
アメリカのオルタナティブロックバンド「スマッシング・パンプキンズ」(通称:スマパン)の来日公演が決定した。来日自体は12年ぶり、日本武道館公演は25年ぶりとのこと。
晴天の霹靂だった。何を隠そう、私はスマパンの大ファンである。41歳になった今でもリリースされるたびにCDを必ず購入しているただ一つのバンドだ。唯一の推しである。
来日が決定してからチケットが取れるまで落ち着かない日々を過ごした。SNSでスマパン関連の情報を調べると、中年以上と思われるファンの皆様が狂喜乱舞している。先行購入枠は即日売り切れ。普段、ライブチケットを予約する習慣がない私は大幅に後れを取り、抽選枠に応募、一週間後に何とか武道館公演に当選し胸をなで下ろした。
しかしまあ、抽選期間の一週間は胃に穴が空くような思いで過ごした。次にいつ日本に来るのかわからない、唯一の推しバンド。高校の頃は彼らの音楽にどっぷり浸かり、どこに行くにもスマパンのCDを持ち歩き、ポータブルプレーヤーで聞いていた著者である。「絶対観たいんだけど、倍率高そうだよなぁ」と諦めかけていたが、無事に当選。本当にほっとした。
高校生の頃の自分に教えたい。「お前、41歳の時にスマパンを生で観ることになるぞ。ほかにも山ほど良いことがあるから頑張って生きろよ」と。
そんなわけで、スマッシング・パンプキンズについて語ろうと思う。
音楽的にはロックに分類される彼らの音楽。オルタナティブロックバンドの代表格として語られ、動と静を自在に行きかうサウンドに焦点が置かれがちだが、私が思うに彼らの音楽の最大の特徴は「歌詞の文学性」にあると思う。
もちろん、音楽面での彼らの才能は疑いようもない。特に、フロントマンであるビリー・コーガンの才能には圧倒されるばかりだ。
ディストーションを効かせたギターと強靭なタムロールでアグレッシブな楽曲を響かせたと思えば、アコースティックギターで揺蕩うような歌を奏でる。かと思えばストリングスを豪華に使い壮大で長大な楽曲を披露する。エレクトロミュージックへの追及も余念がない。音楽的には、ほとんど隙がないと言っていいし、彼ほど才能を感じるアーティストを私は知らない。
でも、ビリー・コーガンの才能はそれだけにも留まらない。一番見過ごされがちな歌詞にも、彼の溢れんばかりの才能をみることが出来る。こと日本において、洋楽の歌詞というのは見過ごされがちである。今回はそんなスマッシング・パンプキンズの歌詞を中心に語ろうと思う。あくまで著者である私が選んだ楽曲群になると思う。彼らの音楽の魅力が伝われば、と願う。
1.cherub rock
著者が一番好きなアルバム「サイアミーズ・ドリーム」から一曲。
cherub というのは天使、智天使のこと。
純粋な人々=アーティストたちのことか。

マーチングバンド風のスネアロールから始まる不思議な楽曲。印象的なギターのオクターブ奏法は、タイトルにあるように天使が羽ばたいているようにも聴こえる。
歌詞を見てみる。
As long as there's some money
”金がある限り、甘い蜜を吸いたがる奴はだれだ?”
著者が持っていたCDの和訳には「金があんなにあるのに、だれがはちみつなんて欲しがるんだ?」と訳されていたのだけれど、これはおそらく「as long as~」 を「as much as~」と同じ意味に訳しているのだと思う。
この曲はビリー・コーガンによる同世代バンドへのアジテーションだ。
”ススんだ考えの奴は団結しろ! ロックのためのデカい戦いに備えるんだ!”
恐らく、サビで歌われる「甘い蜜を欲しがるやつ」というのは音楽業界で金を稼ぐ人々のこと。若かりしビリーも、きっと彼らの口車に乗せられたことがあったのではないかと推察できる。「言われたときに聞いとけばよかった」とも歌っているし。
同世代のロックバンドに対して団結を促し、アーティストとして純粋に音楽を作ろう!と呼びかけた楽曲。
歌詞を上記のように理解しておけば、ライブで演奏されたときに拳をブチ上げたくなること間違いなし。ファイトソングである。
余談だが、イントロのフレーズについて、ビリー・コーガンはこんな逸話を話している
。「友達が迎えに来てくれるのを待つ間、頭の中であのリフが聞こえてたんだ。で、家に帰るまで『話しかけないでくれ!』ってお願いして、到着するなりさっそくギターを弾いて作ったんだ」とのこと。
名曲っていうのは突拍子もない瞬間に降りてくるものだ、ということがわかる。興味深い話だ。
↓
2.mayonaise
これは本当に青臭くて切ない曲。
冒頭の、星空を描くような二本のクリーントーンギターが美しい。そして、雪崩のようにディストーションギターが響き渡る。
私が好きな歌詞のフレーズは、
"PIck your pocket full of sorrow, and run away with me tommorow."
「悲しみでいっぱいの君のポケット、それを持って、明日僕と一緒に逃げよう」
なんてナイーブなんだろう。
この歌には傷ついた若き青年の姿が見える。すごく青臭い。でも、この曲を聴くといつも私は、若かりし頃の自分を思い出して切なくなる。
サビで「わかってよ、やるときはやるんだよ」と叫ぶ歌声に、思わず眼がしらが熱くなる。心の中にいる若かりし自分に「大丈夫だ、大丈夫だ。心配するな」と言ってやりたくなる。
↓ こちらは、オリジナルメンバーのジェームス・イハとのリユニオンセッション。
長らくバンドを離れていたジェームスとの再演一発目の曲が、彼との共作曲である「mayonaise」。
この曲でリユニオンだなんて、粋な演出だ。
ちなみにタイトルの「mayonaise」には、深い意味は無いそう。「たまたまそこにマヨネーズの缶詰があったから」とのこと。
3.Let me give the world to you
これはストレートなラブソング。歌詞が最高すぎる。
”train wrecks hide underneath your umbrella"
↑
初めてこの曲を聴いたとき、この歌詞にすべて持ってかれた。「恋に落ちた」といっても過言ではない。なんて美しいフレーズだろう、と今ここで書いていても思う。
train wrecks というのは文字通り「列車事故」の意味もあるんだけど、ほかにも「精神的にボロボロな人」なんていう意味もある。
訳してみると…
「列車事故は、君の傘の下に隠れる」
「列車事故」の部分を「ボロボロになってしまった自分」と置き換えて、
無理やり意訳してしまうと…
「ボロボロになった僕は、君の傘の下で守られている」
という風にも訳せると思う。
目の前で情景が浮かんだ。この曲を聴いて私は、英語の歌にも「詩心」があるということを理解した。抽象的で詩情に富んでいて、美しい言葉。どん底から手を伸ばすような、愛に救いを求めようとする歌だ。
サビの際に流れるチェロの重さにも陰鬱さが表れているし、「深い悲しみの中で、何が自分のものだかわからなくなった」とも歌われるくらい、この曲の主人公は落ち込んでしまっている。
それでも、サビの「let me give the world to you」のリフレインには、祈るような力強さを感じる。聞いていると、不思議と顔を上げて空を見上げたくなる。
ちなみに、この曲は彼らの4枚目のオリジナルアルバム「adore」の際に制作され、アルバムには収録されなかった幻の曲だ。「adore」ツアー中にライブでは演奏されており、後に一度目の解散をした際にウェブ上のみでリリースされたアルバム「machina Ⅱ」で別バージョンが収録されている。合計3ヴァージョンある、ということ。
オリジナル版より賑やかな演奏で、明るい雰囲気。
↑
こちらも完全に陰鬱さが消え、明るい曲調となっている。ちなみに、著者がこの曲を初めて聞いたのは、このヴァージョン。
4.1979
これはもう名作中の名作。アメリカ文学とロックの稀有で幸福な融合。
「イノセンスの喪失」「過ぎ去っていった美しい時間へのノスタルジア」というアメリカ文学の伝統を、ビリーは4分程度の楽曲ですべて表現してしまった。
過ぎ去っていく少年時代についての思いというのは、国や時代を超えて普遍的なものだということがよくわかる。
ところどころわかりづらい歌詞が出てくるのだけれど、
例えば、
"junebug skipping like a stone."
この"junebug"はフォルクスワーゲンのビートルのこと。

サビの部分の"zipper blues"に関しては、翻訳者によって解釈が違うのが面白い。
単に「古臭いもの」と訳したり、「欲求不満」と訳したり、「うつ病のメタファーだ」と言う方もいたり、かなり手ごわいワード。
軽快なエイトビートに乗せて、青春期の不安が歌われる。
”僕らの骨は、塵になってどこにいってしまうんだろう。
多分、忘れられて、大地に吸い込まれるんだ”
"通りでは今話題のことにかかりっきりで
ご覧の通り、ここにはだれもいない"
(著者意訳)
自分がどこに行くのかわからない不安を抱え、エイトビートを刻む車に乗って、僕らは過ぎ去った日々を思いめぐらす。
ちなみに、この曲にも興味深い制作秘話がある。
「当時、僕の生活は破綻していて、引き継いだボロい車でピザ屋のデリバリーのバイトをしてたんだ。その日のシカゴは雨が降っていて憂鬱で、信号待ちの時にバックミラーに映った風景が、まるで幼い子供のころのように感じたんだ。それがこの曲のフィーリングだよ」
和訳がうまくいかなくて申し訳ない。でも、興味深い話だと思う。
5.silvery sometimes
エイトビートとクリーントーンのエレキギターはもう彼らの御家芸。
往年のファンなら「なんだ、セルフカバーをやっているのか」と思ったことだろう。
先ほど書いた、彼らの名曲「1979」に酷似している。
しかし、私はここでもう少し踏み込んで考えてみたい。
先ほども述べた通り「1979」は過ぎ去っていく青春をつづった歌だ。大名曲だし、ビリーの詩心が炸裂した文学作品とも呼べる、彼の代表作だ。
で、なぜこの「silvery sometimes」で、「1979」を彷彿させることをやるのか?
歌詞を読めばわかるが、この曲はロックスターになった後の自分たちを振り返っている。「1979」では子供時代を振り返ったが、ビリーは再びエイトビートを使って自分の人生を総括している、というわけ。
"spit like a poet's gun"
”詩人の銃のように唾を吐く”
"rue like a tyrant"
"暴君のように暴れる"
上記二つは、ロックスターとしての自分の姿。
”こんなこと、いつまで続けられるかな”、とも歌われる。
そして、私が気になるのは以下のフレーズ。
"kingdoms of my kingdom come"
「僕の王国のお迎え」
kingdom come というのは「お迎え」という意味。
中年期を過ぎようとしているビリーが、自分の人生を振り返り、そこはかとなく自身の死を意識しているとも取れる。
しかし、同時にサビでは、
"we're in the middle , ghosts"
"俺たちは真っ只中にいるんだ、ゴーストたちよ"
と歌われる。
つまりこれは、お迎えに来た幽霊たちに対して「いやいや、俺たちはまだまだ途中だから。まだ来ないでくれ」と言って追い返している、と私は推測しているのだけれど、どうでしょう?
有識者の方、英語に詳しい方からしてみれば、笑われてしまうような推測かもしれないが、もし私の推測の通りであれば、希望のある歌詞だと思える。
事実、中年期以降のビリー・コーガンは、若かりし時に比べてかなり充実した生活を送っているように見える。
パンプキンズとしての音楽活動以外にも、プロレス団体をいくつも経営したり、自身の番組「magnificent others」ではファシリテーターとしてゲストと対談したり、音楽以外でも様々な才能を持つビリー・コーガン。私生活でも服飾デザイナーのクロエ・メンデルと結婚し、現在では3人の子供の父親である。一番下の子は今年になって生まれたし(ジュノって名前の女の子だそうです)、ただいま幸せの絶頂だろう。
若かりし頃の、バンドとして成功を掴むまでの苦労や、成功を掴んでからの紆余曲折を考えたら、年齢を重ねた現在の方が公私ともに幸せそうに見える。若いころは未来に対して不安を抱いていたのだろうけど、実際におじさんになってみると、そんなに悪くなかったどころか、ずいぶんと幸せになった、という歌なのではないだろうか。
"silvery sometimes"
時々は銀色、という意味だろうか。
若い時のようにずっと輝き続ける("stay gold")ことはできないけど、時々なら銀色に輝ける、この歌は、そういう意味ではないだろうか?
上記は私のこの曲に対する思い込み、というか、妄想的な解釈だ。的が外れていたら申し訳ない。でも、いずれにせよ、ユーモアあふれるMVも含めて大好きな楽曲だ。
まとめ
改めて総括してみると、スマパンは本当に名曲ぞろいで奥が深い。
今回は歌詞についてのまとめになったが、やはりビリーにとって歌詞は楽曲と同様に重要な要素なんだと改めて感じた。ビリー自身もフィッツジェラルドのファンだし、文学への造詣も深い。同時に、英語ネイティブスピーカーでないとわかりにくいような表現も数多く使われており、難解な表現も多い。
英語学習者の端くれとして私も大いに刺激される。もっと理解したい、と素直に思える。また勉強しよう。
秋の来日が待ちきれない。彼らが日本武道館に来るまでの数か月間、一人スマパン祭りをして過ごそうと思う。





