奥多摩ロープウェイ廃墟探訪に行った話
※動画BGMは自作。DTM上で作成した音源をカセットテープで加工した。
バスドラのテープコンプが心地よい。
今年の夏、唯一のお出かけである。
世間はコロナ禍で東京都民は県外に行くことがはばかられる中、我々は都内奥多摩の秘境へと向かった。
我々、というのは同じ職場で働くモデラーのNSさん、以前ウチの職場で働いていた写真とゲームと食べ歩きが趣味の130さん。
コロナが本格的に流行する前、我々三人は写真部を結成したのだった。しかし、時期が時期だけに活動がおざなりになっていた。
緊急事態宣言解除後、NSさんから廃墟探訪の提案を受けた。
NSさんは以前から廃墟探訪が趣味で、よくお一人で車を飛ばして廃墟探訪を楽しまれている。僕はインスタグラムなどでよくその様子を拝見させて頂いていた。
「廃墟なら密を避けられる」とのこと。思えばそうか。廃墟に人が集まるはずがない。
そうと決まれば写真部始動である。我々三人は予定を合わせ、一路奥多摩へと向かったのだった。レンタカーの用意、運転等はNSさんがやってくださった。感謝です。その節はお世話になりました。
廃墟探訪は初めてだった。以前、軍艦島に行ったことがあるのだけれど、そちらはガイド付きで、安全確保のため内部にはいることはできなかった。今回はより近くで廃墟の美しさを堪能できるかもしれない。心躍った著者である。
奥多摩ロープウェイについて。
こちらに関して、ネット上で概要を確認できるものはウィキペディア程度しかない。
1962年開業、1966年に「冬季休業」の名目のもと運休、そのまま1975年に廃業している。営業期間はわずか4年。高低差が殆どなく、景観変化にも乏しい乗り物だったとのこと。そして、周辺の交通インフラ整備が行われたことによってよりその存在価値低下が決定的となる。現在では所有者が特定できず、放棄されている状態だとか。
廃墟好きの間ではメジャーな場所らしく、ここを探索する者が後を絶たない。
それは僕らも同じ。
廃墟探訪は過酷だ。整備されていない山道をひたすら歩く、のぼる、降りる。藪を素手でかき分けながら。
それでも、やはり心躍るロマンには勝てない。
廃墟から見えてくるものがある。それは日本の輝かしい近代化の中で見過ごされている影の部分かもしれない。近代日本社会は発展と消費消耗の中で、多くのものが置き去りにされてきた。
そういった、見捨てられたまま忘れ去られていくものに目を向け、現在の我々の在り方を考えてみる。消費が叫ばれる現代において、本当に必要なものは何なのかを考える。そういう姿勢も、あるいは必要かもしれない。
朽ちていく廃墟を見て、そんなことを思った。