スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け 完結した物語を無理やり続ける意味とは?
観てまいりました、スターウォーズ最新作。
色々と話しをする前に、一度僕のスターウォーズ観を説明しておくことにする。
白状してしまうと、僕はかなりライトなスターウォーズファンである。
オリジナル・トリロジー(旧三部作)は当然観ているが、エピソード4を観たのはずいぶんと昔なので殆ど覚えていない。5と6はそれぞれ三回以上観た。
プリクエル・トリロジー(エピソード1から3ね)は一切観ていない。すいません、試験終わったら観ます。
そして、近年になってジョージ・ルーカスからディズニーに権利が移ってから制作されたシークエル3部作は全て観た。
子供の頃、ディズニーランドのスターツアーズが大好きだった。初めてディズニーランドに行った夏休み、僕は小学校で出された「夏休みの思い出を絵に描いてみよう!」という宿題で、スターツアーズの絵を描いた。宇宙空間に浮かぶ巨大な戦艦(後に、スターデストロイヤーという名前だと知った)や、タイ・ファイター、X-ウイング等、子供心をくすぐるガジェットがスターツアーズには沢山あった。つたないながらも、それらを絵に描くことが楽しかった。
そんなわけで、観ていない作品が多いし、ライトなファンであることは認めるものの、でも、僕は自分なりにスターウォーズのことを大事な作品だと思っている。僕よりももっとスターウォーズを愛している人たちがいるのも、勿論知っている。
だからこの映画評は、そんな「子供の頃にスターツアーズが大好きだった」程度のライトなスターウォーズファンである人間が書いた記事ということを念頭に置いて読んでいただければと思う。どうしてこんな前置きを書くかって? そりゃあ君、ネット上に数多居る「スターウォーズ警察」に捕まりたくないからだよ。ふははは。
閑話休題! さて! スカイウォーカーの夜明け、行ってみよう!
上記にある通り、本作は原作者ジョージ・ルーカスの手を離れ、エンターテインメントの王国ディズニーに権利が移った「シークエル・トリロジー」三部作の完結編である。
ターミネーターの時も書いたけど、これこそが「世界一カネのかかった同人誌」だ。
世界最高のスタッフと資金をつぎ込んで作った同人誌。こんなに予算をつぎ込んで、最新技術を用いて作れる作品は、おそらくスターウォーズシリーズ以外にはないだろう。駄作ができたとしても、ファンは観に行くだろうし、作品の質が良きにしろ悪きにしろ製作費は回収でき得る。
ただね、またターミネーター同様、スターウォーズも「終わっている」作品なんですよ。
制作された時系列は逆になるけれど、スターウォーズはエピソード6「ジェダイの帰還」で結末を迎えている。銀河帝国の皇帝パルパティーンは倒され、第2デススターは破壊され、ルーク・スカイウォーカーは実の父と最後に和解する。まさに大団円。
そこから再びシリーズを続けるというのは、やはり「スターウォーズ」がカネになるからに過ぎない。もちろんお金儲けは悪いことではない。それに、監督やプロデューサー等、作る側に課せられた責任感や重圧もハンパじゃないはずだ。
だって、スターウォーズは映画史それ自体を変えてきた映画なんだよ。
映画の終わりに出てくるスタッフロールが長くなったのはスターウォーズの影響だし。「新たなる希望」が公開される前の映画のエンドロールって短かったもんね。
オリジナル・トリロジーの三部作は、その都度特撮技術の限界に挑んだ映画だった。「帝国の逆襲」の雪上戦なんてまさに挑戦。当時の特撮技術では、雪景色が広がる白背景に合成を施すと、合成した箇所に緑の線が浮き出てしまうはずだった。しかし、ルーカス達はその緑の線を最小限に抑えることに成功した。光学合成の数も、フィルムの強度の関係で当時は「2つか3つ合成するのが限界」とされていたのに、エピソード6では合成数が60を超えていたとか。
とにかく、スターウォーズは特撮映画の歴史を作った映画なのである。作り手側の気合いがハンパじゃない。映画史における一つの「伝説」と言っていい。そんな「伝説的作品」の続編を作ったところで、敵うわけがないのである。越えられるわけがない。
それでも、現代映画界の最高のスタッフを集めて続編シリーズを作った。「終わってしまった伝説的大作」の権利を買い取り、ディズニーは無理やりにもその続編の制作を開始した。
物語上の色々な制約があるし、ファンも多くいるし、そもそも終わってるし、続編を作るなんて本当にハードルの高い作品である。以前の僕なら「そんな難しいことによく挑戦したな」と感心したかもしれない。しかし、今の僕ならこう言う。
「挑戦も何も、お前らが勝手に始めたことだからね」と。
しつこくて悪いけど、終わってるのよ。原作者が終わらせてるし、その段階では疑問は残りつつも綺麗に終わっている。
そんな作品に対して、また無理やり続編を作って何がしたかったのかって、カネ儲け一択でしょ。
失敗に終わったとしても、ファンはカネを払いつつも「あれはだめだ」という話で盛り上がれる。
監督やプロデューサーもしっかりギャラは貰っているわけだし。「挑戦」も何もないわけですよ。
まあ、色々ありつつも今回で結末を迎えたシークエル・トリロジーの三部作。
まとまりに欠けるシリーズになってしまった原因はいくつかあるけれど、極めつけはやはりラスボスについての事柄だろう。おなじみの「ドクターワイリー登場」である。もう、これに全てが現れている。やはり、現代の作り手は旧作の偉人たちを超えることは無かったし、無難に火消しに走るのが精一杯だったのだ。あれを超える悪役を創造することは、やはり敵わなかった。
勿論、面白いシーンも沢山あった。カイロ・レンの、祖父に対する劣等感や苦悩はそのままこの映画の作り手の苦悩に置き換えられるし、魅力的なキャラクターだった。
X-ウイングの空中戦と、ピンチの時の騎兵隊登場一発逆転シーンはやはり胸が熱くなるし、懐かしい要素も沢山あり、ミレニアムファルコンに乗ったチューイと、同乗するある人物の姿を観たときは、「ジェダイの帰還」を初めて観たころの自分の少年時代を思い出して、思わず落涙してしまった。思い出と共にあるスターウォーズ、である。
上に挙げたものを分析すると、カイロ・レン以外は元々このシリーズにあった遺産である。言ってしまえば、カイロ・レンの描き方に関してだけは、作り手は「パンツを脱げた」のだ。そこはやはり特筆すべきだ。
しかし、シリーズ全体として観た場合、やはり歪ではある。ラスボスもいきなり冒頭でテキストという形で書かれていたし。「えっ」とつぶやき思わず劇場でのけぞってしまった著者なのだった。前振り一切なしだしね。ビビったよ。
最終作である本作は、エピソード7と8で広がり過ぎた諸々の火事を「なんとか消してみせた」という具合。
いや、色々書いたけど凄いとは思うんですよ。これだけお金をかけて最新技術を使って「スターウォーズ」を見せてもらえたことには、やはり感謝するべきだとは思います。
でも、やはり「カネ儲け」以上の意味を、僕はシークエル・トリロジー三部作には見出せなかった。残念無念である。
晦日の晩に。皆さま2019年もありがとうございました。
すっかり年の瀬ですね。
今年は音楽活動よりも仕事のキャリアアップに時間を使った一年だった。
少しばかり出世もした。
来年の一月末には資格取得のためのテストも控えているので、まだまだ油断はできない。気を引き締めていこう。
先ほど妻と色々話していて、来年の目標をいくつか掲げてみた。
・創作や活動をする仲間を増やす、横のつながりを大事にする
・極楽蝶の新譜を出す(余裕があればキリカも)
・お蔵入りしている作品の歌を録りなおす
・旅行に行く
・古い友人たちと再会する
・スノボ行きたい
・京都に行く
・ペーパードライバー講習に行く
・MV撮る、アー写撮る
・レコードプレーヤー、カセットMTRなどのアナログ機材を駆使する
・歌声酒場におじさん仲間を連れていく
・ジャズマスターを買う
etc...etc...
とりあえず、挙げただけでもこれくらい。
枚挙に暇がない。違うんだよ、私は自分の人生を楽しく過ごしたいのだよ。
やりたいことは数多く。これからが楽しみで仕方がない。
2020年もよろしくお願いします、皆様、よいお年をお迎えくださいませ。
アナログプレイヤーがやってきた!
さて、年末である。
一般企業に勤めている常勤社員の人々はボーナス時期、バーゲンセールも数多く買い物に大忙しだ。
今年は嫁さんとはプレゼント交換を実施。僕の方からは嫁さんにクリスマス限定品のコスメをプレゼントしたのだけれど、お返しにアナログプレイヤーを買ってもらった。
HOFEINZのアナログプレイヤーだ。
昔からレコードには興味があったのだけれど、なかなかきっかけがなくて買う機会を逃していた。電気屋さんに行っても高価なものばかりだし、揃えるものもターンテーブルの他にもアンプやら何やら色々あるし、仕組みもわかりづらい。参入障壁が高いイメージがあった。
そう思っていたにも関わらず、僕がこの世で一番好きなバンド「スマッシング・パンプキンズ」がアナログ限定で作品をリリースする際は、プレイヤーが無いにも関わらず購入したり、実家で引っ越しをする際に母親が処分しようとしていた「ハイファイセット」や「ジャニス・イアン」のレコードを譲り受けたりしていて、プレイヤーが無いにも関わらずレコードだけはやたら持っていたのだった。「いつか必ずプレイヤーを買おう」と頭では考えていた。
満を持してのプレイヤー購入である。HOFEINZのプレイヤーはスピーカー内蔵なので、これ一つ買えば聴くことができる。高価な買い物、嫁さんには感謝である。
レコードの音を聞くのは人生初。針をゆっくり落して再生された温かみのある音に、素直に感動した。
轟音ギターがCDよりも柔らかく、ギターソロも太く存在感を持って聴こえてくる。
B面のアコースティックギター一本の弾き語り曲は、本当にすぐそばで演奏してくれているかのようだった。
レコードの盤面は大きくて、表現する内容に迫力が出る。聴覚だけでなく、視覚による表現力も大きい。久しぶりだ。音楽でこんなにも楽しめるのは!10代の時のようだ。
いつの間にか、僕にとっての音楽はmp3プレイヤーで通勤中に聴くだけの存在になっていた。ジャケットやブックレット、歌詞カードを流し読みして、CDをパソコンに取り込んだら後はクリアケースの中に放っているだけのものだった。
目の前でターンテーブルに乗って再生されている音楽を聴いたとき、懐かしい気分になった。久々に音楽と「対面」した気がした。ジャケットを眺めながら、流れてくる音色に聴き入る。そうだよ、これだよ! 音楽は、もっとこんな風に聴くべきなんだよ! 昔はそうしていたでしょ!と。
勢い余ってスマパンのアルバム「メロンコリー」のアナログ盤を購入した。
Mellon Collie & the Infinite Sadness [12 inch Analog]
- アーティスト:Smashing Pumpkins
- 出版社/メーカー: Virgin Records Us
- 発売日: 2012/12/03
- メディア: LP Record
今朝届いたのだけれど、これはヤバすぎる!
スマパンは世界観重視のアーティスティックなバンド。音楽のみならず、フォトセッション、イラストなど表現は多岐に渡る。そんなアーティスティックなバンドとアナログ盤の大きなジャケットは相性バッチリである。
見てよこの大判のイラストの数々!
中身を開けた途端に「うわぁ!」とうめき声をあげてしまった著者である。もうホント最高! 彼らの音楽に夢中になっていた10代の頃を思い出した。本当に好きでよかった、スマパン。
そんなわけで、アナログレコード熱は当分収まる気配がない。他にも、母がくれた「ハイファイセット」、嫁さんが実家の義理父から借りてきた「イーグルス」や「アメリカ」、「メラニー」等も聴いている。楽しくて仕方ない。先日からカセットテープMTRを買ったりと時代と逆行するかのようにアナログに回帰してしまっている著者である。クリアとは言えないが温かみのある音が癖になる。まだまだ楽しい日々は続きそうだ。
バットマン・リターンズ ー陰キャ、非リアのためのクリスマス映画ー
嫁さんに出会うまでの年の瀬というのは中々に憂鬱な時期だった。10年ほど前は「リア充爆発しろ」なんて言ってクリスマスをひたすら憎む人間が数多くいたな。
恋人や家族と共に幸せに過ごすクリスマスやお正月。
プレゼントを贈りあう恋人や、共に新年を祝い合う家族のいない人々にとって、この時期がいかに残酷なものなのか。どれほどに心を追い詰めるものなのか。この「バットマン・リターンズ」という映画には「孤独」を知る人間のもの悲しさが描かれている。
監督は鬼才ティム・バートン。
前作「バットマン」で、アメリカンコミックにおける人気ナンバーワンヒーローであるバットマンをおとぎ話化し、ダークファンタジーの世界に観客を招待したバートン。思えば、彼の監督したバットマンシリーズで描かれるブルース・ウェインというのは彼自身の投影に他ならない。
幼少期からの父との確執、学校にいかずに昼のホラー映画の再放送ばかり見ていた子供時代。やがて、古典ホラー映画に出演していた俳優たちを、ティム少年は「理想の父親」として親しみを覚えるようになる。血のつながった現実の父親は野球関連の仕事をしているスポーツマンである。芸術家肌のティム少年と気が合うわけがない。父への愛を殆ど受けず、恋人もいなかったティム・バートンの姿は、肉親も恋人もおらず執事のアルフレッドと二人で豪邸に暮らすブルース・ウェインの姿と見事に重なる。
例に及ばず、ブルース・ウェインは夜な夜な蝙蝠のコスチュームを着て自警活動に勤しむ奇人である。
本作に登場するヴィラン「ペンギン」も、容姿の醜さから両親に捨てられ、下水道に住むサーカス団に育てられた奇人。
「キャットウーマン」も、元は男に振り向かれるどころか雑に扱われてしまう地味な社長秘書である。
言ってしまえば本作で描かれているのは、そんな幸せになれない3人の奇人(陰キャ、非リア)の足の引っ張り合いだ。ペンギンは自らの出自の悲劇を市民にアピールし、同情を買うことで市の人気者となる。それに対してバットマンはペンギンの真の思惑と素行の悪さを市民にアピールして(いわゆるネガティブキャンペーン)ペンギンを潰しにかかる。
「あいつは俺より人気がある! 潰してやれ!」という絶望的な泥仕合の連続である。
結論から言ってしまえば、誰も幸せになんてなれない。泥仕合の果てにハッピーエンドなどあり得ないのは自明の理である。それでも、この映画には価値があると私は信じている。ネオンで輝く街の風景、軽やかに響くクリスマスソング、テレビを点ければ暖かい暖炉に囲まれた家族のイメージ、恋人たちがディナーを楽しむ風景。
そういった、一見罪のなさそうに見えるクリスマスの描写が、幸せになれなかった人間たちをどれほど苦しめるのか、「孤独」や「寂しさ」の本当の意味を知らないあなたたちにはわかるまい。
しかし、我々の心には、孤独を抱えたまま高級車のバックシートで一人揺られているブルース・ウェインがいる。DVDを再生すれば、孤独なブルースはいつもそこにいて、我々と傍にいてくれる。それは一つの救いなのかもしれない。そう思わないとやってられないほどに、独り身というのはつらいものだったという話。
ターミネーターニューフェイト、偉人たちのキャリア総括
いやもうね、やっぱりこの話をするときは「2」の話からしなきゃなのよ。
僕はターミネーター2の大ファンである。以前、他のブログでも書いたことがあるのだけれど、中学生の時はVHSを持っていたので、休日が来るたびに観ていたほどである。
本当の話、僕が生涯で一番観た映画が「ターミネーター2」なのである。誇張なしで、50回以上は観てると思う。先日土曜プレミアムで放送されていた際も「さすがにもういいだろ。何回も観てるしな」と心の中で斜に構えつつも放送が始まるや否やテレビをつけて前に陣取って手に汗握りながら鑑賞した。「やっぱり面白い!」と観ていて嬉しくなった。そして、最後にはうっすらと目に涙を貯めている自分に気づくのであった。いやもうね、何回観たとか関係ない。何回観ても本当に面白い。
そんな「2」の筋金入りのファンの私である。19歳の頃、とある情報番組で「ターミネーター3が制作中」という報せを聞いて途方に暮れたのを覚えている。原作者のジェームズ・キャメロンは以前「僕の中でターミネーターは2作目で終わっている」と発言していた。にもかかわらず、である。しかも原作者のキャメロン氏は不在。のちになってキャメロン氏は「3作目は僕も納得の傑作だ」と言い放った。僕は「嘘だ」と思った。
「キャメロンはカネを掴まされて、PRのために言わされているに決まっている」と。
だって、2で終わりって言ってたし、結局使われなかったけど、世界に平和が訪れたシーンだって撮影していたのだ。
ターミネーターは「2」で終わってるんだよ。蛇足でしょ。なぜ続けるのよ?
金か? 金儲けか? ああそうかい、わかったよ。くたばれハリウッド!
若き日の僕はそんな風に思い、しばらくハリウッド映画から遠ざかって、ゴダールの気難しい映画を眠い目をこすりながら観ていたのだった。若かったね。発想の幼さたるや恥ずかしき…。
最近ようやく「3」を観たけれど、まあ普通に面白かったです。主人公ジョンの腐り方に共感を抱かざるを得なかった。戦争が起きなかったことによって英雄になれなかったという皮肉には考えさせるものがある。
「4」は「僕たちの見たかった未来の戦争」を描いてくれたという点で面白かった。
「5」は、もう絶望した。ちなみに「5」の感想は以前運営していたブログに投稿している。あれは「ターミネーターの顔をしたビバリーヒルズ青春白書」だ。
↓
https://ameblo.jp/katsumi0225/entry-12118311368.html?frm=theme
やっぱり原作者キャメロン不在のターミネーターはどうしても「世界一金を使った同人誌」にはなってしまいますよね。
今回キャメロン氏は「プロデューサー」として新作に参加している。まあどれほどの裁量権があるのかは不明だが…。
そしてまたもや「2の正当な続編」という謳い文句…。不安しかない…。
「ターミネーターニューフェイト」、以前の僕ならきっと映画館に行こうとは思わなかっただろう。何を観たとしても、50回以上観た「2」を超えることはあり得ない。あるのは「カネ儲け」の匂いだけだ。ただ、今回はそれまでの「3」~「5」までとは違う。
サラ、リンダ・ハミルトンの復活があった。
女優としてはほぼ引退状態だったハミルトンが、新作で登場する。そう、ターミネーターは聖母マリアの処女懐胎の話なのだ。サラが居ないターミネーターは、もはやターミネーターではないのだ。
そして、すっかり歳をとって柔和にも見えるアーノルド・シュワルツェネッガー。
「T-800を演じるのは、これで最後」との発言もあった。年齢から考えて、これは本当だろう。もう70を超えているのだ。前述のリンダ・ハミルトンは撮影時62歳。
キャメロン氏と3人で作り上げた作品を、3人で総括する。なんと感慨深いことだろう。
ファンとしては、観に行かない理由がないわけです。たとえそこに「カネの匂い」があったとしても。
さて、長い前置きだ。「ニューフェイト」の話をする。
今回の敵である「REV-9」は、「2」の最強最悪の敵「T-1000」同様の液体金属製であり、二体に分裂して戦える他、ネットにアクセスして標的を捜索、ドローンを使って攻撃する等、現代的なアプローチで主人公たちを追い詰める。
しかし、やっぱり「T-1000」の「うわぁ! 来たよ!」の怖さは越えられない。
あの時代は単純だった。今は複雑すぎる。作り手も大変だろうな。それに、液体金属という発想も、二度目以降は新鮮な驚きを与えられない。
主人公の「守護者」として現代に送り込まれる強化人間のグレース(マッケンジー・デイビス)。近接戦闘で華麗な身のこなしを披露し、観るものを圧倒させたが、「長時間戦えない」という弱点があり、精神的にもどこか頼りない。この「頼りなさ」が緊張感を見事に演出する。
そして、我らがマリアさま、サラ・コナーはブランクを感じさせることのない女戦士。彼女の登場でようやく観客は一息つける。その頼もしさたるや、やはりレジェンドである。
シュワルツェネッガー扮する「T‐800」。彼の登場によって物語は「逃走」から「闘争」へと変わる。色々と設定に無理はあるが、やっぱりシュワルツェネッガーが出てこないターミネーターはあり得ない。
色々と思うことはある。「REV-9」の倒し方は「T-1000」のときの「ああ、これは死ぬわ」と明らかに目で見て納得できるものではないし、輸送機に乗る前のサラと軍人とのやり取りはイマイチわかりづらい。逃走者と追撃者との間で繰り広げられるカーチェイスはもう何度も観たし、何よりも初っ端で殺されるある人物のことも、現実的な事情を考えざるを得ない。どうしても何か言いたくはなる。
それでも、長い間観たかった「サラの物語」を観ることができたし、逃走者たちが作る疑似家族のような連帯感にも思わず熱くなった。キャメロン、ハミルトン、シュワルツェネッガーの三人が作った最後の作品、劇場で観れて良かったと思う。
まあでも、やっぱりターミネーターは「2」で終わってますけどね。
閉店前にウェアハウス川崎店に行ってきた。
マジで最高でした。仕事の関係で今、資格取得のため毎週火曜は学校に通っている。連日の激務に加え貴重な休みは学校で潰れるという悪夢のような現実を過ごす私に、ウェアハウス川崎店はご褒美以外の何物でもなかった。もう一回言うけどマジで最高でした。
ウェアハウス川崎店は、かつて香港に存在した集合住宅である九龍城砦(クーロンジョウサイと読むらしい)をモチーフにしたゲームセンターだ。雑多で猥雑な魅力を持った九龍城砦に魅了されたクリエーターは数多く、サイバーパンク小説や漫画をはじめ様々なコンテンツにそれをモチーフにした建造物が登場する。
実際の九龍城砦はこんな感じ。
↓
そんなカオティックな世界が広がる九龍城砦。その世界観をウェアハウス川崎は見事に再現したのだった。
サビ加工まで忠実に再現。話によると、家庭ごみをわざわざ香港から空輸したという話もある。ものすごいこだわり。
ここゲーセンだぜ? 信じられないよね?
映画「恋する惑星」のブリジット・リンのような一枚。
王家衛の映画、10代の頃ものすごいハマったな。カッコよかった。
色々なメディアで言われていることだが、閉店に関しては経営的なことではなくテナント契約の期限によるものらしい。要は、大家さんとの契約が切れるから。
斜陽と言われて久しいゲームセンター業界で、コンセプトで勝負に出たウェアハウス川崎。閉店すると聞いて初めて聞いたけど、こんなに楽しい場所だと知っていたら何度でも立ち寄ったと思う。日頃の疲れも飛ぶほど楽しい一夜だった。
知らなかったことが悔しいし、閉店が名残惜しい…。
気になる方はぜひ行ってみてください。閉店は今月17日までだそうです。急げ!
家事をやるときに「youtube」
近頃仕事が激務に加えて資格取得のために学校も通わなくてはならないので、家事を妻にお任せしてしまう日々が続いていた。ほぼ休みなし。うおお…。
今日は久しぶりの完全オフだったので、妻が帰ってくる前にサンマを焼いたり味噌汁やらサラダやらをこしらえた。やっぱり家事はやらなきゃいけませんね。忙しいけど、ちょいちょい頑張らねば。
家事って面倒なことが多い。何せ、成果が見えにくい。単調なようにも思える。
掃除なんかは、こだわりだすとキリがないし、頑張って綺麗にしてもまた3日も経つと埃が立っていたりもする。
まあでも、そうはいってもやらなきゃダメだよね。無理しない程度にやらねば。
あと、余談ではあるけれど、お年寄りなんかは家事やらなくなるとすぐにADL(activity of daily life:日常生活動作のこと)低下するからね。生きるために必要な動作が家事にはあるわけ。
さて、僕には家事をやるときの楽しみがある。とてもささやかなものだけれど。
簡単なことなんだけど、「youtube」で配信されている動画をラジオ感覚で聞くこと。
僕は雑学系や解説系のyoutube channelが好きなのだけれど、ああいうのって平均的に30分以上の長尺動画がほとんどで、しかも画的には開設者がずっと同じ絵面でしゃべっているだけなので退屈してしまうのだよね。視覚的な刺激はないから面白い話のはずなのに飛ばしたくなってしまったりね。そういう動画は基本的にラジオ感覚で聞くのが正解のような気がする。気になった時だけ画面を見て10秒戻してみたり。
そんなわけで、今回は家事をやる際に聞いている、個人的におすすめのyoutube channelをいくつか挙げてみようと思う。
100年以上前にロケットは作られていた?!それは悪魔の兵器…
「オタキング」の通称を持つ岡田斗司夫さんのyoutube channel。
アニメ、映画だけでなく歴史、学問、読書解説などなど。
個人的には宇宙開発の話が本当に面白い。スプートニクショックやジェミニ計画、アポロの月着陸の裏話などなど。
岡田さんは本当に、知識と好奇心の塊のような人で、今日もサンマを焼く際にずっと聞いていた。こういう、お利口になった気にさせてくれるchannelは好きだ。
凄い熱量だな、と毎回感心させられる。
#227「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」と「パルプ・フィクション」徹底解説!〜天才映画オタク、Q・タランティーノの復讐のピングドラム!!
こちらも岡田斗司夫さんと同様の雑学、解説系のyoutube channelなんだけど、山田玲司さん独自の視点で語られる解説が勉強になる。
特に、1960年代~現在に至るまでの近代史についての考察が鋭い。団塊、ヒッピー運動、学生運動、しらけ世代などなど。学校では振り返ることなく、教えることそのものがタブーとされていた近代史を、わかりやすく掘り下げてくれる。
まあ何より面白いのは、男子校っぽいノリで番組が進行していくところかな。
この華のなさがどことなく懐かしくて、良い。
【超大作】日本の神話「古事記」が面白い〜第1話〜日本の成り立ちを知っていますか?
「自分の得意なことを武器にする」を体現する、オリエンタルラジオのあっちゃん。
youtubeはテレビと違い、自分の思うように好きなこと、得意なことをやれる場だ。
正直に言うと、テレビに出ているときのあっちゃんは特に気にしていなかった。
芸能人の方こそ、youtubeで自分の隠れた才能を披露するべきかもしれない。テレビの制約を外されたあっちゃんは本当に強い。
頭脳明晰なのは色々なところで言われていたけれど、ここまで勤勉な方だったことに驚いた。努力の塊なのがよくわかる。
上の動画は古事記についての解説。芸人特有の軽さを残したトークだけれど、要点はよくわかる。古事記、僕は子供のときに読んだっきりで殆ど忘れていたのだけれど、動画を聞いて思い出した。面白かったな。
人類総クリエーター時代と言われて久しいこの頃。たくさんのyoutube channelが存在しているわけだけれど、お金を払わずに楽しむことができるメディアって本当に貴重だと思う。僕の見ている動画チャンネルの共通項を挙げるとすると、「熱量」の一点に尽きると思う。無料でこれだけのものを見せてもらえて、満足度がハンパじゃない。
見る前と見た後で、確実に違う自分になれている。
これだけの熱量のある動画をほとんど毎日挙げているクリエーターさんたちには本当に頭が下がる。これからも家事の際にお世話になると思う。
そうそう余談だけど、youtubeで食べていくにはほぼ毎日3~4万再生される動画を作り続けなきゃならないんだってね。それで食べていけるかいけないかくらい、だそうです。
子供に人気の職業「youtuber」だけど、なかなか甘いものではなさそうだ。