極楽記録

ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギター、「森のシンガーソングライター証」氏のサポートギタリストのサエキの記録

震災から9年が経った

 

3月11日で、東日本大震災から9年の歳月が流れた。世間では年一回のイベントのようになってしまっているが、自分に関して言えば、あの震災についての事柄は殆ど毎日のように思い出している。

現在の政治や経済の状況について考えてみても、震災でのダメージを引きずっているように思えてならない。「なんだか、日本はずいぶんカネがなくなったな」と、見ていて思う。国際競争力は年々低下しているし、かつては「日本の技術は世界最高だ」なんて言われていたのも今は昔。そろそろ「後進国」と呼ばれるようになるんじゃないか、と不安に思う。

 

福島第一原発に対して、あとどのくらい俺たちはカネを払い続けなければならないのか?

 

復興支援は進んでいるのか?

 

故郷を追われた人々が帰る場所は?

 

結局、この9年間で進んだものは何もなかった。1万5000人以上が亡くなった大災害を経験しても、この国は変わることはなかった。国のトップが変わり、SNSで人々は「あの日から私は変わりました! 大切なことに気が付きました!」という「小さな自分革命」投稿をネットの海へ投げ込んだ程度だ。

日本の各地で、原子力発電所は今も動き続けている。福島第一原発放射能汚染は続く。次のデカい一発が来たら、どうなるのか? 無責任に「安全です」と言えるのか?

 

結局、皆何かを変えた気分でいただけだ。あれだけのことが起きたのに、人々は何も変わらなかった。変わらず元の消費社会に戻っていったのだった。

 

あの時のことを考えると、この国の行く末に絶望すら覚える。

 

 

9年前の自分はどうしていただろう?

当時僕は、27歳だった。喫茶店で働いていた。「無職の言い訳」で、資格の勉強なんかをしていた。受かる自信なんてなかった。生きていくことが恐ろしかった。

眠れない日々を過ごすことが多かった。自分の人生に匙を投げていた。

 

震災が起きた3日後、新聞で被災地付近の海岸に約2000人の遺体が流れ着いたと書かれていた。その日はベッドから起き上がれなかった。亡くなられた方々に申し訳なかった。不謹慎なことだが、「どうして自分ではないのだろう」と思った。

 

石巻にボランティアに行ったのも、今思えば当時の自分の現実から逃げたかったからかもしれなかった。非常識だと思われてしまうかもしれない。「誰かの役に立ちたい」という気持ちも、低すぎる自己肯定感から来るものだった。要は、自分のためだ。

ボランティアに行った後も、相変わらず明日が来るのが恐ろしいばかりだった。

自分の現状と向き合い、足を一歩前に出すのに、その後もずいぶんと時間が掛かったのだった。

 

あの日から9年が経った。

 

今は、よく眠れている。

介護の仕事をしている。あの時のボランティアでの体験も、役に立っていると思う。辛いこともあるが、あの日々のことを考えれば大したことはないと思える。

結婚して、妻と二人でささやかに暮らしている。大好きな音楽や映画を楽しみ、たまに写真を撮りに出かけたりしている。

 

時折、被災者の方々が失ったのは、こんな日常だったのではないか、と考える。

 

この生活が無くなったら、きっとまた自分は9年前の自分のように眠れない日々を過ごすのだろう。

 

何が起きるか、わかったものではない。

 

震災から10年目、我々は何を見るのだろう?

 

 

なんだか、まとまりのない文章になってしまった。

 

そんなネガティブな心境の中で石巻に行ったことを、反省している。

妙な言い方になるが、いつか近いうちに私は石巻を訪れるべきじゃないかと思っている。あの日々を過ごした自分と、ちゃんと「仲直り」するべきかもしれないと、今は思う。

 

 

 

 

 

 

京都へ向かう。S氏との再会。

3月初頭のことである。 

我々の音楽活動におけるマネージャー的存在「S氏」が住む京都へと訪れた。

昨年の夏の終わりに、30年以上にわたって生まれ育った東京を離れ、京都へと旅立ったS氏。LINEの投稿を見る限り、京都ライフと初めての一人暮らしを満喫しているようだったが、真相やいかに。私は新幹線に飛び乗り、京都へと一人向かうのだった。

 

改札にて感動の再会もつかの間、電車の関係で我々はダッシュを余儀なくされたのだった。我々が向かったのは、京都観光地の最南端である宇治市。山河が作り出す景色は、さながら俳句や短歌の世界のようだ。

 

平等院鳳凰堂にて。

 

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横からの構図も美しい。

 

休日に京都市内を徒歩で歩き回り、名所を知り尽くしたS氏。案内に無駄がない。

彼がいなかったら気づくことのなかった発見や、出会えなかったおいしいものなどが沢山あった。さすが、自分の好きなものに対しては全く手を抜かない男である。

 

平等院の後は、清水寺へ。

 

 

 

 

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清水の舞台。やはり横からのショットが決まる。

 

修学旅行コースではあるが、大人になってからめぐると新たな発見がある。

しかし、美しい。山や木と、寺という人工物が見事に調和する。

 

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五重塔、町屋が並ぶ通り。

 

古都京都の魅力は、やはり徒歩でないと見えてこない。

町屋や長屋がひしめく市街。ロマンを感じる街並み。

 

縁切り神社に恐れを抱き、そのまま平安神宮へ。

 

 

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イベント自粛とはいえ、人々はちらほらいらっしゃる。

 

 

S氏のおかげで無理なく効率よく散策できた。ご自宅にまでお邪魔してしまったし、お土産も沢山持たせてくださった。交通費やら昼ご飯も頂いてしまった。相変わらずお世話になりっぱなしだ。

元気な姿を見れて安心した。変わらず器用な男である。これからも京都ライフを楽しんでいただきたい。

 

ありがとう、S氏! 感謝です! また遊びにいきます!

 

 

 

新丸ビルにて誕生日会

 

 

3月13日は妻の誕生日ということで、新丸ビルの「AW KITCHEN」にてランチに出かけた。

 

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乾杯ドリンクは搾りたてジュースと生姜エール。

 

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和風パスタ。丁度良い量で満たされました。

 

 

サラダバーとイチゴデザートは食べ放題。丸の内の人々は健康的で意識が高い。

都会的な雰囲気の中での食事は久々だ。緊張するけれど、背筋が伸びる感じもたまには良い。

 

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思いのほか、市議会議員のフェイスブックアイコンのような写真が撮れてしまった。

ご満悦である。

 

 

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コロナウィルスの騒ぎのせいか、外国人の姿はあまり見られなかった。

 

妻のおかげで毎日楽しく過ごさせてもらっている。

仕事で大変な日があっても、家に帰ると待っていてくれる人がいるというのは、それだけで幸せなことだ。毎日感謝である。

 

これからもよろしくお願いします。

「tears in rain」という曲について。

 

新曲は歌なしのインストゥルメンタル。極楽蝶の新アルバムに収録しようと考えている。

 


tears in rain (inst.)

 

 

言うに及ばず、ブレードランナーという映画からインズパイアされた。

それに加え、最近ネット上で話題になっている「low-fi beat」(ロー・ファイ・ビート)

からも影響を受けている。一応カセットテープMTRを使用してテープコンプやテープノイズを残してあるが、ローファイになり過ぎないようにゆるく掛けた。

 

今年の冬は雨が多かったように感じる。そんなわけで、こんなジメッとした曲が生まれた。

ギターソロは、本来ならサックスの音の方が似合いそうだ。

雨の音とサックス、色気があるね。ギターで弾いてみたけれど、なるべくサックスに近い音色にしたつもりではある。

春の長い夜に、聴いてみてください。

 

 

誕生日を迎えました。

 

2月の話になってしまいますが、誕生日を迎えました。

 

https://www.instagram.com/p/B9Em1d1JIf2/

 

 

当日は妻が予約してくれた錦糸町のレストランでチーズフォンデュの食べ放題を頂いた。

 

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濃厚でおいしいチーズフォンデュ。食がすすむ!

 

 

プレゼントに、ベストとボタンダウンのシャツを頂きました。

 

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頂いたシャツとベストにニットタイをコーディネイト。

 

 

36回目の誕生日、毎年妻とお祝いできることを幸せに感じます。

しかし、36歳か。私も歳をとりました。でも、これからも楽しむ気持ちを忘れずに日々を過ごしたい。年齢のことはあまり気にせず。

 

これからもどうぞよろしく。

 

 

BOOTHにて、キリカの過去作品を販売開始しました。

 

リエーターのための販売サイト「BOOTH」にて、私と妻のユニット「キリカ」の1st album「ロマンチックで残酷」がリリースされました。

今まではライブでの物販や同人音楽イベント「M3」でのみ販売しておりましたが、改めて「ロマ残」を聴いてみて、我ながら「これは良い」と思い感動してしまったので急遽販売することにしました。

 

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バラエティに富んだ意欲作!

 

 

キリカは2014年の秋ごろに結成した。お互いにそれぞれの活動が忙しかった中、その年のクリスマスイブにライブをやることになったり、翌年は同人即売会に出ることになったりで、忙しい合間を縫ってひたすらに曲作りをしていた記憶がある。仕事の他にバンド活動、サポート業務等で忙しいながらも、今思えば音楽のことばかり考えていて、とても充実していたと思う。

 

キリカの1st albumは、それまで自分一人ではできなかったことを全て注ぎ込んだ意欲作となった。「あれもやりたい、これもやりたい」といった具合で、アイディアが尽きることはなかった。まあでも、アイディアが尽きないのは今も同じだけれど。

試聴版はこちら!


キリカ 1st album「ロマンチックで残酷」ダイジェスト

 

 

BOOTH販売サイトはこちらへ! ダウンロード価格500円!

booth.pm

 

 

 

 

その他の商品も500円でお買い上げいただけます。

 

booth.pm

 

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皆さま、よろしくお願いいたします!

 

NS製作所さんから軍艦島の模型を頂きました。

 

凄いものを頂いてしまった。表題の通りである。

 

 

どん!!

 

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世界よ、これが頂いた軍艦島だ!

 

 

こんな素晴らしいものを仕事のちょっとした合間に渡してくださった。

巨大なゴディバの紙袋を手渡され、中を開ければ軍艦島である。仕事中だというのにぶっ飛んでしまった。危うく新人の指導を忘れるところだった。

 

そして、昨日NSさんのブログを改めて確認してさらに驚いた。1月28日に、この「軍艦島」の製作日誌をアップロードされていた。すっかり見過ごしていた。そうか、この日は確か俺、国家試験受けてたわ…。

 

しかし、いつも思うのだけれど、NSさんの製作日誌は情報量が豊富である。

調べた事柄を自分の言葉で書かれているところに真摯さを感じる。ただ模型を作るだけでなく、その背景や歴史を調べる姿勢が素晴らしい。

 

僭越ながら、リンクを張らせて頂きやす。

ns-manufacturing.com

 

しかし、素晴らしい再現度だ。僕は2年前の6月に妻と二人で新婚旅行で軍艦島を訪れたのだけれど、この模型を眺めているとその時のことを思い出す。

NSさん本人は軍艦島は未踏とのこと。行ってないのにここまで再現できることにさらに驚く。資料だけでここまで作れるというのは相当な観察眼の持ち主である。

 

 

今日の昼は妻と二人で写真を撮ってよく観察してみた。

 

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見ればみるほどよくできている…。



軍艦島はかつて炭鉱の採れる島として栄えた産業都市である。「産業都市」で、しかも島。ナウシカみたいだ。それだけでもう無条件でアツい。

最盛期には5000人ほどの住民が暮らし、街全体も賑わっていた。住民たちの多くが狭い集合住宅(鉄筋コンクリートは当時最先端技術)で暮らしていたが「カネ」の面だけで言えば裕福であり、当時は珍しいテレビ等の家電製品を皆が所有していたとか。

島には炭鉱だけでなく学校、幼稚園、医療機関、映画館、スナックや喫茶店なども存在していた。

 

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 上は実際に私が撮影した、南から見た軍艦島の全体像。本当に軍艦みたいに見えるよね。実際、太平洋戦争の折には米軍の潜水艦が敵艦と誤認して魚雷を打ち込んだ、なんていう話まである。

 

ドルフィン桟橋という船着き場に上陸して、トンネルを上がって最初に見るのが、島の北東部に見える小中学校跡地である。以下は実際のその写真。

 

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これがNSさんの手にかかると…

 

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おお! と思わず声を漏らしてしまった。一部残るクレーンやほかの建物は、NSさんの製作日誌によると「見所を残すために敢えて残している」のだとか。

写真だと実物がどれほど小さいか想像しにくいと思うが、このクレーン、本当に親指よりも一回りくらい小さい。本当によく製作されたなと思う。細かすぎる…。

 

 

島の一番高い丘の上にある団地は、幹部クラスの従業員とその家族が暮らしていた場所。こちらも、小学校が見えた場所の同じ場所からみることができる。

 

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こちらも…

 

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角度は違うけれどこのような感じ。草木の生い茂った様子が実に見事に再現されている。

 

本当に、模型を眺めていると懐かしさが込み上げてくる。

 

 

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ここは島の南西部の端。手前にあるのはプール跡地。このあたりで、九州訛りのガイドのおじさんの話を聞いたな。「ばってん!」って叫ぶように言っていた。

 

模型を見ていると、旅行中は考えなかった細かいことに色々と気づくものである。

例えば、こんな密集した団地群である。人々の生活はどのようなものだっただろう?

 

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島の、主に北側や北東側に住宅が密集しているのがわかると思う。

団地に挟まれた場所なんて、日光がほとんど当たらないわけだから洗濯物とかどうしてたんでしょうね?

それに、団地それ自体が堤防の役割も兼ねていたらしく、高波が来た際は潮が降る地区もあったのだとか(潮降街と呼ばれる一帯)。お金はあったかもしれないけれど、ここの生活は決して楽じゃないよね。

 

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こちらは実際の写真(著者撮影)。集合住宅を乗せた巨大な戦艦。物凄い迫力だ。

 

そうそう、動画も作っていたのだった。添付添付っと。


軍艦島観光動画

これも本当に懐かしい…。観光客目線で撮影しました。

 

 

しかし、とても楽しい模型を頂いてしまった。

前述したけれど、模型をゆっくり眺めることで思いもよらぬ発見や、それまでは考えることのなかった当時の人々の生活の様子をじっくり想像することができた。模型が手元になかったら、ここまで想像力を膨らませることはなかっただろう。

新婚旅行当時のことを思い出し、妻とも思い出話に花が咲いた。

 

 

 

 

NS製作所さんは確かな腕をお持ちのモデラーさんです。

今現在、カッティングマシーンを導入して新たな事業を開拓されようとしています。

twitter.com

今後の動向も要チェック!

 

NSさん、今回は貴重なものをありがとうございました!

私も負けずに音楽諸々がんばるべ!