「マトリックス レザレクションズ」が描いた「現実」。ラナ・ウォシャウスキーがつけた「落とし前」とは?
遅まきながら、昨日1月15日に鑑賞。鑑賞後は正直「お通夜ムード」だった著者である。10代のころ、頭をブン殴られるような衝撃を与えてくれた伝説の作品が、ただの「ハリウッドSFアクション」に成り下がってしまったような気がした。哲学的示唆に富んだ第一作、ディストピア的SF世界観にヤラレた第二作、絶望と共に幕を閉じた第三作、全てに通じていたのは切迫感と緊張感、クールさだ。
本作にはそれらすべてが薄まっていた。
謎のない解りやすいストーリー、SF要素も予想の範疇を出ない、全体的にコミカルな印象を持たせる展開。時折挿入される過去作映像に関しても「ああ、もうあのころのスケールの感動は訪れないのだろうな」と、寂しさを感じたものだった。
2年後にテレ東の「午後のロードショー」で放送しているだろうな、なんて思ってしまった。
でも、今冷静になって考えてみると、これは「意識のアップデート」ができていない私自身の問題もすごくあるような気がしてきたので、少し頭を整理していくことにする。
まずは、映画本編以外の話を書く。ネタバレしてしまうので詳細は省くが、本作の前半は、今流行りの「メタ構造」となっている。「マトリックス」原作者の監督ラナ・ウォシャウスキーの「マトリックスシリーズ」に対する心境が吐露されている。
毎年のようにワーナーから「マトリックスの新作を作れ」と伝えられ、その度に「ノー」を言い続けてきたウォシャウスキー姉妹。しびれを切らしたワーナーは、「原作者抜きの新たな『マトリックスシリーズ』を制作する」計画も考慮しだす始末。
ある日、親友と両親を立て続けに亡くしたラナは、失意の中で、自身の心の中にいるネオとトリニティがいることに気づく。傷ついた彼女の心を癒したのは、彼女自身が作り出した実在しないキャラクターたちだった。
以上が、本作の制作を決意したラナの、公式に発表されている経緯である。映画の広報のために、幾らか盛った部分もあるかもしれないが、仮にそうであったとしても、ワーナーに自分の作品を売り渡さなかったラナの心意気には「あっぱれ」という他はない。
そして、映画の前半から中盤にかけて描かれる主人公:トーマス・アンダーソンの、周囲を取り巻く環境や「新作を作れ」と言われてストレスを感じまくる描写は、言うに及ばず作者ラナ自身の本音であり、映画業界に対する風刺だ。
恐らく、彼女は「マトリックス」という最大の担保を使って、「この際言いたいこと全部言っちゃう!」という覚悟を決めたのだろう。かつてはトランスジェンダーであったラナ。性別適合手術を経て女性となり、直面することとなった「女性に対する社会の抑圧」に対して、新たに「覚醒して戦う」物語を作る必要があったのだ。
言うに及ばず、「マトリックス」という伝説的な作品はアメリカ社会に大きな影響を与えた。「救世主が世界を救う」という筋書きを曲解され、Qアノンをはじめとする陰謀論者たちに利用され続け、今日におけるアメリカの混乱を助長している。そんな現状に一番心を痛めていたのは、ほかならぬ原作者本人だろう。
自分が作り出した作品が世界を変えてしまった。
その影響、すべてに落とし前をつける。
その上で、これからの世界はどうなるべきなのかを提示する。
それらの作者の思いが作品を通じて、観ている我々に「意識をアップデートしろ!」というメッセージを叩きつける。そうか、多様性の時代か。例えば「女は結婚して家庭を持って、家族のために滅私奉公する」という、「普通」という旧態依然とした価値観がどれほどの人間を抑圧するのか。
我々が新たに覚醒して戦うべき相手は、そういった「普通」という名の抑圧なのだ。
私が考えているよりも、そういった抑圧に苦しんでいる方々は多いのだろう。増して、昨年「ブラック・ライブズ・マター運動」や「Qアノン」などで激動に揺れまくったアメリカ国内に於いては、「多様性」っていう言葉には切迫感がある。日本に住んでいる我々が感じているものとは比ではないだろう。
世界の価値観が大きく変わろうとしている今、この辺りの意識のアップデートを私もしなければならないなと感じ、反省する次第だ。
2022年、年頭所感。本年もよろしくお願いいたします。
先日妻と二人で、私の実家に新年のあいさつに行った。
ここ数年私は生業としては介護の仕事、自宅でも編曲の依頼仕事を請け負っていることもあって、年末年始も変わらず家でも外でも仕事だった。年末年始を感じるのは、実家に帰って両親に近況を報告するときくらいのものだ。先日帰省して、やっと年越しを迎えた気がした。両親二人とも変わらず元気で安心した。心配されているのはこちらの方かもしれないが。
去年は個人的に激動の一年だった。体調を崩したり、6年務めた会社を退職したり、ここ数年の中では割に苦労した一年だったと思う。幸い体調も持ち直し、仕事もすぐに見つかり、現在は落ち着いて過ごしている。
介護の仕事を生業にしている、と冒頭で書いたけれど、去年体調が悪くなったのをきっかけに夜勤業務はしなくなった。残業もしていない。夜は7時間ほど寝て、昼ご飯は弁当を持参している。以前は睡眠時間は不規則、昼食もカップ麺で済ませることが殆どだった。健康的に過ごすことを心掛けている。
そんなわけで、「健康な生活」を取る代わりに、以前の職場と比べて給料が安くなることは覚悟していた。けれど、驚くことに以前勤めていた職場と比べて月給が殆ど変わらなかった。唖然とした。
残業なし、夜勤なし、で、月給が変わらない。今までの6年間は何だったんだろう……。
世の中、どうなってるのかね。
そんなわけで今、依頼制作などを行う作業時間が確保できるようになった。
今も、いつもお世話になっている「森のシンガーソングライター証」さんのアルバム曲の編曲作業の真っ最中である。
休みの日は特別に用事がない限りはパソコンに向かっている。仕事の日も、寝る前の1時間は作業時間だ。ありがたいお話です。
思えば、退職したのも良いきっかけだった。在職中、自分のやりたいことをやるために「いつか辞めなければ」とずっと思っていた。そういう意味では、「退職」も次のスタートのための狼煙だったということかもしれない。
今後は生業の方を減らし、依頼業務をメインにしていくことを目標にしている。
動画制作なんかも勉強していって、いずれは仕事を受注できるようにしようと思う。
去年一年、思うように過ごせなかった分、今年は意欲的に活動していく。
皆さま、本年もよろしくお願いします。
身延へ行く 二日目 ー朝の下部温泉街、身延山、酷道を越えて本栖湖へー
昨夜の小雨も上がり、すっかり穏やかな晴れ間を見せる温泉街。
昨日の疲れも朝風呂につかることでゆっくりと癒えていった。
夜とは違い、日の光が降り注ぐ下部は穏やかで開放的ですらある。
温泉街ということもあり、湯治のための療院や神社が立ち並ぶ。ここにも「歴史」を感じさせる。
旅館街の裏手に神社があるようだ。カメラ片手に階段を上っていく。
朽ちてい建物。樹木が包み込むかのようだ。
一泊お世話になった宿「甲陽館」さんの前でシャッターを切る。
本日はこの旅の目玉である本栖湖に向かう。と、その前に、日蓮聖人を拝まなければならないので、身延山へと車を走らせる。
ここでも我々は思いもよらない建造物を目撃する。
いきなり鉄橋が現れる。工事車両用とのこと。台風の影響で陥落した箇所も多いし、新たに建設している道路等もあるのだろう。装飾のない無骨な建造物に、思わず男心がくすぐられる。
さて、身延山。
道中、武州屋という乾物屋に立ち寄る。ここでゆるキャン△の缶バッジがもらえるのだが、貰うためには買い物をした後で店員さんに「ゆるキャン△応援しています」と告げなければならない。弱冠恥ずかしい。
さて、最初に買い物を済ませたのはNSさんだった。お会計前に店員のおばさんに二、三言小話をした後で恥ずかしそうにいつもより低い声で「ゆるキャン△応援しています」と告げた。おばさんは慣れた口調で「はい、ありがとうございます」と言い、缶バッジを差し上げていた。
死んだ。爆散していくNS氏を、私はただ見ていた。
次は私の番である。弱冠恥ずかしい。死ぬ、と覚悟する。
お会計の際に「クレジットカード使えますか?」とおばさんに尋ねた後(レジにVISAのマーク付いてるから聞かなくてもわかる)、「ゆるキャン△応援しています」とおばさんに告げた。おばさんはまたもや慣れた口調で「はい、ありがとうございます」と言い、缶バッジを私にくれた。
恥ずかしさのあまり耳のあたりが熱を帯びてくるのを感じる。
これが、死か。
死んだ。
NSさんに続き、私も爆死したのだった。
そんなこんなで武州屋のレジ前で順を追って爆死した中年二人は、屍となった心を抱えたまま日蓮聖人の待つ身延山ロープウェイ乗り場へと向かうのだった。
身延山から富士を望む。
本日の最終目的地は目と鼻の先にある、と思いきや、ここから思わぬ酷道に迷いこむことになる。
いざ本栖湖へ。
と、その前に昼の腹ごしらえはカレー専門店「園林」へ。
「園林」が満席だったため、営業元である隣の「旅館山田屋」にてカレーを注文する。
そしてここでも我々はステッカー欲しさに「ゆるキャン△応援してます」と宣い、本日何度目かの爆死を経験するのだった。
南無、妙法蓮華経!
少し足を延ばして南部町の道の駅でお土産の買い物をすることになった。
目的地まではNSさんの計らいで、私が運転させてもらえることになった。
恥ずかしいまでのペーパードライバーだったので、色々とご迷惑をおかけしたが、自分にとっては本当に良い経験となった。やはり熟練のドライバーさんに横に居ていただけると安心感がある。
道の駅南部での買い物を済ませたあとは、NSさんに運転を代わっていただき、最終目的地の本栖湖へ。
昨日思い知った通り、国道300号線が台風被害で通行止めとなっているため、一旦北上して大回りに迂回しなければならない。
途中までは比較的道幅のある一般道を進んでいたが、林の多い山道に入ったところから酷道がスタートした。
対向車がすれ違えない一本道をひたすら進んでいく。対向車どころか、車一台でもかなり狭い道だ。目の前に対向車が来ないことを切に願いながら進んでいたが、なんと度々大型の工事用車両が目の前に立ち塞がることとなった。
後になって考えてみると納得できるのだが、それもそのはずなのだ。
普段使われているはずの国道300号線が不通、しかも、復旧のための工事車両が必要なのだ。大型車両であっても、普段使われていない林道を使用する他は無いのだ。
「本栖湖に行きたい」と言い出したのは自分だったので、NSさんには負担を強いてしまった。
しかし、目の前に大型車が来ても、颯爽と車をバックさせて幅の広い路肩に車を止めて安全確保をするNSさんのハンドルさばきに驚いた。運転技術の未熟な自分では対応できなかっただろう。運転の上手い人は、やっぱりカッコいい。
林道を抜けると、目の前に富士山が広がっていた。
感動も束の間、ここからもまた人通りの多い住宅地を進む。子供たちの下校時刻と重なったためか、やけに人が多い。しかも、ここも一本道がメイン。
大通りに出たところで、再度運転を交代させていただき、最終目的地の本栖湖へ。
ここまで長い道のりだった。NSさんには心から感謝です。
これが見たかったんだよな、と思った。
休職中の悶々とした日々の中、自分が求めていたのは「旅に出ること」だった。
コロナ禍もあり、気ままに旅行ができない閉塞感もあった。知らず知らずのうちに、そんな閉塞感が自分の心を蝕んでいたのかもしれない。
大きくそびえたつ富士山を眺めて、心の底から「来てよかった」と思えた。
帰りの高速道路はまたしても私にハンドルを握らせてくださった。高速はまともに運転したことがなかったので、本当にありがたかった。色々な方面で、良い経験をさせてもらえた。
帰宅後数日間は、まだフワフワと夢の中にいるような気持ちだった。
久しぶりに、本棚から「つげ義春」の漫画を引っ張り出して読んだり(つげ氏の漫画にも、度々温泉街が登場する)、旅先で訪れた場所を自分なりに調べたりもした。調べれば調べるほど、身延周辺はまだまだ奥が深いと感じる。また行かねばならんな、なんて思う。
一日目の記事の冒頭にも書いた通り、今回の旅は自分にとって、ある種の癒しになった。集落や廃墟、陥落した道などに身を置くことで、自分の日常を客観的に見れたような気もする。
社会から隔絶された空間の中にも、変わらない美しさがある。
それは、現代的な美とは違うのかもしれない。朽ちていく鉄の錆、それを包むような緑。そういったものをもっと見てみたい。そして、そこにあったはずの光景に、思いを馳せたい。
また旅に出よう。
最後に、NSさん本当にありがとうございました。
身延へ行く 一日目 ー国道300号線閉鎖、雨畑の集落、下部温泉へー
某月某日、いつも音源制作依頼などでお世話になっているNS製作所さんに誘われて、私は山梨県南巨摩郡身延町へと旅行に行った。
このブログにも幾度もご登場されているNSさんは、実は先日退職した会社の別部署にいらっしゃる方で、今回は私の退職に際しての「卒業旅行」ということで企画や手配をしてくださった。
在職中もスノボ旅行や奥多摩旅行、それから楽曲のご依頼等含め、お世話になりっぱなしだったのだけれど、とうとう退職の際までお世話になりっぱなしのままになってしまった。本当に感謝です。
なぜ身延なのか、というと、答えは簡単。アニメが好きな方なら即お分かりだろう。
我々二人して、アニメ「ゆるキャン△」のファンだからだ。
私も、退職前に三か月ほど休職していた際に「ゆるキャン△」は全話制覇していた。休職中の心身共にやられていた状態で見た、アニメの中の富士山の風景の美しさには何度も励まされた。「ああ、世の中美しいものが色々あるな」「また旅に出たいな」等、そんな穏やかな感情が自分の心を癒してくれた。
そして、念願叶って身延旅行である。
結論から言うと、今回の旅行は自分にとっては「アニメの聖地巡礼」にとどまらず、様々なことを考えさせてくれる旅となった。
道中、予期せず訪れることになった集落や廃墟、台風によって陥落してしまった道路や鉄橋など、東京という都市に住んでいる自分が普段踏み入れることのない場所に身を置いたことで、見えてきたものが幾つかあった。
集落、というのは都会に住んでいる自分からすると、とても不便な場所だと感じる。買い出しのためにわざわざ車に乗って遠方まで行かなければならない、利用できる公共機関も近場にはない、電車に乗るにも駅までが遠いし本数も少ない、娯楽も限られている、地域のコミュニティも限定的だ。
なぜそんな不便な場所に住んでいるのか、長い間自分の中で疑問があった。
仕事で疲れて体調を崩し、3か月の休職期間を終えた自分が集落を訪れたとき、それまでとは違う感慨を抱いている自分に気が付いた。
「都会のスピード感についていけない」
ひょっとしたら集落に住む人々も、同じような感慨があるのかもしれない。そんな風に思った。
これは、心身ともに疲れていた自分が感じた、ただの妄想かもしれない。そもそも、集落に住まわれている方々は、都会での生活をご存じない方も数多くいらっしゃると思うので、この感慨は自分のただの一方的な勘違いか、押しつけなのかもしれない。申し訳ない。でも、少し自分の頭を整理するために書いてみることにする。
現代では「ひきこもり」が社会問題となっており、推計では潜在的なひきこもり者の数は100万人~200万人と主張する専門家も少なくない。
都市に人口が集中した結果、その慌ただしいスピード感について行けずに「ひきこもり」となる人々が一定数いるわけである。
これが例えば、50年くらい前だったらどうだろう?
1970年代、80年代の初頭くらいまでなら、まだ田舎に実家がある人々も多く、田舎で暮らすスキルがある人々も多くいただろう。都会のスピード感について行かれなくても、Uターンして戻る場所があった。
ここで一つ例えばなし。
80年代初頭に人気を博したドラマ「北の国から」の田中邦衛扮する主人公「黒板五郎」も、妻の不倫がきっかけで富良野への移住を決断する。都市生活への失望も幾らかあっただろう。
もし五郎さんが現代の東京に生まれ、田舎での生活スキルを持たずに育っていたら、例え都市生活で心が折られたとしても、富良野には行かなかったかもしれない。東京でひきこもりになっていたのでは?と個人的に思ってしまう。
つまり、いつの時代にも「都会のスピード感についていけない」人っていうのは、一定数いるのである。時代によって、表出の仕方が変わっただけだ。昔の人は、田舎で暮らす技術があった。現代ではひきこもるしかなくなっているのかもしれない。
集落で暮らしている人々には直接お会いしたことがないので、ここで書かれていることはすべて私の妄想の域を出ない。一方的な偏見とも取られかねない。気分を害する方がいたら申し訳ない。
問題なのは、そこまで集落に対して感慨を抱いている自分自身の今の心境だ。「俺も、ちょっとだけ都会のスピード感が嫌になってるのかな?」と、我に返らされたのだった。
私は一体何を考えているのか。集落に何を期待しているのだろう?
答えはまだ出ない。
とにかく話を続けよう。
現時点で1800文字も書いているのに、まだ旅の思い出が何も書かれていない。
小雨の降りしきる中、恵比寿駅にて集合した我々はNSさんの手配してくださったレンタカーに乗り込み、山梨方面へと向かった。
東京で降りしきっていた小雨は西へと移動していくとすぐに収まり、所々曇ってはいるものの、比較的穏やかな天候に恵まれていった。
下部温泉到着。
我々が最初に行ったことは、昼飯を食らうことだった。
そして、この旅の最大の目的である本栖湖へと車を走らせる。
が、ここで思わぬ事態に遭遇する。
下部から本栖湖へと向かう最短かつ唯一の道が閉鎖されている。我々が本栖湖へと向かうには一旦北上して東に向かってぐるりと迂回するしかない。時間の関係で、明日へと予定をずらし、一路早川方面へと向かう。
ここでも台風の爪痕で通行止めが発生。しかし、好奇心旺盛な我々はそんなことではめげない。むしろ血が騒いでしまう。
陥落箇所を見学した後は、雨畑のつり橋へ。
作中で、リンちゃんが一人訪れたつり橋。この橋の先にも何かありそうな気配があったが道が狭く、私の装備が廃墟探索仕様でなかったこともあり、敢え無く引き返すこととなった。残念無念。次回はちゃんと仕様と装備を考えていきます…。
雨畑地区はディープな場所だった。
冒頭でも記した集落が広がっていた。
一方通行の山道を車で駆け上り、硯の里キャンプ場へ。
ここでNSさんの卓越した運転技術が光る。まともに整備されていない、車の通りにくい一方通行の山道を、まるで車と同化したかのように華麗にハンドルをさばいて進んでいく。スピードもほとんど落とさない。廃墟探訪がお好きなNSさん、酷道を行くのは慣れているとはいえ、簡単なことではないはずだ。
助手席でその様子を見ている私は立派なペーパードライバーである。ハンドルさばきを見て、すごいな、と感動するとともに、先ほど物音がして逃げようとした自分を大いに恥じるのだった。
車内が木の葉だらけなところを見ると、やはり投棄されている、ということだろう。どういう事情でここに陸自のジープがあるのやら。
雨畑地区、数々の「通行止め」に遭い、思わぬ形で立ち寄ることになったが、とても興味深い場所だった。いつかまた、訪れたいとすら思う。
時間の関係で、下部温泉方面に戻る。
ここで、我々は「聖地」であるスーパーマーケット「セルパ」に向かう。
友人への土産と、翌朝の朝食等を購入し、宿へと向かう。
NSさんが手配してくださった旅館「甲陽館」も味のある旅館だった。旅館の主人のお爺さんが我々に茹でた枝豆をくれた。アットホームなサービス、最近ではあまり体験することも無いので、とても心が和んだ。
下部温泉駅の目の前の、丸一食堂にて夕飯を食べる。
のんびりと時間が過ぎる。旅の疲れも少しずつほぐれていく。
夜は小雨が降り注いでいたが、せっかくなので傘を差して温泉街の写真を撮る。
決して小綺麗とは言えない温泉街だったが、どうもそれが旅行当時の自分の心境とよく合っていたように思う。
雨畑の集落や、硯の里も、決して華やかな場所ではないし、そこに「現代」を象徴するようなものは殆ど見つけられなかった。
そんな場所に身を置くことで、自分の考えをまとめることができたように思う。色々と検討違いなものはあるだろうけど、今の自分には必要な旅だったと、改めて感じる。
初日はここまで。次はまた、二日目の出来事を書いていこうと思う。
ボカコレ2021秋開催! 新曲投稿しました! 「さよなら、梅雨空」のこと
「ボカコレ2021年秋」の開催に伴い、私「極楽蝶P」も新曲を投稿し参加しました!
タイトルは「さよなら、梅雨空」。
他所の家の初音ミクさんはEDM風の曲を歌われることがもっぱらですが、ウチのミクさんにはバンドサウンド風なものを歌ってもらうことが多い。私がギター弾きだから、というのもあるのだけれど。
今回はアコースティックギターのアルペジオ主体の曲を歌ってもらった。
ミクの歌声は意外なもので、アコースティックな曲にも合う。自信作です。
最初は、小さな部屋で数人で演奏しているような曲を目指していた。仮タイトルも「小部屋」という名前だった。しかし、曲を作っていく過程で「部屋」よりも「庭」のイメージが大きくなっていき、そこに「初夏」「梅雨明け」のイメージを重ねて完成させた。曲自体はすぐに完成した。
肝心な歌詞の方は、イメージが下りてくるのを待っていた。
夜勤入りの電車の中で、iphoneのメモに少しずつ書き溜めていったのを覚えている。車窓の流れる景色を見ながら歌詞のアイディアを付けたしていった。
初夏、梅雨明け、庭などなど、色々とイメージは沸いてくるのだけれど、決定打になるはずの「何か」が足りない。
最終的にルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の原作のラストのイメージを加えて納得のいくものになった。夢の終わりと、目覚めのイメージ。
この曲を作っていたときは、そんなイメージにすがるような気持ちだった。
イラストを依頼し完成したものを貰った後、動画の編集を自分で実施した。
最近のボカロ曲の動画を意識して、一枚絵でフィルターやオーバーレイ効果を活用して「今風」にしてみた。編集ソフトは「filmola」を使っているのだけれど、まだまだ使いこなせていない機能がたくさんある。「filmora」は安価なソフトだけど、フィルターの種類が多くて面白い。これからもまた勉強していこう。
曲自体は梅雨明けの晴れた空を見上げ、希望を胸に歩き出すような前向きなものになったのだけれど、作曲中の自分は全くと言って良いほどハッピーではなかった。
腰痛にやられていたし、心も荒んでいた。歌の内容とは真逆の精神状態だったと思う。
でも、創作ってそういうもんなんだよね。自分が喜びの中にいなくても、喜びを求めて歌を作ったりもする。まあ、辛いままの気持ちをそのままブチまけることもできたのかもしれないけれど、その時の僕はそれよりも「救い」の方を求めたんだろうね。
とにかく、自分の心の中の「梅雨明け」がくるのをひたすら祈りながら作曲していた記憶がある。
過ぎていった雨の日々でも、思い出になれば懐かしくなったりもする。
まだまだ、これから。
むしろ、今がはじまりなのかもしれない。
そうそう、現在とあるカラオケ音源のご依頼を頂いて制作中。まだ制作中のため詳細は書けないのだけれど、去年のヒット曲。EDM系4つ打ちビートとピアノ、シンセ主体の曲だ。
それから、とある方からアルバム制作、編曲のご依頼も頂いている。
ありがたい限りです。また色々決まったら発信していきます。
乞うご期待!
【BGM制作】NS製作所さんから再度BGM制作の依頼を受けました!
「はてなブログは、ツイッターの貼り付けもできる」という事実を昨日知った著者であります(汗)。
そんなわけで、毎度おなじみ「NS製作所」さんから、カピバラ動画に続きBGM制作の依頼をお受けしました!
今回は、イタリアのバイクメーカー「ドゥカティ」が誇る名作!
「1199 PANIGALE S TRICOLORE」のスケールモデル!
赤き雄姿をご覧あれ!
DUCATI
— NS製作所 (@ns_factory_100) 2021年9月2日
1199 PANIGALE S TRICOLORE
動画にしてみました。
BGM:極楽蝶/サエキカツミ(@katsumi_0225)#タミヤ #scalemodel#中村製作所作品集 pic.twitter.com/vAjwEBpBKT
光沢のあるパニガーレの美しさたるや!
内装の機械部分も実に細かく作られていて、画像を見る限りでは本物と見違えるほど!
芸が細かいですね。私なんぞは内装だけでもずっと見てられる(笑)
今回のご依頼内容は「ジャズよりのヒップホップ」だった。
参考音源をいくつかいただき、よく聞きこませて頂いた。
2パターンほど曲のアイディアが浮かんだので、短いバージョンを2つ作って聞いていただいたのだけれど、何と2つとも気に入って頂けてお買い上げいただいてしまうという運びとなった。NSさん、その節はありがとうございました!
曲に関しては、とにかく「艶っぽさと危険さ」を意識した。
バイクという乗り物には、ロマンと同時に危うさがある。それをうまく表現できれば、と思った。
そして、やっぱりヒップホップのリズム感は聴いていて心地良い!
気が付けば体のどこかしらが動いている。そんな曲です。
私としても自信作です! このビート感がクセになる!
ぜひ動画の方へ飛んでみてください!
NSさんのブログはこちら!
↓
そして、私からも告知です!
BGM、カラオケ音源制作ならBGM制作事業所「キリカ工房」にお任せください!
↓
ご依頼お待ちしております!
【BGM制作】企業案件を二件ほど受けた話。
とは言っても、以前勤めていた会社のPR動画に使うBGMである。
身バレやら本社からのお叱りやらの問題があるので、今までこのブログでも書いてこなかったのだけれど、今は退職したし言ってしまえば私も会社側からしてみれば「外部の人間」なので、少し書いてみようと思う。
二曲とも、楽曲自体「良くできている」という自負もあるので、この場を借りて皆様にも、その成果をみていただければ、と思います。
一つ目。
こちらは、この動画のために制作した完全オリジナルBGM。
曲名は特に決めていないけれど、上品で清潔感のある、都会的な雰囲気を重視して作った。上長からの指示も、そのような感じだったと記憶している。
ゲストハウスのある港区芝浦は、高層マンションに囲まれた大都会だ。その雰囲気を、楽曲で伝えたかった。
ちなみに、サムネにもバッチリ映っている著者。このころはカットモデルなんかをやっていた関係で、パーマがものすごいことになっている。
総監督を務めた方が個人でドローンを所有していたので、そちらを使用して撮影されたため、かなり現代的な絵作りになっている。
動画序盤から、手持ちカメラでは出せない滑らかな映像が続く。途中で挿入される画像に関しては、今や私のBGM制作の常連さんでもある「NS」さんが担当した。
外部業者を使わず、すべて事業所のメンバーだけで企業CM並みの動画を作り上げた。
クリエイティブなメンバーに恵まれた芝浦アイランドでした。
二つ目はカラオケ音源。superflyさんの「愛をこめて花束を」を制作。
ポップソングを楽譜を見ながら再現したのは、これが初めてだった。
頼まれた際は二つ返事でOKしてしまったが、家に帰って改めて楽曲を聞いてみて凍りついた。「こりゃやべぇ、難しい…」。ポップソングって何気に難しいんだよね(苦笑)。
でも、楽譜を見ながら録音していくうちに、この曲の構造がよく理解できた。
ストリングスの絡め方や、ボーカルの越智さんの得意とする歌の引き出し方等、色々と勉強になった。
「音」の一つ一つにちゃんと意味があって、楽曲の展開にもドラマ性がある。まだまだ勉強が足りない自分にも気が付けたし、何よりも、作っていて楽しかった。
6分30秒あたりに、制作風景まで映していただけている。ありがたや。
こちらも一大プロジェクトでしたな。やることの規模とクオリティが「有料老人ホーム」のそれじゃない。すごいよね。現場、大変だっただろうな。
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