極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

「ウルトラセブン」を全話観終わったので、おススメのエピソードを紹介してみる。

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デュワ! エメリウム光線

 

というわけで、全話観終わった。全49話(12話は欠番)。長かったわい。

休日や夜勤明けに少しずつ鑑賞していった。思えば、この4か月間僕はモロボシダン隊員と共に過ごしていたような感覚さえある。最終回が近づくほど、ダンとお別れをしなければならないような心境に陥り、寂しさが募っていった著者である。

 

「宇宙人」という部外者であるダン=ウルトラセブン。彼の孤独には共感しかない。彼は決して完璧なスーパーヒーローではない。地球を侵略してくる宇宙人との戦いの中で、いつも思い悩んでいる。同じウルトラシリーズの前作である「ウルトラマン」のハヤタ隊員のようにエリートでもなければ、超然としてもいない。悩める等身大の青年としての姿がダンには重ねられている。

 

侵略してくる宇宙人との対立というハードな展開。

いわば、外交問題の暗喩ともとれる。

 

つまり、この「ウルトラセブン」において、宇宙人というのは侵略者であり、倒すべき敵なのだ。これがこのシリーズにおいて通奏低音として流れているテーマだ。

 

そんな侵略宇宙人に対して、同じ宇宙人であるウルトラセブンは、侵略者たちを迎え撃つべく戦いに明け暮れる。自分の愛した美しい惑星である地球を守るために。

それでも、彼が部外者であることは変わらなかった。

 

最終回、そんな彼の孤独が女性隊員アンヌとのやり取りの中で一つの結実を迎える。「宇宙人でも地球人でも、ダンはダンに変わりはないじゃない?」というアンヌのセリフに、物語のテーマの全てが集約されるのだ。

 

ヘイトクライムヘイトスピーチ、現代でも様々な形で表出する民族問題。それらの問題に対する答えがこのセリフにある。

「普遍的だ」と思った。人類はいまだに同じような民族問題を抱えている。50年前と殆ど変わらない現状に嫌気も差すところだが、改めてこの「ウルトラセブン」の物語の普遍性を感じた。みんな、見てくれ! マジで!

 

そんなわけで、今回は個人的におススメする「ウルトラセブン」のエピソードを紹介していくことにする。マジで名作揃いである。製作者サイドも「子供向けに作った覚えはない」と言い放つほど、本格SF作品としての凄みがある。早速いってみよう!

 

 

6話「ダークゾーン」

 

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見た目の割に人が良いペガッサ星人。しかし物語は不幸な結末を迎える。

宇宙に浮かぶ巨大都市「ペガッサ市」からやってきたペガッサ星人。

人の良いおじさんのような口調でダンやアンヌと会話をしていたが、生まれ故郷であるペガッサ市には危機が訪れていた。

動力源に異常をきたし、操縦不能となったペガッサ市は、このままだと地球と衝突してしまう。

地球か、ペガッサ市か。決断を迫られた地球防衛軍は、宇宙空間でのペガッサ市の破壊を決定する。

 

これも中々ハードな内容、なのだけれど、ペガッサ君の憎めない人柄とアンヌやダンとのやり取りに少しだけ救いがある。個人的に、ペガッサ市を救おうと奮闘するダンの姿に思わず胸が熱くなる。「ペガッサ市民を地球に誘導しよう」と指示を出したキリヤマ隊長の言葉に思わず「うわぁ!」と喜んでしまうダンの屈託のない笑顔が見所。

 

 

8話「狙われた街」

 

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敵の本拠地に来て、ちゃぶ台の前で思わず座ってしまうダン。おいおい、敵の本拠地だぞ!

実相寺昭雄氏が監督した8話。もはや伝説となったちゃぶ台シーン。

逆光を多用する演出、構図やアングルで魅せる手法はのちのウルトラシリーズの伝統となる。

夕景の中での戦いは芸術的とも言える。成田亨氏のメトロン星人の造形も秀逸である。

他のエピソードとは一線を画す名作。映像関係の仕事に興味がある人は見ておいて損はないと思う。

 

 

26話「超兵器R1号」

 

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軍拡競争下の宇宙にて、地球人の核実験の犠牲になったギエロン星獣

これも精神的に重い。冷戦が終結した現在においても核と原子力の脅威は去ったわけではない。

今でも人類は、ダンの言うところの「悲しいマラソン」を続けている。

核実験により犠牲になったギエロン星獣は、地球に復讐するべく飛来する。戦いの舞台となったミニチュアの演出にも泣かされる。十字架だらけのダークなミニチュアを舞台に、セブンとギエロン星獣は死闘を繰り広げる。

腕をもぎ取られ、首をアイスラッガーで切られて絶命するギエロン星獣。いつになく残酷な描写で殺される怪獣の姿に、製作者側の意図を感じる。

物語の最後の「戦闘があったあたり一帯を封鎖した」というセリフにも背筋が凍る思いがした。放射能汚染のことだ。「フクシマ」を思い出させる。

50年前の作品とは思えないほどの驚嘆の連続で、思わず舌を巻く。

 

 

37話「盗まれたウルトラアイ」

 

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怪獣や星人の着ぐるみが出てこない異色作!

 

ウルトラアイというのは、ダンがセブンに変身するための道具。めちゃ大事なもの。

そんな大事なウルトラアイなのだけれど、これがねぇ、本当によく盗まれるし失くすし、ダンも本当に不注意極まりない。タイトルが「盗まれたウルトラアイ」だけど、このエピソードの前にも二回ほど盗まれている。今に始まったことではない。

 

製作サイドの予算の赤字により、怪獣や星人の着ぐるみが作れなかった本作だが、それを補って余りあるほどのドラマ性がある。

宇宙人として地球に暮らすダンは、故郷の星に裏切られたマヤに、「地球で生きよう」と促す。が、マヤはその誘いを拒絶し自ら命を絶ってしまう。

両者の宇宙人としてのスタンスの対比には考えさせられる。

 

故郷とは何か、ひいては国家とは何か? 

 

セブンのテーマの一つでもある。

 

個人的な見所は、ライブハウスのシーン。ゴーゴーダンスを踊る集団に時代を感じる。ダンが、目にウルトラアイを付けた集団に囲まれて襲われる描写も前衛映画的で面白い。

 

42話「ノンマルトの使者」

 

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地球の先住民だったノンマルト。

ノンマルトはその昔、人類に侵略されて海底へと生活の場を移した。

そして、人類が海底に進出してきたことで怒り、再び人類との戦争を開始する。

いつもは侵略される側として描かれる人類だが、実は元々は侵略者だったかもしれないという驚愕のエピソードである。今までの戦い全てが相対化されてしまうほどの、逆転現象を引き起こす問題作。

人類サイドに立って怪獣「ガイロス」を倒してしまったセブンだが、はっきり言ってこれは同じ地球人同士の民族対立だから、部外者であるセブンが加担して良い問題ではない。

セブンにはこんな、「勧善懲悪」が通じない作品が多々ある。考えさせられる。シリーズ全体の魅力の一つ。

 

 

 

43話「第四惑星の悪夢」

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ロボットによる管理社会を描いた衝撃作。

これまた実相寺監督の作品。

著者が子供の頃に見て衝撃的だった作品。

20代の頃、ゴダールの「アルファビル」という映画を観て既視感を覚えた。

「アルファビル」もコンピュータによる管理社会を描いた作品だった。しかも、SF的ガジェットは殆ど登場しない。街の夜光を使って「宇宙」や「未来都市」を演出したり、市民プールを処刑場に見立てたりと、低予算で作られた映画だった。

実相寺監督も、ゴダールのそういった姿勢を参考に本作を作ったのだとか。大人になってから、自分の既視感の正体を知った時は感慨深かった。自分の中にある映像的なカッコよさの原点っていうのは、子供の頃に観たウルトラセブンにあったわけだ。

 

本作も実相寺監督の得意とする、構図とアングルの嵐。逆光。センスを感じる。

 

最近では、庵野秀明氏が実相寺監督からの影響を示唆されているようだ。シンゴジラにもエヴァンゲリオンにも、アングルや構図に共通点がある。

 

ゴダール → 実相寺監督 → 庵野監督

 

と繋がっている。ヌーヴェル・ヴァーグの遺伝子は脈々と受け継がれる。

 

 

 

さて、一気に6話分も紹介してしまった。余は満足である。

 

他にも、エレキングの造形の可愛さが見所の「湖のひみつ」、キングジョー大暴れの「ウルトラ警備隊、西へ」、エレキギターを使った不穏なBGMが面白い「セブン暗殺計画」など、みどころ満載な本作。

 

前述したけど、映像関係に興味がある人はぜひ観てみてほしい。低予算でもできることがある。そう気付かされると思う。

 

しかし、こんな深い話を毎週放送していたということに、改めて驚かされる。

製作サイドの苦労も絶えなかったことだろう。

でも、その甲斐もあって、この作品はもはや伝説となっている。また繰り返し観ていこうと思う。