極楽記録

ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギター、「森のシンガーソングライター証」氏のサポートギタリストのサエキの記録

MADE IN JAPAN HYBRID 60S JAZZMASTER by Fender Japan を買った。やっとまともなギターを持てた話。

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念願叶って購入しました。

 

コロナの自粛ムードが続く今日この頃。正直に書くと、私自身も中々活気が出ない日々が続いていた。仕事中は割り切れるのだけれど、家に帰るとグッタリと潰れるように過ごす日々が続いていた。

大好きな創作も、あまり捗らない。せっかくボーカロイドを始めたものの、今は止まってしまっている。その他にも、極楽蝶でのアイディアもあるにはあるが、動かせずにいる。これは自分としては一大事である。好きなものに活気を見出せなくなる時ってのはかなり精神的にキテる時である。

 

そんな自分に喝を入れるべく、新しいギターを購入した。上記の画像のものである。

 

以前から「ちゃんとしたギター買わなきゃな」とは思っていた。これを買う前に持っていたギターといえば、生まれて初めて買ったエレキギターであるFERNANDESの「JG-55S」と、私といえばお馴染みのBURNSの赤いストラトキャスター。どちらも5万円以下。長年使用でネックも曲がってきている。とても使いものにならない。バンド「dropsfilm」のレコーディングの時なんて、ボーカルのヤマムラさんからギターを借りて録音していたくらいである。長年使用していてこんなこと言うのも悪いのだけれど、二本ともグレードが低いし音色のクオリティも期待できない。

 

これから先もこれらのギターを使い続けることに不安を感じていた。

去年あたりからコツコツと貯金をするようになった。「ジャズマスター貯金」である。

夏のボーナスもいただき(今年は少なかったぞ! 大激怒!! もらえるだけマシだと思えとか言うなよ!! 一労働者として真剣に怒っているぞ!!)、懐に余裕ができたので購入に至った。

 

 

購入の際、トラディショナルのジャズマスターも比較のため試奏させて頂いた。

こちらも人気機種である。

 

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お馴染みのサンバーストカラー。ジャズマスターといえばこの色。

試奏してみたときは、正直あまり良い音だとは思わなかった。「これがどうして人気なのだろう」とさえ思った。楽器屋さんの調整の問題なのだろうか? かなりノイズが乗っていたし、音がキンキンと響いた。

これがジャズマスターか、これが「良い音」とされているのなら、次に弾く本命のギターの音も不安になるな、と思った。

 

そして、次に試奏したのが本命のこちら!

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弾いた瞬間に音が「バリン!」

「うお! これは! 全然さっきのと違う!!」

 

同じ機種とは思えないほどパワーがあった。コードを弾いてみたら圧倒するほどの音圧を感じた。単音で弾いても図太い音が出る。ピックアップをセンターに設定するとクリーントーンがきらびやかに響いた。先ほどのトラディショナルにあった耳障りなキンキン音がない。

 

「これこれ! こういうのが欲しかったんだよ!」と有頂天! その後も10分くらい試奏していた。

 

どうやら、トラディショナルのものとはピックアップが違うようである。慌ててスマホで調べると、本命である「hybrid」の方は、Fender America製品と同じV-Modピックアップを使用しているのだとか。なるほど、音の太さが段違いだ。

 

家に帰って鳴らしてみても、その図太い音色への感動は薄れず。今まで持っていたギターたちが過去のものとなった。二本のマイギターよ、私を育ててくれてありがとう。

 

しかし、味気ない話なのは、やはりクオリティというのはカネで買うしかないのだろうかね。少し前まで「楽器は値段じゃなくて、どう弾くかだ!」なんて思っていたのだけれど、10万円以上掛ければグンとクオリティが上がる。うーん、こいつは何とも悔しい話だねぇ。

 

最近は休日でも活気がなくて、ギターを弾くことは無かったのだけれど、ここ最近はこのジャズマスターをガンガン弾いている。最近はギターを弾かずに過ごしていたので、腕が確実に鈍っている。指の動きが思うようにいかない。リハビリが必要だ。

でも、鈍っていた腕を回復させたら、そろそろ創作も再開したいところ。コロナで落ち着かない日々が続くが、無理せず一歩一歩再開していこうと思う。

 

 

 

村上春樹「風の歌を聴け」ー「鼠」の正体と、村上春樹小説の一貫性ー

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今までの人生で、何度読んだかわからない。

時折、気が向いたときにパラパラとページをめくり、開いた箇所を読む。読んだ後、この小説の主人公のように振舞いたくなる。そんな小説だ。

 

風の歌を聴け」は村上春樹のデビュー小説である。当時、バーを経営していた20代の村上氏は、ある日の午後の野球場で、試合を観戦していた時に急に思い立ってこの小説を書き始めたのだった。

毎晩店を閉めた後の数時間。この小説は断続的に書かれていった。そうして書かれた彼の小説は、物語のセオリーである「起承転結」を完全に放棄し、「若き主人公が地元神戸に帰る」という設定だけを残した短いエピソードの集合という形式で書かれた。閉店後の店で断続的に書かれたが故に生まれた、普通とは異なった形式である。

 

舞台は1970年夏、大学生の主人公「僕」は地元である神戸へと帰省する。「鼠」と呼ばれる友人と「ジェイズバー」でビールを飲みながら退屈な日々を過ごす。

帰省中で主人公「僕」が出会う「小指のない女の子」との出会い、すれ違い。やがて元居た場所に帰った「僕」は、もう戻ることのない一夏を想う。

 

物語の大枠は上記した通りだ。その他に、小説家デレク・ハートフィールドの逸話や、哲学者の引用の羅列、唐突に挿入されるラジオ番組の放送などを交えて、物語は進んでいく。

 

私がこの小説を何度も読んだ理由は、この小説が持つ時代性にある。

引用や逸話の羅列、唐突に挿入される場面転換、これは70年代フランス映画の巨匠「ゴダール」を思わせる。実際、村上氏は「ゴダールの影響を強く受けている」と公言もしている。神戸という港町での男女のやり取りも、「気狂いピエロ」を思わせる。読んでいると、赤や青の原色鮮やかな世界が浮かび上がる。

 

そして、何より特筆すべきは主人公「僕」と友人「鼠」とのやり取りだ。

「金持ちなんてみんなクソくらえだ」という「鼠」の正体を、私は長い間掴めずにいた。最近では、この「鼠」というのは、過ぎ去ってしまった「60年代的価値観」なのではないだろうかと思うようになった。

 

「金持ちはクソくらえ」というのは、「30代以上を信用するな」「戦争反対」という、世界に対する否定ではないだろうか。

60年代は、いわば否定の時代だった。信じるに足る正義がそこにはあったし、構図としてわかりやすかった。若者は学生運動に参加し、社会の不正義を正そうとした。

圧倒的正義がそこにはあった。まさか、敗北するとは思わなかっただろう。

 

学生運動が終わった後、多くの若者は何に対してコミットして良いのかわからなくなった。村上氏もその一人だった。彼の小説に出てくる主人公が、人と距離を取って接しようとしたり、必要以上に熱くなるのを避けて客観的になろうとするのは、結局自分の信じていたものが崩壊してしまって、何も信じられなくなってしまったからではないだろうか。

 

60年代的価値観の象徴である友人「鼠」が苦悩する様もよく理解できる。

小説の舞台は70年代だ。街にはビーチボーイズの「カリフォルニアガールズ」が流れている。「素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね」と朗らかに歌われるその歌には、60年代的な否定の価値観は存在しない。「金持ちはクソくらえだ」という言葉さえも、時代を先取りした(架空の)小説家ハートフィールドの小説のタイトル「気分が良くて何が悪い?」に一蹴される。

否定ではモラルがもたない。主人公「僕」はそれを知っている。だから「鼠」に対して「うまくやっていくしかない」という趣旨の言葉を諭すように言う。それに対して「鼠」は「あんたは本気でそう思うのか? 嘘だと言ってくれないか?」と困惑する。60年代的価値観は、70年代ではもう通用しなくなってしまっているのだ。

 

このことからわかるように、この小説は60年代を過ごした人間の喪失感が描かれている。84年生まれの私が理解するのに苦しんだ理由がそれかもしれない。時代を共有していない人間には伝わりづらい物語ではある。でも、学生運動という名の60年代が残した爪痕の大きさというのは、現代にも大きな影響を及ぼしているのは確かだ。

そして、村上氏は今に至るまで、その「60年代が残した爪痕」についての事柄を、小説に描き続けているのである。

 

 

この物語を書いた後、村上氏は様々な形で「60年代の爪痕」を物語にする。

恐らく、村上氏の創作の大きなテーマがそこにあるのだろう。

60年代的価値観の終焉を描く「羊をめぐる冒険」、その後の内閉性を表した「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、愛による内閉からの離脱の物語「ノルウェイの森」などの後続する代表小説。

 

オウム真理教などの新興宗教の台頭は毛沢東思想「人民公社制度」から派生されたもので、これも「学生運動の産物」であり、「60年代の爪痕」の一つだ。小説「1Q84」では、新興宗教に関する描写がある。現時点での長編最新作「騎士団長殺し」にも、たった一文ではあるが、関連性を持たせるような描写がある。

 

この「風の歌を聴け」という小説は、まさしくそれら後続小説の起源である。村上氏の描こうとしているテーマは、デビュー作から常に一貫していたのだ。その事実に舌を巻く。

60年代とは何だったのか。その巨大な闇の全貌を、村上氏も我々も、まだ掴めずにいるのだ。

 

 

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 

風の歌を聴け (1979年)

風の歌を聴け (1979年)

 

 

 

 

初音ミクに挑戦した話。

 

 

コロナ禍のため、仕事以外は家にこもる生活が続く中で、どうも最近は創作に気持ちが向かなかった。普段なら外出で気分転換ができたのだろうけど、ここ一か月はそれが敵わないため、知らぬ間にストレスが溜まっていたのだろう。

 

そんな中、先週に妻が以前から持っていた「初音ミク」のソフトをダウンロードさせてもらった。

 

昨日と今日は滅多にない連休だったので、二日かけて久々の創作をしていた。鬱屈した日々が続いていたこの頃、久しぶりに集中して創作に取り組めた。

 

二日間の成果がこれ

 


初音ミク オリジナル ボカロ曲「puddle and rainbow」ラフミックスver.

 

録音自体は録り終わっているのだけれど、ミックスがまだ仮の段階で、しかもワンコーラスのみ。

これから完パケし、完パケしたら今度はニコニコ動画の専用アカウントを立ち上げ。

それから、イラストを描いてくれる方を募集。歌詞字幕付きの動画作り、と、まあ前途多難。やることは多い。

 

しかし、初めてボーカロイドを使ってみたけれど、これは操作に慣れるまで一苦労だ。

でも、一通り歌を打ち込み、ボーカロイドに歌ってもらうとやはり感動する。

苦労した甲斐はある。

 

曲自体は、かれこれ16年前に作ったもの。僕が20歳の時だ。

当時大学生だった僕は、大学の先輩に誘われて、とあるバンドに加入した。

「majestic 19」という名前のバンド。ライブは一度もできなかった幻のバンドだ。

 

加入当初に「何か曲を作って持ってきてほしい」と頼まれ、作成したのがこの曲だ。

カセットテープのMTRにギターとエレクトーンを使って録音し、デモを作った。

 

自分としては「苦労せずに作れた曲」という印象だったが、バンドメンバーの評判は悪くなかった。というか、代表曲になったくらい。

 

当時のバンドメンバーとはもう交流は無い。皆、元気にしてらっしゃるだろうかね。

 

ボカロ曲、いい加減流行り終わってしまっているし、今更という感じもあるけれど、やってみると中々楽しいことがわかった。お蔵入りしている曲も沢山あるし、初音さんに歌ってもらうことにしよう。

 

 

 

 

 

慣れ親しんだ飲食店(チェーン店)に送るエール。~コロナに負けるな!~

昨日は夜勤明け。

 

夜勤明けの僕の個人的な楽しみの一つとして、秋葉原アトレ1Fにある「丸亀製麺」に行くというのがある。夜勤業務がある方々は皆それぞれ楽しみがあると思う。例えば、「夜勤明けに飲むビールが最高」などなど。お酒が体質的に受け付けな僕は、健康健全に「とろ玉うどん」と「かしわ天」を食すわけである。

 

昨日は絶望した。

 

アトレ秋葉原店は現在、コロナウィルスの影響により食料品店以外は営業を自粛している。「丸亀製麺」に続くはずのエントランス。その冷徹な金属で構成されているシャッターは無情にも降ろされていたのだった。

自粛のための臨時閉店である。

わかっている。これが正しいことなのは重々承知である。命を守る行動、それがすべてだ。夜勤明けのうどんが美味なのは、平和である証だったのだ。今は、コロナウィルスの猛威によって、すでに平和な日々は過ぎ去っている。

頭では十分すぎるほど理解している。それなのに、何なんだ、この悔しさは?

 

降ろされたシャッターの前で立ちすくみながら、僕は独り涙をこらえている自分に気が付いた。映画館、ライブハウス、歌声酒場。俺の好きなものをとことん奪いやがるコロナウィルス。お前マジで許さねぇぞ。

 

そう心に強く思った。

 

結局僕はそのまままっすぐと家路につき、自転車に乗って10分ほどの場所にある地元の「丸亀製麺」へと向かうのだった。その日は奮発して「牛とろ玉うどん」を食した。夜勤明けはやっぱりこれやな。

 

そんなわけで、大ピンチである。

コロナウィルスのせいで、いつもの日常が徐々に変質しつつある。以前は名前ばかりで全く機能していなかった「緊急事態宣言」も、徐々にその姿を表しつつある。

いや、とても良いことだと思います。かく言う僕も「緊急事態宣言」というか「都市封鎖」を4月初頭から実施してほしかった人間である。早いうちに手を打てば、長い目で見れば経済的損失は軽く済むはずだと思った。このままいけば万単位の人間が亡くなる。コロナ対策が主に経済対策に中心に進んでいるのも解せない。人の命あってこその経済である。経済の観点から言っても人は「資源」だ。お金を作り出すのは人間だろ?

 

「緊急事態宣言」「都市封鎖」は大歓迎だ。しかし、自分の大好きな店が補償されず消えていくのは心苦しい。現在、企業に対して都道府県を中心に補償する動きが出てきているが、それでも潰れる店は潰れる。何とかならないものだろうか。

 

そんなわけで今回は、微力ではあるが僕の個人的に大好きな飲食店について書いていこうと思う。僕の日常を構成していたチェーン店の皆様。まだまだ存続してほしいと願うばかりです。

 

 

1:丸亀製麺アトレ秋葉原

loco.yahoo.co.jp

 

まずは前述した、ここ。夜勤明けは必ずここ。

他店舗と比べて狭い、メニューも少ない。いつも「とろ玉うどん」を頼むのだけれど、最近は3割の確率で玉子の黄身が割れている。店員さんが一か月に一度チラシをくれるのだけれど、最初の頃は「これ要ります?」と説明もなく差し出してこられたため「これって、なんですか?」と聞き返さなければならなかった。

そんなわけで色々とあるのだけれど、立地的に帰り道だし店もフードコートのように開放的なので入店しやすい。

本当は地元の大きな「丸亀製麺」の方がメニューも豊富だし、店内もスーパー銭湯のお食事コーナーのように広くて最高なのだけどね。そちらの店舗は身バレが怖いのでリンクは差し控えます。

 

 

 

 

2:しゃぶ菜 マルイ北千住店

www.hotpepper.jp

 

しゃぶ菜。妻と休日が被ったときはたまに利用する。

ここはランチがコスパ最強。豚肉と牛肉の皿が一皿ずつついて、野菜や麺類は取り放題、ごはんお替り自由。それで税込み1000円ちょっと。二人で二千円ちょっと。エポスカードのポイント貯まる。ランチが最強。むしろランチでしか行ったことない。

しゃぶ菜のランチは方々で評判のようで、ネットで検索すると色んな人がブログを書いていますね。信頼に厚い。

 

 

 

3:とんかつ新宿さぼてんアトレ亀戸

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我が家では、妻の給料日はハーゲンダッツを買う、僕の給料日にはとんかつを食いに行くことが定例化している。うまいよね、とんかつ。ごはんと味噌汁、キャベツがお替り自由なのも良い。

ここは従業員の女性の方が対応がとてもお上手である。割烹着を着て、見た目には「お母さん」という感じ。てきぱきと動かれていて、見ていてこちらも「頑張って働こう」という気持ちになる。チェーン店だし、わざわざここを選ぶ必要はないのかもしれないが、我々に関してはこの「お母さん」の顔を見に行っているわけである。

給料日、とてもうれしい日に食べるとんかつ。今月もがんばるぞ、と思える。

 

 

 

4:牛角北千住駅前店

loco.yahoo.co.jp

 

焼肉。焼肉は神である。ゴッヅオブゴッド。

我々夫婦にとって牛角の「お気軽コース」は節目の気合い入れの儀式となっている。

M3などの即売会の前、去年は大みそかに気合いを入れて新年を迎えるべく食しに行った。

ゴッヅオブゴッド。店も暗くてジャズが流れていてお洒落。他の牛角の店舗と比べてもゴミゴミに混んでいることもなく、比較的ゆったりと時間を過ごせる。ゴッヅオブゴッド。

 

 

さてさて、どれもチェーン店ばかりである。

どのお店も、僕の日常の中にある店だ。そんな店が、コロナウィルスの猛威にさらされているのだ。慣れ親しんだ安心して来店できる店が、危機に瀕している。何気ない日常が奪われる。そのことが悔しいのである。

営業中のお店も、コロナ対策で大変な思いをされていると思う。消毒液は足りているだろうか? お客も「良い客」ばかりではないし。スタッフの方々も苦しい思いをしていないだろうか?

今回のコロナ騒動で、自分の馴染みのチェーン店の数々がいかに自分の日常を応援してくれていたのかがよく理解できた。安心できるお店で食べる、少しだけ贅沢なごはんやリーズナブルなランチ。我々はその中から日々の活力を貰っていたのだ。全てのお店が以前より美しく神聖な場所に思える。

今は不要不急の外出は自粛しているため来店できない。溜息をこぼすばかりだ。

 

また何も考えずに楽しい気持ちで来店したく思う。

収束したら、お金沢山つかうぞ!

がんばれ! 飲食店!

皆さまは、私たちの日常の応援団。今日は僭越ながら私からエールを送らせていただきました。 

 

 

 

「audiostock」にて新曲を販売しています! 追記:コロナ禍での僕の生活

 

一か月くらい前のことになりますが、BGM販売サイト「audiostock」にて新曲の販売を開始しています。

 

ウッドベースとストリングス、シンセを使ったほのぼのとした楽曲です。 

 動物が出てくるような動画、日常系のアニメ動画、演劇でのBGMに最適です。

2:30あたりで猫の鳴き声のようなギターの音色が入っています。

発想次第で様々な場面でご利用いただけます。ぜひご購入ください。

 

 

 

そうそう、ウチの近所は猫が多いんです。

昼寝をしているのもいれば、せわしなく動き回っているのもいて、見ていて楽しい。

一匹、白と茶色の大柄な猫がいる。腹周りの肉付きが良い。要は太っているんだけど、こいつが体型に割に行動範囲が広かったり、用心深かったりして、止まっているのを殆どみたことがない。

人を見かけると”わっ!”と逃げる。ウチの近所で見かけたと思ったら、少し離れた公園で見かけたりもする。とにかくよく動く。見かけたら写真や動画を撮ろうと思うんだけど、体型の割に素早いので中々撮らせてもらえない。

 

「こんなに年中動きまわっているのに、どうして彼はこんなに太っているのだろう」

と、いつも不思議に思う。

 

猫にとっては、ただの住宅街であっても一つの遊び場であり、冒険のステージだ。

人が入れないような家々の隙間を自由に行き来する彼らを見ると、「自由だな」と感心する。まあ、見た目以上に大変な生活をしているのだと思うけど。雨はしのげないし、雪なんて降った日には凍えて、運が悪ければ生死をさ迷うだろうし。

 

そんな猫の日常に思いを馳せて作った。

 

 

 

話は変わって、世界中でコロナウィルスの猛威が止まらない。

外出自粛で、僕も仕事以外では家にいることが殆どだ。本当なら、仕事も行きたくないくらいだが、介護施設スタッフなのでリモートワークもできず、現場に行かなければならない。

 

緊急事態宣言が出たのに満員電車に乗らなければならない。絶望するしかない。

国は何をやっているんだ?と憤る。「仕事を自粛しろ」と言われても、我々のような施設スタッフは休むわけにいかない。金銭的な事情等でも休むことができない人々は数多くいる。そういう方々は補償して差し上げて、安心して家に居られるようにさせてほしい。

 

いつの日か、また何も考えずに旅行したり映画を観に行ったりできるだろうかと考える。また動画も撮りたいし、スタジオに行って録音もしたい。

ライブハウス、歌声酒場、給料日になると妻と二人で行っていたとんかつ屋、ディズニーランド、ハウステンボス、軽井沢、富士急ハイランド、鎌倉、浅草、ETC,ETC…。

 

今は、想像力を働かせよう。

どこにだっけ行けるし、何だってできる。

想像力こそ、最後の砦だ。

 

震災から9年が経った

 

3月11日で、東日本大震災から9年の歳月が流れた。世間では年一回のイベントのようになってしまっているが、自分に関して言えば、あの震災についての事柄は殆ど毎日のように思い出している。

現在の政治や経済の状況について考えてみても、震災でのダメージを引きずっているように思えてならない。「なんだか、日本はずいぶんカネがなくなったな」と、見ていて思う。国際競争力は年々低下しているし、かつては「日本の技術は世界最高だ」なんて言われていたのも今は昔。そろそろ「後進国」と呼ばれるようになるんじゃないか、と不安に思う。

 

福島第一原発に対して、あとどのくらい俺たちはカネを払い続けなければならないのか?

 

復興支援は進んでいるのか?

 

故郷を追われた人々が帰る場所は?

 

結局、この9年間で進んだものは何もなかった。1万5000人以上が亡くなった大災害を経験しても、この国は変わることはなかった。国のトップが変わり、SNSで人々は「あの日から私は変わりました! 大切なことに気が付きました!」という「小さな自分革命」投稿をネットの海へ投げ込んだ程度だ。

日本の各地で、原子力発電所は今も動き続けている。福島第一原発放射能汚染は続く。次のデカい一発が来たら、どうなるのか? 無責任に「安全です」と言えるのか?

 

結局、皆何かを変えた気分でいただけだ。あれだけのことが起きたのに、人々は何も変わらなかった。変わらず元の消費社会に戻っていったのだった。

 

あの時のことを考えると、この国の行く末に絶望すら覚える。

 

 

9年前の自分はどうしていただろう?

当時僕は、27歳だった。喫茶店で働いていた。「無職の言い訳」で、資格の勉強なんかをしていた。受かる自信なんてなかった。生きていくことが恐ろしかった。

眠れない日々を過ごすことが多かった。自分の人生に匙を投げていた。

 

震災が起きた3日後、新聞で被災地付近の海岸に約2000人の遺体が流れ着いたと書かれていた。その日はベッドから起き上がれなかった。亡くなられた方々に申し訳なかった。不謹慎なことだが、「どうして自分ではないのだろう」と思った。

 

石巻にボランティアに行ったのも、今思えば当時の自分の現実から逃げたかったからかもしれなかった。非常識だと思われてしまうかもしれない。「誰かの役に立ちたい」という気持ちも、低すぎる自己肯定感から来るものだった。要は、自分のためだ。

ボランティアに行った後も、相変わらず明日が来るのが恐ろしいばかりだった。

自分の現状と向き合い、足を一歩前に出すのに、その後もずいぶんと時間が掛かったのだった。

 

あの日から9年が経った。

 

今は、よく眠れている。

介護の仕事をしている。あの時のボランティアでの体験も、役に立っていると思う。辛いこともあるが、あの日々のことを考えれば大したことはないと思える。

結婚して、妻と二人でささやかに暮らしている。大好きな音楽や映画を楽しみ、たまに写真を撮りに出かけたりしている。

 

時折、被災者の方々が失ったのは、こんな日常だったのではないか、と考える。

 

この生活が無くなったら、きっとまた自分は9年前の自分のように眠れない日々を過ごすのだろう。

 

何が起きるか、わかったものではない。

 

震災から10年目、我々は何を見るのだろう?

 

 

なんだか、まとまりのない文章になってしまった。

 

そんなネガティブな心境の中で石巻に行ったことを、反省している。

妙な言い方になるが、いつか近いうちに私は石巻を訪れるべきじゃないかと思っている。あの日々を過ごした自分と、ちゃんと「仲直り」するべきかもしれないと、今は思う。

 

 

 

 

 

 

京都へ向かう。S氏との再会。

3月初頭のことである。 

我々の音楽活動におけるマネージャー的存在「S氏」が住む京都へと訪れた。

昨年の夏の終わりに、30年以上にわたって生まれ育った東京を離れ、京都へと旅立ったS氏。LINEの投稿を見る限り、京都ライフと初めての一人暮らしを満喫しているようだったが、真相やいかに。私は新幹線に飛び乗り、京都へと一人向かうのだった。

 

改札にて感動の再会もつかの間、電車の関係で我々はダッシュを余儀なくされたのだった。我々が向かったのは、京都観光地の最南端である宇治市。山河が作り出す景色は、さながら俳句や短歌の世界のようだ。

 

平等院鳳凰堂にて。

 

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横からの構図も美しい。

 

休日に京都市内を徒歩で歩き回り、名所を知り尽くしたS氏。案内に無駄がない。

彼がいなかったら気づくことのなかった発見や、出会えなかったおいしいものなどが沢山あった。さすが、自分の好きなものに対しては全く手を抜かない男である。

 

平等院の後は、清水寺へ。

 

 

 

 

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清水の舞台。やはり横からのショットが決まる。

 

修学旅行コースではあるが、大人になってからめぐると新たな発見がある。

しかし、美しい。山や木と、寺という人工物が見事に調和する。

 

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五重塔、町屋が並ぶ通り。

 

古都京都の魅力は、やはり徒歩でないと見えてこない。

町屋や長屋がひしめく市街。ロマンを感じる街並み。

 

縁切り神社に恐れを抱き、そのまま平安神宮へ。

 

 

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イベント自粛とはいえ、人々はちらほらいらっしゃる。

 

 

S氏のおかげで無理なく効率よく散策できた。ご自宅にまでお邪魔してしまったし、お土産も沢山持たせてくださった。交通費やら昼ご飯も頂いてしまった。相変わらずお世話になりっぱなしだ。

元気な姿を見れて安心した。変わらず器用な男である。これからも京都ライフを楽しんでいただきたい。

 

ありがとう、S氏! 感謝です! また遊びにいきます!