極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

渋谷、原宿を歩きまわっていた日々

 

毎年、ハロウィンの時期にクローズアップされる渋谷。「今年も品の無い大騒ぎ振りだな」と横目でテレビを見つつ過ごしていた。渋谷ハロウィンは、まだ知名度の無かった2012年頃が一番良かった気がする。仮装する人間が少数派で、これまた感度の高そうな人々が仮装している感じ。今のように大衆の手に落ちると、カルチャーっていうのは腐っていくものだ。

渋谷区のお偉いさんたちも、ほとほと手を焼いているようで、町内会のおじさんなんかは「なんであんな馬鹿共に金を払わなきゃならないんだ」と憤っていたな。

 

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2000年代の渋谷は、高校時代の僕の憧れだった。

 

 

なんというか、僕としては10代後半の頃に憧れだった街が地に落ちたような寂しさがあった。僕がハイティーンだった20年前は、渋谷は音楽、ファッションの発信地だったのに。

 

高校生の頃、僕の通う学校は高田馬場にあった。とは言っても、名門揃いの高田馬場でも偏差値的にはお世辞にも高いとは言えない学校だった。校則も厳しく、体育教師たちが校内で派閥を作り、体罰と恫喝で学校の全権を掌握しているという、なかなかにディストピア的世界観を漂わせている高校だった。どこのソ連だよって話。

絵にかいたような青春を期待していた入学当初の僕は早々に自分の青春を諦め、内に秘めた好奇心を押し殺しながら日々を過ごすこととなった。

大人になることへの憧れと、10代の頃の多感な感性を持った当時の僕は、いつしか放課後や休日に渋谷の街をたった一人で歩きだすようになった。きっかけは、当時読んでいた雑誌「BOON」や、深夜の情報番組の影響だった。スマホの無い時代、僕の情報源は「BOON」と「tower count down」、「ファッション通信」、「シネマ通信」に限られていた。少ない情報が、むしろ想像力を掻き立てたのだった。

 

渋谷駅を南改札から出て歩道橋を渡れば大型楽器店。ギター各種機材をチェック、ハチ公口に戻って明治通りを歩きだすのが僕のいつものルートだった。

 

今も昔もゴミがそこら中に落ちているセンター街はおっかないので無視。

 

右手にあるマクドナルドを通り過ぎ、「ミュージアムフォーSHIPS」で服を見る。ここは高いけどカッコいい。少し戻って、タワーレコードに入って試聴機にかじりつく。タワレコを出て正面、西武方面へ歩き、北上すればライブハウス「SHIBUYA-AX」。僕はここで人生初めてのライブを体験する。「Dragon Ash」のこけら落しイベントだった。スケボーキングも出ていたな。

タワレコへ戻り北上して高架下を抜け、原宿方面へ。

ここでは「SLAP SHOT」でまた洋服を物色。ストーミーフラッグタワーもこの辺だったっけ?

表参道との十字路には原宿女子の象徴「ラフォーレ」、僕は右折して青山方面へ。

古めかしいコンクリート造の同潤会アパートには感度の高そうな人々が窓からその姿を見せる。

サンタモニカの古着と、シェーキーズ

 

キャットストリートの「go getter」で、ラグランスリーブのロンTを買った思い出。ロンT、流行りましたよね。

 

表参道に戻り、道路を渡って裏原宿へ。

「LONSDALE」の、ライオンが描いてある紺色のTシャツは、色があせるまで着たな。

表通りに戻り、BEAMSへ。ここのBEAMSで買った青とブラウンのボーダー柄のセーターは、今でも冬になると着ている。洗いすぎて肩が落ちてしまったけど。もう20年近く着ているのか。凄いな。

 

雑誌の付録にあったマップを切り抜き、高校生の僕は独り渋谷と原宿を歩き回った。ほどなくして友人が出来て二人で回ったりもしたけれど、そいつは物欲が強くて、欲しいものがあるとすぐ僕に金を借りようとしてきたので距離を置いた。

というか、高校に通っていた時も、自分が渋谷原宿を練り歩いていることはあまり人には話さなかった。当時から、あまり自分のことは話さなかったのだ。今はブログやSNSがあるから、こういう形で自分を外に出せるけれど。

 

あの日々を懐かしく思う。今調べてみたところ、上記に記した店の殆どは閉店していた。あの時の渋谷、原宿は、いまでは僕の記憶の中だけの存在になってしまった。

 

憧れだった街は、時代に合わせてその姿を変えていく。

 

 

結婚式から二年が経った。

 

10月21日は、我が家では結婚式記念日ということで通っている。

あの嵐の横浜で行われた結婚式から早二年である。準備が大変だったこと、当日一週間前にパソコンが壊れたこと、当時住んでいた家が古すぎて害虫の猛襲に遭い続けて疲弊しまくっていたことなどなど、色々と感慨深い。

今思えば、お気に入りの式場だったのだけれど立地的には我々の生活圏から遠く、参列された方々には不便をおかけしてしまったり、余興でベースを弾いてくださった方にはアンプまで運ばせてしまったりと、思い起こせば色々と反省点が見えてくる。

 

時間が経てば交友関係も変化するので、「今やるならあの人もお呼びしたいのに」なんていう、これはもうどうしようもないことまで考える始末。

「今やるなら…」っていうのはめっちゃ考える。どうしようもない。わかってるし、まあやらないだろうけど、考える。そうやって妄想するの少し楽しかったりするし。

 

それでも、振り返れば自分たちは本当に素敵な人々に囲まれて生きてきたのだと実感した。参列してくださった皆様、家族のみんな、本当にありがとうございます。とても勇気づけられました。今後の人生、嫌なことがあったときは、あの日のことを思い出して、また顔を上に挙げて歩いてみます。

 

今年の記念日当日は、ピザを注文してささやかにお祝い。二人しかいないのにLサイズを注文、他にもサイドメニューやらデザートやらでたらふく食べて胃が限界にまで達したのだった。ちなみに、去年は秋葉原牛角でお祝いした。ああ、腹減ってきたわい。

 

結婚して早三年になろうとしている。

三年の間、自分の心にもちょっとした変化があった。端的に言えば、悩むことが極端に減った。精神がこれまでになく安定している。

占い師の方が言っていたけれど、世の中の人々が抱える悩みというのは結局のところ「恋愛」か「家族」か「仕事」の三種類しかないらしい。

確かに、自分はこの三年の間に悩む機会というのは極端に減った。上記の説が正しければ、自分なんかは「仕事」しか主たる悩みがないということになる。まあでも、それでも「仕事」っていうのは考えなきゃならないことが多いし、大きな悩みでもあるけれど…。

 

俯瞰した目で世の中を眺めてみても、世の中には恋に悩むラブソングやら恋愛ドラマが一大市場を作り上げ、大きな需要と供給を産んでいる。なるほどな、と思う。凄すぎる。資本主義経済は恋愛を資本にして富を産んでいるのだ。凄すぎるよマジで。

意中の人に振り向いてもらいたい一心で、人々は新しい服を買い、コスメを買い、消臭剤を買い、新しい趣味を始める。「恋愛」は、消費の主要素だ。

 

婚活パーティー、街コン、出会い系、ETC…ETC…

 

片思いで居続けることが消費を推し進める。

 

かく言う僕は、そんな「恋愛市場」から遠く離れ、かなり自由に遊んでいる。

実際、カッコつけなくて良いっていうのはずいぶんと楽なもんです。

このブログを読んでくれている人達ならおわかりいただけるかと思うが、やれゴジラやらバットマンやら音楽やら映画やら、こんなのモテようとしてる奴が書くブログじゃないわけですよ。

これがもし、僕が独身でパートナーが居ない男だったら、ラテアートだのパンケーキの店だのっていうブログになっているかな、と想像してみる。考えただけで寒気がする。そんなの書いても、書いてる僕がちっとも楽しくない。

 

素の自分のままでいても傍にいてくれる人がいるというのは、とても勇気づけられるものである。あと、ちょっとした失敗をしても、家に帰れば自分を受け入れてくれる人が帰りを待っていてくれることは、他には代えがたいものだ。

幸せなことですね。

 

このまま続いていくと良い。

 

またピザでも食おうぜ。

 

音楽系即売会「M3 2019秋」終了、マネージャーS氏のこと。

 

 

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ブース。個人的に今回はとてもうまくできたと思います。

 

 

今回で3回連続参加となった。ブース作りもうまくなった。小道具や飾り、モノトーンの布もお気に入り。

僕は今回は目当てのサークルさんもおり、遅まきながら初めて顧客目線で会場を歩くこととなった。今までは自分のサークルをどうするかだけを考えてきた。顧客のことを考えているつもりではあったが、自分が完全に「お客さん」になったのは本当に初めてだった。

数多くいるサークルさんたちの中から自分の気になったサークルさんを探し出すことの大変さや、見つけたら見つけたで、今度はサークルさんに話しかけるタイミングやら何やら、本当に色々と難しいのだと痛感した。

 

今まで我々を目当てにブースまで足を運んでCDを買ってくださった方々、買わなくても試聴してくださったり、足を運んで見てくださった方々には感謝しかない。自分の目当ての方々の音源にたどり着くまで、お客さんたちは色々な障害を乗り越えなければならなかったのを改めて理解した。我々サークル側も、色々と交通整理して見つけていただきやすくする必要があるし、話しかけやすい雰囲気を作る工夫が必要だと感じた。

 

また色々練り直さなきゃですな。

 

 

閑話休題

 

我々にはS氏という名のマネージャーが居る。

S氏に初めて会ったのは大学4年の時だった。僕が新卒で入社したアパレル系会社の同期で、会社の研修の際には共に行動する仲だった。

僕は自分の未熟さやら色々あって、その会社は一年で退職してしまった。20代中盤の先の見えない日々をただやり過ごしていた僕に、S氏は変わらずに接してくれたのだった。大人になってからできた唯一の友人だった。

僕と違い有能なS氏は3年働いたのちに自分の次の展望を考えて退職し、二人でフリーター生活をしていたこともあった。たまに秋葉原で落ち合ってはカラオケに行き、アニソンやらミッシェルガンエレファントやらを唄って声をガラガラに枯らせて大笑いしていた。

今思えば、本当にお互い若かったと思う。

不安や焦りもあり、挫折も失望もあった僕とS氏の20代中盤。そんな日々の中でも秋葉原で会えばお互い変わることなく近況を笑い、声を枯らして歌を唄った。何も特別なことはないのだけれど、これはこれで青春だったと思う。

 

そんなS氏から今年の夏に連絡があった。直接会って話したところ「京都に住むことにした」とのこと。衝撃だった。

 

「まあ、これで今生の別れでもないしな」「京都に遊びに行くよ」等、なるべく感傷的にならないように振舞いつつ、その日もいつも通り秋葉原で遊んで解散となった。

 

帰り道、色々と思いめぐらせた。

 

20代中盤、お互いに不安を抱えながらもたまに秋葉原で会ってはカラオケで喉が枯れるくらい歌って笑い転げていた日々。

 

知り合いが一人もいない中、我々の結婚式に来てくれて受付業務までやってくれたS氏。

 

ライブや即売会の時はチケット代まで払ってくれた上で駆けつけてくれて、僕らにアドバイスをくれたS氏。

 

「俺はS氏に何を返せただろう?」

 

「世話になってばかりで、何も返せてない」

 

友人の門出が迫る中、そんな思いが込み上げてくるのだった。あまりにも自分が情けなかった。それに、たまにしか会うことはなくなったのだけれど、やはりS氏が遠くに行ってしまうのは寂しかった。

 

 

今日も我々が来る前にブースに到着し、「遅いよ」と言って笑っていたS氏。彼には感謝しかない。

僕は友達って少ないのだけれど、本当に良い仲間だけが残っていると思う。

 

世話になっているS氏、その人柄ややさしさに甘えず、しっかりと恩を返していかなきゃな。

 

しかし、京都に行って大分彼も変わった。まずはスマートになって日焼けして健康的になった。転石苔付かずというか、やっぱり活動的な人は若いよな。東京を離れて3か月しか経っていないはずだが、出会った当初のように精悍である。不思議なものですね。

 

いつか、土産を持って京都に行こう。

 

 

そもそも我々日本人はどの程度ハリウッド映画を理解できているのか?問題。

 

大見栄を切ったタイトルである。

 

近頃は映画の話ばかり書いている私。映画は寝ても覚めても大好きだ。

ちょっと前までいい歳して「映画をみない大人は人としてダメだ」と割と本気で思っていた。

でも、最近気が付いたのだけれど自分に限って言えば、映画ばかり見ていたせいか、碌な大人になれていない気がする。周りの映画好きを見ても、まあ似たようなモンだべな。まあでも、こういう人生しか送れないし、それはそれで祝福したいものである。万歳三唱雨あられ

 

さてさて、そんな寝ても覚めても好きな映画なのだが、最近少し映画とは別の、アメリカにまつわる調べものなどをしているうちに色々と思うことがあった。

ハリウッド映画というのは「世界」を市場にして制作されるものである。アメリカ映画でも、例えばウディ・アレンが作るようなアート系の、アレン氏の地元ニューヨークが舞台となる映画は殆ど「アメリカ人向け」の映画として作られているのだとか。

そんな、世界規模の市場を有するハリウッド映画だけれども、どうも文化的背景を共有しない日本人には本当の意味で伝わっていないことが多いように感じる。予備知識がないとわかりづらいものが多数存在するように思う。今回はその辺の「日本人が共有しづらい部分」を一つ一つ見ていこうと思う。

 

 

元ネタが聖書からの引用

 

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モーゼの十戒 海ばっかーん! そこに住んでた魚やイカや貝はどうすんだよ

はい、これね、本当に多い。宗教映画じゃなくてもあるからね。

スーパーマンは元ネタがモーゼ。ついでに言えば、かの有名な桃太郎さんも。

川に流された赤ん坊が流れ着いた先で育てられ、超人的な力を発揮して英雄となる。

一緒なんですよ、これ。不思議ですね。スーパーマンは著作者がユダヤ人っていうのもあるんだってね。ユダヤの方々にとってモーゼは偉大ですからね。

 

 

前回記事にした「ブレードランナー」でも、キリスト教的イメージは頻回登場した。

レプリカントリーダーのロイ・バッティが、自分の手のひらを釘で刺したりするのだけれど、こんなのはもう超有名なキリストの暗喩。聖痕ってやつね。

 

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キリストは人の罪を清めるために十字架に架けられる

ロイ・バッティ(レプリカント)は人間の欲望によって産まれた存在。

そんな彼が人間の罪を背負ったまま死ぬ。そして、主人公デッカードは救われるのである。まあ、デッカードも「レプリカント説」あるけどね。

 

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屋上からデッカードを見下ろす様は、堕天使アザゼルのよう。

ロイが堕天使アザゼルなら、デッカードはいけにえのヤギなのだろうか。

いずれにせよ、「ブレードランナー」に関しては聖書から推察するに「許されるためのものがたり」と説くこともあるいは可能。

 

 

もう一つ、これまた有名な「ターミネーター」の話。

これはもうヒントありすぎるよね。人類の救世主ジョン・コナーのイニシャルはJC(ジーザス・クライスト)。母であるサラ・コナーは、未来からやってきた男カイル・リースと恋に落ち、救世主を産む。

「未来から来た男=存在しないはずの男」だとすれば、「ターミネーター」は聖母マリア処女懐胎の話となる。

サラはシリーズ3、4には登場しないし、5作目では登場するも語り部はカイルに譲ってしまっているが、そもそも上記の説が正しいのであれば、「ターミネーター」の主人公はマリア様=サラでなくてはならないわけ。

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これが現代のマリア様です。キャメロンの映画は女が強い

 

随所随所に聖書モチーフが登場するハリウッド映画。というか、聖書ってそんな感じで形を変えながら数千年に渡って何度も作品のモチーフにされているわけだから、単純に読み物として優れているってことだよね。時を超越した最高のエンターテインメント作品! 聖書は偉大なり! 俺持ってないけど! 仏教徒だけど!

 

 

 

アメリカの政治的背景

 

お次はこちら。アメリカの二大政党である民主党共和党の違い、分かる方います? 

殆どいませんよね。日本の方では。

説明するときに便利なのは、アメリカの二大ヒーローに例えること。

 

まずは共和党代表ヒーロー「バットマン」!

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我らがダークナイト! 必要ならば権力とも戦う熱いヤツ!

共和党の理念とは、「力あるもの(金持ち、権力者)が世の中を良くしていくべきだ」というもの。アメリカでは「才能」や「能力」は神が与えてくれたものだから、与えられた者はその「才能」や「能力」を使って社会に貢献しなければならない、という考え方がある。日本じゃなかなか馴染みの薄い考え方かもね…。

そして、共和党の最大の特徴は「国家に依存しない」ということ。

国や政府が悪政を働いたら、彼らは銃を取って戦うのである。実際、アメリカでは「革命の自由」が保証されているのだとか。共和党員が「銃規制」に反対する理由がそれ。銃がないと戦えないからね。おかげでアメリカは近年大変なことになっているけど…。

バットマンは金持ちの権力者、法を犯してまで自警活動を繰り広げる。これと対極に位置するのがこの男…↓

 

 

そして、今度は民主党代表「スーパーマン」!

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スーパーマンは「アメリカのために」戦うナショナルヒーロー

「何でも国が管理すりゃ良いんだよ」が信条の民主党

市場、経済、福祉に至るまで、全てを国家が管理し、「大きな政府を目指す」という考え。とりわけ、福祉政策においては成果を上げてきている印象がありますが、どうでしょう? オバマ政権の時は今ほどグラグラしてなかったような気がしますが…

 

ただね、スーパーマンってこの人、政府の犬なんですよ。

冷戦中はアメリカに肩入れしてソ連と戦ってたり…無敵のヒーローが、ですよ?

それを「あのやろー間違ってる!許さねー!」って言ってるのがバットマンなわけです。

そして、両者は対立する、と。

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対立する二つの正義!

こういうの、アメリカの政治的背景を知らない人からしてみれば「ただの子供向けヒーローの対決モノ」に過ぎないのかもしれないけれど、アメコミって「正義について」の考察が色々と深いんですよ。さすがアメリカ。

 

近年、「アベンジャーズ」の方でも「シビルウォー」っていうのがやってましたよね。

あれもアイアンマンを民主党キャプテンアメリカ共和党と考えることができるかと。

正義の味方同士で内輪もめである。やっぱり理想が高すぎると揉めるしかなくなるのかね? 

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両者入り乱れ! 

さてさて、こんな感じであっという間に2500字を越えました。

まとめてみると、ハリウッド映画を本当に理解して楽しむためには文化的、歴史的背景を知識として知っておく必要があるということ。

まあ、そんなの知らなくても十分面白いっていうのもハリウッド映画の魅力でもあるのだけれどね。

今回はSF映画とヒーロー映画に絞って考察してみましたが、他ジャンルの映画でも色々とありそうですな。

皆さま、良い映画ライフを!!

 

 

 

 

ブレードランナーのIMAX上映を観た、という話。

 

 

さてさて、そろそろブレランの話をしようか。

前回書いた記事のせいで、最近このブログを開くといつも「ホアキン・ジョーカー」の拡大画像が飛び出してくる。物凄い映画だったんだけど、重い映画だったしそろそろ気分転換したいのが本音…。アクセス解析のためにこのブログを開くといつもホアキン・ジョーカーのドアップを見なければならないのも辛いのよ、私も、マジで。

 

というわけで、「ジョーカー」よりも2週間ほど前に観た「ブレードランナー IMAX」の話をします。1982年上映の映画とは思えなかった。退廃した世界観に没入してきた著者である。ディストピア世界に浸れるなんて夢のようだ(映画の中だけね、現実のディストピアは絶対嫌だ)。

 

 

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最高にカッコいい! 来場者特典でこれと同じデザインのポスターを貰ったよ!

 

僕が「ブレードランナー」を初めて観たのは、6年前の29歳の時。鑑賞当時は猛烈な眠気に襲われた記憶がある。作中に出てくる映像の一つ一つに既視感を覚えた。それもそのはず。この映画のヴィジュアルイメージや世界観って、色々なところでマネされているのだ。

 

これなんかは1993年にコカ・コーラが制作したCMなんだけれど、思いっきりブレードランナーしちゃってる。


コカ・コーラ CM: Blade Runner 1993 HD

 

それに、僕はブレードランナーを観るはるか昔に、同じリドリー・スコット監督の映画「ブラックレイン」の方を先に観てしまっていたので、尚更既視感を覚えざるを得なかった。

 


ブラック・レイン劇場予告編

 

これもすごい映画だったね。松田優作扮する佐藤は「自国の価値を捨てて変貌していく日本」の象徴。ヤクザの偉いさんは「旧態依然とする日本」の象徴。

そして、ヘンテコニッポン描写ね。農民がサブマシンガン撃ってくるとか、こりゃ誤解を産むよ。

 

そんなわけで、初見の頃は全然ハマらなかったブレードランナー。僕がこの映画の魅力に気づいたのは、原作である「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を読んだ後だった。原作と映画ではあまりに内容が違うのだけど、原作を読むことでアンドロイド=レプリカントの持つ「よくできた偽物」という概念について考えさせられたからだった。

 

そして、夏ごろに「IMAX上映決定、二週間限定!」の報せを妻から聞いて飛び上がった。

「必ず観なければ! いや、体感しなければ!」と思いながらも多忙を極める日常。結局鑑賞できたのは上映最終日の夕方というギリギリ感。品川のIMAXシアターにて、仕事終わりに鑑賞した。

 

冒頭の「2019年 ロサンゼルス」の映像から早くもぶっ飛ばされた。


Vangelis - Blade Runner - Main Titles - Los Angeles Nov 2019

 

当時はCGなんてものはなく、光学合成とミニチュア特撮が主流である。

IMAXの高画質で大画面で体感すると、本当に自分がこの世界に没入したような感覚に陥った。鑑賞中に、観光客か何かのように思わず首をキョロキョロと揺れ動かしてしまった著者である。ホバーカー「スピナー」が頭の左上を通り過ぎていく時には鳥肌が立った。これが38年前に撮影された映像である。なんという高画質!

40年近く前に撮影した素材をよくぞここまで!と膝を叩いた。CGと違い、リアルな質感。加えて、色合いもどことなく懐かしい。

技術革新も素晴らしいのだけれど、その技術に耐えられる素材の方にも凄みを感じる。

ハリソン・フォードの顔のアップだって毛穴がくっきり見える。こんな解像度良いのかよ! フィルムで撮ってるはずなのに、なんという解像度! 現代の映画と比較しても、まったく遜色ない。「40年近く前の映画だから」と、多少脳内補正するつもりで見に行った私であったが、それも全て杞憂に終わってしまった。そりゃそうだ。当時最高級の機材で撮影したものである。でも、もしかすると今の映画よりも画質良かったりもするかもね。そう思わざるを得ないほど迫力があった。

 

美しい映像美もさることながら、やはり「ブレードランナー」の最たる魅力は謎だらけのシナリオだろう。

後半の主人公デッカードとロイ・バッティの戦いの謎めいた演出は、今でも深く考えさせられてしまうほどに深みがある。途中、自分の手のひらにキリストのように釘を刺すバッティ、堕天使アザゼルのように建物の屋根からデッカードを見下ろすバッティ。

デッカードとバッティは表裏一体なのだろうか。そして、デッカードが夢見たユニコーンの意味とは…。

 

夢のような映像美に心躍らされた2時間だった。IMAXは楽しい。映画の世界に入っていける。「ブレードランナーの世界に浸ってみたい」という僕の夢が、IMAX上映という形で叶ってしまった。またIMAX上映するときは必ず観に行く。そう思わされる「体験」だった。

 

 

 

 

 

 

映画「ジョーカー」鑑賞。バットマンでは救えないヴィランたち。

 

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パンフレット。永久保存確定ですな。

公開初日、平日の午前中だというのに劇場はほぼ満員。劇場に向かう前にオンラインでチケット予約をしていて正解だった。

DCやマーベルなど、ハリウッドでも大流行りのアメコミものではあるけれど、バットマンやスーパーマンが登場する映画ならここまでの集客力はなかっただろう。

ヒーローが出てきてボカスカ殴るだけの映画は他にも山ほどある。そういうのは熱心なアメコミファンに任せておけば良い。

 

前評判や予告編でアピールされ続けていたことだが、本映画は「アメコミ映画」の皮をまとった社会派映画である。例を挙げるなら「タクシードライバー」、チャップリンの「モダンタイムズ」。うまくいけばいけば映画史に残る作品となる。そして、重厚で陰鬱な予告編を見る限り、それは「うまくいっている」と確信できる。

 

つまり、「映画ファン」を自称するなら「絶対観なければならない映画」なわけだ。

そして、私は貴重な休日で滅多にしない「早起き」をして、TOHOシネマズ上野まで向かったわけである。コミックファンのみならず、映画ファンまで巻き込んだ本作の全貌をこの目で観た。

 

パンフレットを参考に、あらすじを少し書いておく。

 

舞台は1980年代初頭のゴッサムシティ。

不況にあえぐゴッサムシティでは、清掃局のストによって町中がゴミの山、貧富の差が拡大し犯罪が横行。

コメディアン派遣業で日銭を稼ぐ主人公アーサー。

彼は脳機能損傷によって緊張すると笑いが止まらなくなるという持病を抱え、精神科セラピーに通って薬を処方される日々を送っている。

ゴッサムの治安悪化の中、彼も仕事中に不良グループから暴行を受けるなどの被害に遭遇する。

老朽化したアパートで要介護の母と二人暮らしで、母は思い立つとすぐ地元の有力者トーマス・ウェイン氏に手紙を送っている。「30年前に、ウェインさんの元で働いていたの。今の私たちを見たら、彼が私たちを見捨てるはずがない」。貧困に苦しむ母の唯一の希望が、ウェイン氏に手紙を書くことだった。

派遣先の小児病棟でピストルを落としたことが原因で、アーサーは派遣業を解雇される。

その後、電車の中でウェイン証券の男たち3人が一人の女をからかっている場面に遭遇する。ピエロメイクのアーサーは笑いが止まらなくなり、それを見られて男3人に暴行され、発作的に持っていたピストルで3人を射殺。

 

“正体不明のピエロ男が、富裕層の証券マン3人を殺害”

 

この出来事がきっかけで、「ピエロの殺人者」は街の困窮者から英雄視され、ゴッサム中が「金持ちを殺せ」というスローガンであふれ、ピエロマスクをかぶった集団が各地で発生する。

市の財政難のため福祉サービスは閉鎖され、セラピーに通うことも薬を処方されることもできなくなったアーサーは、更なる狂気の淵へと落ちていく。

 

 

 

貧富の格差、障害者への無理解と無関心、虐待がどれほど人間を追い詰めるのか。

そして、本映画で描かれる荒れ果てたゴッサムシティの様子は、今ある現実社会と大きく重なる。日本以上に格差のあるアメリカなんかは特にそうだろう。「国民皆保険」じゃないしね、日本みたいに。福祉サービスの停止なんて、考えただけでも恐ろしい。

 

そういった状況で生まれてくる「悪」(というか、悪と呼ばれるもの)に対して、自警のバットマンはどれだけのことができるのか。

夜な夜な蝙蝠の恰好をして、潤沢な資金を使って揃えた兵器でヴィランたちを暴行し、刑務所に送り込む。

そんなことを無限にやっていても、はっきり言って埒が明かない。問題の根本を野放しにする限り、「悪」は生まれ続ける。その兵器を作った金を使って社会福祉事業や寄付を行った方がよっぽど「悪」の根絶につながるだろう。

何より、ジョーカーのような「悪」を生み出しているのは、彼らの声に関心を持たず私腹ばかり肥やしている「有力者」=バットマンたちではないか。

物語中盤、ウェイン証券の3人組に暴行されているジョーカーが彼らを射殺したとき、妙なカタルシスを覚えてしまった自分がいた。「金持ちを殺せ」というスローガンにも同様だ。

 

アーサーがウェイン氏の邸宅を訪れるシーンが印象的だった。

塀に囲まれたウェイン氏の邸宅。塀のすぐそばに、小ぎれいな恰好をした幼いブルース(のちのバットマン)がいる。塀の中にいる人間たちは塀の外にいる人間には関心など持たない。貧困に苦しんでいても、障害の無理解に生きづらい思いをしていても、「あっちに行け。近づくな」と言う以外、アーサーにかける言葉はない。

 

しかし、視点を大きくすれば、我々も加害者だ。例えば、これを読んでいる人の中で、中東の貧困に対して関心を持っている人間がひとりでもいるだろうか? 

いつぞや、フランスでテロ事件が起きたときにフェイスブック上でプロフィールアイコンをフランス国旗色に加工するのが流行った。しかし、シリアで空爆が起きてもだれ一人としてアイコンをシリア国旗色に加工する人はいなかった。

つまりこれは言うなれば、フランスは塀の「こちら側」で、シリアやイラクは「あちら側」だという無意識の理解だし、我々は「あちら側」の人々のことなど気にもしていないということの証明なのだ。

視点を広げれば、我々も「無関心」に支配された加害者である。誰も怒れる立場にはないのかもしれない。

 

 

911以降、ヒーロー映画において「正義」を描くことは難しくなっている。

現実世界では、自警のヒーローが悪を殴るだけでは解決できない問題が多いし、なによりも悪を生み出しているのが我々の社会だからだ。

本映画「ジョーカー」は、ジョーカーという一人のヴィランの誕生を描くことで、逆説的に「ヒーローが本来、何をしなければならなかったのか」を描くことに成功している。物語終盤でバットマン誕生のきっかけが描かれるが(ファンサービスかもね)、物語をここまで観てきた人間なら皆思うはずである、バットマンは無力であると。

 

富と名声、権力を持ったものの責務とは何か。

力を持ったものが果たさなければならない社会的正義とは何か。

 

新たなヒーロー像が求められる。

 

 

「デスペラード」、「ベンチュラハイウェイ」、名曲たち。

イーグルスの「デスペラード」をよく聴いている。

義理父のバンドでよく演奏されるのだけれど、先日の軽井沢ライブを見た後で妻が「私も歌いたいのでギターを弾いてほしい」と言ってきた。

歌詞カードとコード譜を義理父から頂き、練習している。

 

しかし参ったな。デスペラードって「ならず者」という意味だし、てっきりギャングやチンピラの孤独を唄った歌だと思っていた。アントニオ・バンデラス主演の同名の映画の影響もあったし。

 

よくよく歌詞を読んでみると、まったくそんなことはない。

どちらかというと、ふさぎ込んでしまって外に出られなくなっている友人を励ますような歌だ。訳詞を見てると泣けてくる。

 

ふさぎこんでいる「ならず者」に対してこの歌詞の主人公は「フェンスを降りて、ドアを開けるんだ」「誰かに愛されるために行け」と促す。

他にも「ダイヤよりもハートのクイーンを選べ(お金よりも愛を選べ、の暗喩)」、「君のテーブルの上には素晴らしいものが沢山あるだろ?」、「手に入らないものばかり欲しがるなよ」等など、思わずはっとさせられる名言の連続。

 

「ならず者」って訳すのは変だね。「悩める友」みたいな風に訳した方が良いのかも。ちょっと古臭い言い方だけれど。

 


Desperado - Eagles

 

 

義理父たちのバンドが演奏する曲の中での僕のお気に入りはこの曲。

 

Ventura Highway

 

前半のギターフレーズ、メジャーセブンスコードの爽やかさが印象的。

旅人に語り掛けるような歌詞。中盤から疾走感に乗ってしっかりと助走を取り、「Did,did~」のスキャットの部分で一気に広がりを持たせる。

青い空と渇いた荒野、流れる車窓を連想させる。

こういう、風景を連想させる曲が好きだ。ヘッドフォンを付けたまま別の次元に行ける気がする。巷じゃラヴソングばかりでこういう曲が少ないからね。

 

名曲揃いのフォークロック。まだまだ出会えていない曲がありそうだ。