手に入る。料金は流行りの月額制。

出力されるイラストの完成度の高さに、個人で活動されているイラストレーターさんたちは動揺されていたのだった。

 

「AIに命令して作成された画像の、著作権は誰にあるのか?」

「あんなことされたら依頼が減ってしまう」

「背景描きなどの、アシスタントとしての仕事は激減するだろう」

 

等など、様々な意見が飛び交っていた。

 

「大変なことになったものだな」と、半ば対岸の火事のように思っていたが、どっこい。音楽家は音楽家で、こんなサービスが作られたもんだから、さあ大変!!

 

 

flat.io

 

 

カラオケ音源作成とか、楽譜があればこれでできてしまうじゃないか!

私に関しては、これで「カラオケ音源受け付けます!」の生業が一つ減ってしまうわけである。。。

音質の問題やら、「ミックスやマスタリングができない」など、現状完璧なものではないのだけれど、そんなのは時間の問題。技術とは日進月歩である。遅かれ早かれ実現すると考えるのが賢明だろう。

 

AIというやつは中々に面白いやつだと思う。我々人類は、面倒な計算やら、創造性のないデータ管理等を彼らAIに押し付けたかったのに、あいつらときたら、クリエイテヴィティに関しても高い情報量で能力を発揮しやがる。

恐れ入った。かくして、人類側のクリエイターたちは、情報豊かなAIが持ちえない(はずの)「独自性」やら「意外性」で勝負するしかなくなったのである。

 

そう、彼らは過去の情報の集積体でしかない。だとすれば、我々人類は前人未到の領域にトライするしかない。それもすぐに「情報」として彼らに取り込まれるだろうけど。

そして、ついには人類を凌駕するクリエイテヴィティを有したAIが登場するかもしれない。前述したが、技術とは日進月歩なのだ。

 

こうなってくると、人間の「努力の価値」について考えさせられる。

イラストの場合、イラストレーターというのは幼い頃からずっと絵を描いてきて、高い金払って美大や専門学校に通い、時に批評され、時に見下され、数多い試練を乗り越えて「絵描き」として成熟していくのだけれど、彼らが時間をかけて培ってきた「絵描き」としての技術やノウハウが、数分数秒でAIはモノにできてしまうのである。

 

音楽もしかり。ギター弾きの場合は毎晩寝る前に必ず運指練習、クリックを聞きながら演奏練習の他に、エフェクターを大量に購入して音作り研究、作曲作詞の勉強など、多岐にわたる学習と努力、それを実施するための財力を要するのだけれど、AIはそんな我々の努力などいざ知らず、数分数秒でプロ仕様の音源を作れてしまうわけである。

 

こういった現象はやはり今後、他分野でも頻発するだろう。

例えば、私は半年ほど前から寝る前に必ず英語学習を行うことを日課としているのだけれど、そんな私の努力も優秀な翻訳ソフトが登場すれば、無意味と化すのかもしれない。

 

車も自動運転の時代が到来すれば、ドライバーは不要となる。

事務職は要らなくなる。データ管理はAIが行う方がミスがない。

薬剤師は要らなくなる。これも上に同じ。

税理士も要らなくなる。マイナンバーなどの財務管理システムさえ構築できればAIが管理できる。

 

今後10年は上記の事柄は起きないだろうとは思う。第一、「事務職は無くなる」ってのはもう10年くらい前から言われてて未だに無くなってないので、こういう予想は大方の希望的観測を多く含んでいるものだ。

それでも、それらの職業が今後衰退していく可能性は十分にある。

頭では理解しているつもりだ。

問題は、そんな時代を前にして「自分はどうするのか」である。

 

時代の変革期に、私たちはいるのかもしれない。こういう類の話をする際、私はいつも「司馬遼太郎」氏の書いた「燃えよ剣」を思い出す。新選組の活躍と衰退、副長:土方歳三の生涯を描いた一大巨編だ。

鳥羽伏見の戦い」が個人的に非常に印象的な本作。主人公土方歳三は、数の上では遥かに勝っている幕府側につき、薩長率いる新政府軍に「必ず勝てる」と確信していた。

が、結果は新政府軍の持つガドリング砲などの近代兵器に味方をバタバタと殺されていく。

 

鍛錬してどんなに剣の腕を磨いても、近代兵器の前では無意味だったのだ。

そんな現実を目の当たりにした土方は、同僚に対してこう宣う。

 

「もう刀と槍の時代は終わりましたね」

 

そう言って、半ば恍惚とした表情で笑みさえも浮かべるのである。

 

「次は洋式でやってやる!」と潔く発想を転換する土方氏。色気のあるシーンだ。

こだわったって駄目なものはダメなのだと、それまでの努力を簡単に放棄できる姿に、胸が熱くなったのを覚えている。

 

もちろん、ここで描かれている土方歳三司馬遼太郎の創作キャラクターだし、「司馬史観」はフィクションに寄りすぎていることも知っている。

でも、今後我々がどうするべきなのかがこの土方の描かれ方に表れているように思う。

自分がこだわっていたこと、それまで培ってきたものが通用しなくなったとき、私たちはそれを一時的にでも手放すことができるか?

こだわりを捨てて、次の時代へと発想を転換できるか?

 

我々人類がAIと共存するための第一歩は、それを乗り越えるところから始まるのかもしれない。