映画「ジョーカー」鑑賞。バットマンでは救えないヴィランたち。
公開初日、平日の午前中だというのに劇場はほぼ満員。劇場に向かう前にオンラインでチケット予約をしていて正解だった。
DCやマーベルなど、ハリウッドでも大流行りのアメコミものではあるけれど、バットマンやスーパーマンが登場する映画ならここまでの集客力はなかっただろう。
ヒーローが出てきてボカスカ殴るだけの映画は他にも山ほどある。そういうのは熱心なアメコミファンに任せておけば良い。
前評判や予告編でアピールされ続けていたことだが、本映画は「アメコミ映画」の皮をまとった社会派映画である。例を挙げるなら「タクシードライバー」、チャップリンの「モダンタイムズ」。うまくいけばいけば映画史に残る作品となる。そして、重厚で陰鬱な予告編を見る限り、それは「うまくいっている」と確信できる。
つまり、「映画ファン」を自称するなら「絶対観なければならない映画」なわけだ。
そして、私は貴重な休日で滅多にしない「早起き」をして、TOHOシネマズ上野まで向かったわけである。コミックファンのみならず、映画ファンまで巻き込んだ本作の全貌をこの目で観た。
パンフレットを参考に、あらすじを少し書いておく。
舞台は1980年代初頭のゴッサムシティ。
不況にあえぐゴッサムシティでは、清掃局のストによって町中がゴミの山、貧富の差が拡大し犯罪が横行。
コメディアン派遣業で日銭を稼ぐ主人公アーサー。
彼は脳機能損傷によって緊張すると笑いが止まらなくなるという持病を抱え、精神科セラピーに通って薬を処方される日々を送っている。
ゴッサムの治安悪化の中、彼も仕事中に不良グループから暴行を受けるなどの被害に遭遇する。
老朽化したアパートで要介護の母と二人暮らしで、母は思い立つとすぐ地元の有力者トーマス・ウェイン氏に手紙を送っている。「30年前に、ウェインさんの元で働いていたの。今の私たちを見たら、彼が私たちを見捨てるはずがない」。貧困に苦しむ母の唯一の希望が、ウェイン氏に手紙を書くことだった。
派遣先の小児病棟でピストルを落としたことが原因で、アーサーは派遣業を解雇される。
その後、電車の中でウェイン証券の男たち3人が一人の女をからかっている場面に遭遇する。ピエロメイクのアーサーは笑いが止まらなくなり、それを見られて男3人に暴行され、発作的に持っていたピストルで3人を射殺。
“正体不明のピエロ男が、富裕層の証券マン3人を殺害”
この出来事がきっかけで、「ピエロの殺人者」は街の困窮者から英雄視され、ゴッサム中が「金持ちを殺せ」というスローガンであふれ、ピエロマスクをかぶった集団が各地で発生する。
市の財政難のため福祉サービスは閉鎖され、セラピーに通うことも薬を処方されることもできなくなったアーサーは、更なる狂気の淵へと落ちていく。
貧富の格差、障害者への無理解と無関心、虐待がどれほど人間を追い詰めるのか。
そして、本映画で描かれる荒れ果てたゴッサムシティの様子は、今ある現実社会と大きく重なる。日本以上に格差のあるアメリカなんかは特にそうだろう。「国民皆保険」じゃないしね、日本みたいに。福祉サービスの停止なんて、考えただけでも恐ろしい。
そういった状況で生まれてくる「悪」(というか、悪と呼ばれるもの)に対して、自警のバットマンはどれだけのことができるのか。
夜な夜な蝙蝠の恰好をして、潤沢な資金を使って揃えた兵器でヴィランたちを暴行し、刑務所に送り込む。
そんなことを無限にやっていても、はっきり言って埒が明かない。問題の根本を野放しにする限り、「悪」は生まれ続ける。その兵器を作った金を使って社会福祉事業や寄付を行った方がよっぽど「悪」の根絶につながるだろう。
何より、ジョーカーのような「悪」を生み出しているのは、彼らの声に関心を持たず私腹ばかり肥やしている「有力者」=バットマンたちではないか。
物語中盤、ウェイン証券の3人組に暴行されているジョーカーが彼らを射殺したとき、妙なカタルシスを覚えてしまった自分がいた。「金持ちを殺せ」というスローガンにも同様だ。
アーサーがウェイン氏の邸宅を訪れるシーンが印象的だった。
塀に囲まれたウェイン氏の邸宅。塀のすぐそばに、小ぎれいな恰好をした幼いブルース(のちのバットマン)がいる。塀の中にいる人間たちは塀の外にいる人間には関心など持たない。貧困に苦しんでいても、障害の無理解に生きづらい思いをしていても、「あっちに行け。近づくな」と言う以外、アーサーにかける言葉はない。
しかし、視点を大きくすれば、我々も加害者だ。例えば、これを読んでいる人の中で、中東の貧困に対して関心を持っている人間がひとりでもいるだろうか?
いつぞや、フランスでテロ事件が起きたときにフェイスブック上でプロフィールアイコンをフランス国旗色に加工するのが流行った。しかし、シリアで空爆が起きてもだれ一人としてアイコンをシリア国旗色に加工する人はいなかった。
つまりこれは言うなれば、フランスは塀の「こちら側」で、シリアやイラクは「あちら側」だという無意識の理解だし、我々は「あちら側」の人々のことなど気にもしていないということの証明なのだ。
視点を広げれば、我々も「無関心」に支配された加害者である。誰も怒れる立場にはないのかもしれない。
911以降、ヒーロー映画において「正義」を描くことは難しくなっている。
現実世界では、自警のヒーローが悪を殴るだけでは解決できない問題が多いし、なによりも悪を生み出しているのが我々の社会だからだ。
本映画「ジョーカー」は、ジョーカーという一人のヴィランの誕生を描くことで、逆説的に「ヒーローが本来、何をしなければならなかったのか」を描くことに成功している。物語終盤でバットマン誕生のきっかけが描かれるが(ファンサービスかもね)、物語をここまで観てきた人間なら皆思うはずである、バットマンは無力であると。
富と名声、権力を持ったものの責務とは何か。
力を持ったものが果たさなければならない社会的正義とは何か。
新たなヒーロー像が求められる。
「デスペラード」、「ベンチュラハイウェイ」、名曲たち。
義理父のバンドでよく演奏されるのだけれど、先日の軽井沢ライブを見た後で妻が「私も歌いたいのでギターを弾いてほしい」と言ってきた。
歌詞カードとコード譜を義理父から頂き、練習している。
しかし参ったな。デスペラードって「ならず者」という意味だし、てっきりギャングやチンピラの孤独を唄った歌だと思っていた。アントニオ・バンデラス主演の同名の映画の影響もあったし。
よくよく歌詞を読んでみると、まったくそんなことはない。
どちらかというと、ふさぎ込んでしまって外に出られなくなっている友人を励ますような歌だ。訳詞を見てると泣けてくる。
ふさぎこんでいる「ならず者」に対してこの歌詞の主人公は「フェンスを降りて、ドアを開けるんだ」「誰かに愛されるために行け」と促す。
他にも「ダイヤよりもハートのクイーンを選べ(お金よりも愛を選べ、の暗喩)」、「君のテーブルの上には素晴らしいものが沢山あるだろ?」、「手に入らないものばかり欲しがるなよ」等など、思わずはっとさせられる名言の連続。
「ならず者」って訳すのは変だね。「悩める友」みたいな風に訳した方が良いのかも。ちょっと古臭い言い方だけれど。
義理父たちのバンドが演奏する曲の中での僕のお気に入りはこの曲。
↓
前半のギターフレーズ、メジャーセブンスコードの爽やかさが印象的。
旅人に語り掛けるような歌詞。中盤から疾走感に乗ってしっかりと助走を取り、「Did,did~」のスキャットの部分で一気に広がりを持たせる。
青い空と渇いた荒野、流れる車窓を連想させる。
こういう、風景を連想させる曲が好きだ。ヘッドフォンを付けたまま別の次元に行ける気がする。巷じゃラヴソングばかりでこういう曲が少ないからね。
名曲揃いのフォークロック。まだまだ出会えていない曲がありそうだ。
60~70年代カルチャーへの思い。
義理の父の影響で、最近は60~70年代の音楽史を振り返ることが多い。
学生の頃からこの時代に興味関心があった著者であるが、最近改めて振り返る機会が多かったので、備忘録的にこのブログに記しておこうと思う。
今よりも音楽が娯楽の大部分を占めていた60~70年代。若者がこぞってアコースティックギターを弾き、レコードを聴いていた時代。
ベトナム戦争、ヒッピー、カウンターカルチャーの創生など、世界情勢が激動を迎えるのと比例して、文化の方も爆発的に多様化した時代だった。
音楽や映画を見ているとわかるのだけれど、この時代の若者は本気で大人と戦っていたんだよな。作品を鑑賞していると、思わぬところで「大人と同じことはやらねぇぞ!」という意思を見つけてしまう。
長く伸ばしたブロンド髪のニール・ヤングは、ギター一本と歌で世界と対峙した。
ゴダールは三脚からキャメラを外し、手持ちカメラで作品を作り続けた。
ヤクでヨレヨレのウィリアム・バロウズは、ヨレヨレのまんま頭の中の支離滅裂な散文を書きなぐり「裸のランチ」を出版した。
共通しているのは「今までのやり方」を完全に否定していることだ。
「大人社会」を完全に拒否している。「あいつらは戦争ばかりしている」と。
ジミヘンの切り裂くようなギターが鳴り響いたウッドストックフェスティバルで頂点を迎えたヒッピーカルチャー。「俺たちには音楽があればいいんだ」と、一体感を覚えた若者たち。思えば、ヒッピーたちの言う「ラヴ&ピース」は、ウッドストックを生で体験した世代からしてみれば決して「夢物語」ではなかったんだよな。
「30代以上のやつらを信じるな」
「資本主義はブルジョアの搾取だ」
「社会主義こそが平和をもたらすんだ」
「物質ではなく精神の豊かさを目指せ」
時代は現在、2020年を迎えようとしている。60~70年代はすっかり「大昔」になってしまった。再考する人々は非常に少ない。でも、遡って歴史を学んでと感慨深い事象が数多く、驚くばかりだ。
世界はこれから、どこへ向かうのだろう。
2019年夏、軽井沢へ。
僕にとっては人生二度目の軽井沢旅行。とは言っても、前回が小学生の頃なので、もう30年近く前ということになるな。30年も経てば趣も変わる。初めて来たようなもんだ。
30年前、雨が降っていたのを覚えている。北野武の出資しているカレー屋さんに行ったっけ? その名も「北野印度会社」っていう。当時はバブル経済真っ盛りで、タレントショップも隆盛を極めていたのだな。
軽井沢は日本のバブル経済の隆盛の象徴のような場所だ。高度経済成長と共に軽井沢は避暑地として繁栄し、バブル崩壊と共に衰退していった。
付近にある浅間山といい、この辺り一帯は昭和から平成に向けて変化し続けてきた日本経済の片鱗をみることができる。
考えてみれば、かの有名なあさま山荘の付近に、バブル経済の象徴という形で軽井沢が発展したのは何とも言えない皮肉な話だ。赤軍派が一番憎んでいたのは「ブルジョア」と呼ばれた富裕層だ。そんな富裕層たちが、赤軍派終焉の地である浅間山のすぐ近くの軽井沢を切り開き、リゾート開発を推し進めた。見方によっては当てつけのような話だ。
あとは前述した通りの衰退が待っているわけだけど、長野県のこの一帯だけで日本の70年代~90年代史が語れるわけ。底知れぬものを感じる。
なんて、色々理屈っぽいことを書いてしまった。
閑話休題。そもそも何故軽井沢に行くことになったのか。
義理の父が所属しているバンドが、軽井沢のイベントにてライブ出演することになったため、その応援のために軽井沢に行った。9月の軽井沢はまだまだシーズン真っ盛り。富裕層も数多く訪れることもあり、宿代も他の観光地と比べて割高である。恐るべし、軽井沢…。
軽井沢レイクガーデンで写真を撮った。広大な湖とバラ園が広がる庭園。
絵になる構図が沢山あった。
異国情緒あふれる家並みだが、入居者や管理者が入らない物件も多いのだとか。
兵どもが夢のあと、盛者必衰のことわり、春の夜の夢といったところか。
それでも、軽井沢レイクガーデンには絵になる風景が沢山ある。素敵な場所だ。
宿泊先は妻が見つけてくれた。軽井沢の二駅隣の信濃追分駅付近にある「リブマックス軽井沢フォレスト」。どことなく東南アジアのホテルを思わせる場所だった。
以前カンボジアに行ったことがあるんだけど、そこで泊まったホテルに似ていたな、と。
上の写真は妻が撮ってくれた。
撮影したライブ映像は帰ってから早速編集し、義父を通じてバンドメンバーの皆様のもとに送られた。映像を見て楽しんでくださるといいな。
「Audiostock」にて、BGM販売を開始しました!
この度めでたく、著作権フリーBGM・効果音ストックサービスサイト「Audiostock」にて、BGM販売を開始しました。
アカウント名は「極楽飯店」。
「Audiostock」の楽曲審査は厳しいことで有名ですが、今のところ3曲ほど審査を通過し、販売を開始している次第です。どれも愛着のある曲ばかりです。
「極楽飯店」のリンクはこちらです。
リンク先でサンプル版をご視聴いただけます。
↓
邪魔にならない「舞台装置」としての音楽をモットーに作成しています。
以下は「Audiostock」内でのプロフィール紹介文。
↓
都内で活動中のアーティストです。
サイバーパンクロックソロユニット「極楽蝶」、男女ロックユニット「キリカ」のボーカル、ギター、プログラミングを担当しており、本名の「サエキカツミ」名義でアコースティックギター弾き語りやギターサポートなども行っております。
動画編集が好きでBGMも自作しており、曲が貯まってきたので販売することにしました。
販売中の楽曲は動画音源、店内BGMなどにご自由にお使いください。
そのほかのご利用も歓迎いたします。
よろしくお願いいたします。
BLOG
「極楽記録」
https://kt6453.hatenablog.com/
オリジナル曲販売
https://katsumisaeki.booth.pm/
twitter
アカウント:@katsumi_0225
https://twitter.com/katsumi_0225
instagram
https://www.instagram.com/katsumi_0225/
極楽蝶ホームページ
https://sightatom.wixsite.com/gokuraku-raku-raku
youtube channel
https://www.youtube.com/channel/UCBZ_F49s_RMI59Jb_tOzIGA
使用機材
DAW:
cubase le5
ACID Music Studio
AIR ignite
Guitar:
Burns marquee
Fernandes JG-55S
YAMAHA acoustic guitar
effector:
・EHX
green russian big muff reissue
op-amp big muff
Black russian big muff
soul food
small clone
・BOSS
BD-2
CS-3
DD-7
・HOTONE
VOWPRESS
others:
ROLAND A-49
key station mini
TASCAM PORTASTUDIO 414
これからも気合いを入れて曲作りしていきます。
よろしくお願いいたします!
漫画「AKIRA」を読む
言わずもがな、2019年は大友克洋の漫画「AKIRA」の舞台となる年だ。
現実の2019年までに東京には新型爆弾は投下されなかったし、第三次世界大戦は勃発しなかったし、ネオ東京は建設されることもなかった。東京オリンピック開催だけはただ一つの例外。
普段、漫画は殆ど読まない僕だけれど、大友克洋の漫画だけはほぼ全作品所有している。
「童夢」はもちろん、「ショートピース」や「ハイウェイスター」、「気分はもう戦争」「彼女の想いで」などなど。大友氏と言えば、緻密な都市描写など、圧倒的な画力で有名で、僕もその画力に圧倒された人間の一人だが、僕が大友氏の漫画に惹かれたのはそれだけではなかった。
大友氏の漫画を知った当時、僕はアメリカ文学にハマっていたのだけれど、大友氏の漫画の登場人物のセリフの言い回しがまさにアメリカ文学的だったのだ。現に、大友氏もチャンドラーなどのアメリカのハードボイルド文学に影響されているとのこと。謎めいた言い回しに、他の漫画にはない知性を感じた。
しかしこの「AKIRA」、今読んでも十分読み応えがありますね。
東京に作られた巨大なクレーター、それを避けるように東京湾上に建設されたネオ東京の雑多な摩天楼の数々。「あのぽっかり空いた東京の穴は、一体何なのだろう?」と
僕は考えてしまう。敗戦の象徴か? いや、それよりも、恐らく世代的に大友氏自身も間接的に体験したであろう昭和中期の安保闘争や学生運動の敗北感のメタファーと捉えるべきか。
そして、あの巨大高層ビルが立ち並ぶネオ東京は空疎なバブル経済の象徴だろう。過去の傷に対して何の代償も払わずに発展していく空虚なビル群は、やがて新たな闘争の舞台となる。
目的なく暴力と薬による快楽に明け暮れる暴走族集団、宗教団体の隆盛、武装し過激化する都市ゲリラたち。
ここまで書いていて思ったんだけれど、「AKIRA」を読み解いていけば、日本の昭和史が語れるかもしれないね。
Akira (8/30) Movie CLIP - Commerce Terrorist Bombing (1988) 4K
↑
こちらは映画版。
ここで描かれる都市なんて、未来都市のフリして昭和の新宿だもんね。
プロムナードなんつってさ。
それにしてもやっぱり、学生運動の敗北感は当時の若者にとっては大きすぎる絶望だったんだな。
結局は資本家に搾取されるだけの労働者たち、搾取されることを前提に作られている社会構造。それに反発するだけの大義が、当時の若者たちにはあったのだろう。
その敗北によって、宗教などの内面世界に没頭する人々が出てきたり(オウムしかり)、さらに過激化し武装していく集団(赤軍派しかり)が出てくるわけで。
若者の病める魂としての「鉄雄」の存在も、今じゃアニメ界ではおなじみの系譜ですな。アムロやらカミーユやらシンジ君やら。
反対に、病むよりもまず体が動いてしまう金田のバイタリティにはいつも胸が熱くなる。悩む前に行動してしまう男らしさに憧れる。まあ、結構な社会不適合者ですが。
とにかく、いろいろな切り口で読み進められる「AKIRA」。
難しいことをイチイチ考えなくても、登場するメカやバトルシーンのカッコよさだけでも十分面白い。
また読み返してみることにする。
動画を撮り歩く。
外出するときは、なるべく一眼レフと動画用のカメラを持ち歩くことにしている。
思わぬところで素材になりそうな風景や構図を見つけてしまうからだ。
旅行に行った際はそれこそ肌身離さず、といった具合。
一年前の夏、もはや年一回の定例イベントになっている「富士急ハイランドでの家族集合」の時も妻と二人、乗り物そっちのけで動画を撮り歩いた。
その成果がこちら
↓
夜の遊園地は幻想的だ。白鳥氏の世界観と合致している。
見慣れたはずの空中ブランコや回転木馬が、夜になるとより一層ファンタジックに見える。夜の闇に負けじと煌々と輝く様子が美しい。
実はこれ、なかなか気に入った絵が撮れなかったがために、白鳥氏には軽く10回ほど回転木馬に乗ってもらっている。乗るたびにチケットを買ったので、製作費も少しだけかさんだのだった。
いやいや、「2001年宇宙の旅」のキューブリック監督だったら10回のNGなんて少ない方だ。「シャイニング」の時はNGをわざと48回出して主演女優を狂気の淵に追い込んで、歴史に残る恐怖シーンを撮影した。私など可愛いものだよ。
実は、翌日の昼も回転木馬に乗ってもらって撮影してるのだけど、そちらはお蔵入り。やっぱり夜じゃないとね、イマイチ幻想的じゃないんだわ。
こんな感じで、素材を撮りためていると予期せずにMV制作に使えたりする。
こちらは京都に行った時の動画。
↓
BGMも自作した。「Tomorrow Kyoto Land」という名前。
名前に特に意味はないんだけど、シンセの音がディズニーランドのトゥモローランドで流れているBGMと似ていたので、なんとなく名付けてみた。
トゥモローランドの80年代感、昔は「ダサい」と思っていたけど、今はどことなく懐かしさを覚える。僕も一応、子供の頃にバブル経済の恩恵を少しばかり受けたのだった。
もう一つはこちら。江の島への日帰り旅行。
↓
こちらもBGM自作。
江ノ電、展望台、サムエル・コッキング苑など等、絵になるものが沢山。
BGM制作も楽しい。いつか近いうちにBGM制作などなど引き受けようかと思う。
ココナラやクラウドワークスとか、今は受注環境も充実してるしね。
またどこかへ出かけよう。カメラを持って。