身延へ行く 一日目 ー国道300号線閉鎖、雨畑の集落、下部温泉へー
某月某日、いつも音源制作依頼などでお世話になっているNS製作所さんに誘われて、私は山梨県南巨摩郡身延町へと旅行に行った。
このブログにも幾度もご登場されているNSさんは、実は先日退職した会社の別部署にいらっしゃる方で、今回は私の退職に際しての「卒業旅行」ということで企画や手配をしてくださった。
在職中もスノボ旅行や奥多摩旅行、それから楽曲のご依頼等含め、お世話になりっぱなしだったのだけれど、とうとう退職の際までお世話になりっぱなしのままになってしまった。本当に感謝です。
なぜ身延なのか、というと、答えは簡単。アニメが好きな方なら即お分かりだろう。
我々二人して、アニメ「ゆるキャン△」のファンだからだ。
私も、退職前に三か月ほど休職していた際に「ゆるキャン△」は全話制覇していた。休職中の心身共にやられていた状態で見た、アニメの中の富士山の風景の美しさには何度も励まされた。「ああ、世の中美しいものが色々あるな」「また旅に出たいな」等、そんな穏やかな感情が自分の心を癒してくれた。
そして、念願叶って身延旅行である。
結論から言うと、今回の旅行は自分にとっては「アニメの聖地巡礼」にとどまらず、様々なことを考えさせてくれる旅となった。
道中、予期せず訪れることになった集落や廃墟、台風によって陥落してしまった道路や鉄橋など、東京という都市に住んでいる自分が普段踏み入れることのない場所に身を置いたことで、見えてきたものが幾つかあった。
集落、というのは都会に住んでいる自分からすると、とても不便な場所だと感じる。買い出しのためにわざわざ車に乗って遠方まで行かなければならない、利用できる公共機関も近場にはない、電車に乗るにも駅までが遠いし本数も少ない、娯楽も限られている、地域のコミュニティも限定的だ。
なぜそんな不便な場所に住んでいるのか、長い間自分の中で疑問があった。
仕事で疲れて体調を崩し、3か月の休職期間を終えた自分が集落を訪れたとき、それまでとは違う感慨を抱いている自分に気が付いた。
「都会のスピード感についていけない」
ひょっとしたら集落に住む人々も、同じような感慨があるのかもしれない。そんな風に思った。
これは、心身ともに疲れていた自分が感じた、ただの妄想かもしれない。そもそも、集落に住まわれている方々は、都会での生活をご存じない方も数多くいらっしゃると思うので、この感慨は自分のただの一方的な勘違いか、押しつけなのかもしれない。申し訳ない。でも、少し自分の頭を整理するために書いてみることにする。
現代では「ひきこもり」が社会問題となっており、推計では潜在的なひきこもり者の数は100万人~200万人と主張する専門家も少なくない。
都市に人口が集中した結果、その慌ただしいスピード感について行けずに「ひきこもり」となる人々が一定数いるわけである。
これが例えば、50年くらい前だったらどうだろう?
1970年代、80年代の初頭くらいまでなら、まだ田舎に実家がある人々も多く、田舎で暮らすスキルがある人々も多くいただろう。都会のスピード感について行かれなくても、Uターンして戻る場所があった。
ここで一つ例えばなし。
80年代初頭に人気を博したドラマ「北の国から」の田中邦衛扮する主人公「黒板五郎」も、妻の不倫がきっかけで富良野への移住を決断する。都市生活への失望も幾らかあっただろう。
もし五郎さんが現代の東京に生まれ、田舎での生活スキルを持たずに育っていたら、例え都市生活で心が折られたとしても、富良野には行かなかったかもしれない。東京でひきこもりになっていたのでは?と個人的に思ってしまう。
つまり、いつの時代にも「都会のスピード感についていけない」人っていうのは、一定数いるのである。時代によって、表出の仕方が変わっただけだ。昔の人は、田舎で暮らす技術があった。現代ではひきこもるしかなくなっているのかもしれない。
集落で暮らしている人々には直接お会いしたことがないので、ここで書かれていることはすべて私の妄想の域を出ない。一方的な偏見とも取られかねない。気分を害する方がいたら申し訳ない。
問題なのは、そこまで集落に対して感慨を抱いている自分自身の今の心境だ。「俺も、ちょっとだけ都会のスピード感が嫌になってるのかな?」と、我に返らされたのだった。
私は一体何を考えているのか。集落に何を期待しているのだろう?
答えはまだ出ない。
とにかく話を続けよう。
現時点で1800文字も書いているのに、まだ旅の思い出が何も書かれていない。
小雨の降りしきる中、恵比寿駅にて集合した我々はNSさんの手配してくださったレンタカーに乗り込み、山梨方面へと向かった。
東京で降りしきっていた小雨は西へと移動していくとすぐに収まり、所々曇ってはいるものの、比較的穏やかな天候に恵まれていった。
下部温泉到着。
我々が最初に行ったことは、昼飯を食らうことだった。
そして、この旅の最大の目的である本栖湖へと車を走らせる。
が、ここで思わぬ事態に遭遇する。
下部から本栖湖へと向かう最短かつ唯一の道が閉鎖されている。我々が本栖湖へと向かうには一旦北上して東に向かってぐるりと迂回するしかない。時間の関係で、明日へと予定をずらし、一路早川方面へと向かう。
ここでも台風の爪痕で通行止めが発生。しかし、好奇心旺盛な我々はそんなことではめげない。むしろ血が騒いでしまう。
陥落箇所を見学した後は、雨畑のつり橋へ。
作中で、リンちゃんが一人訪れたつり橋。この橋の先にも何かありそうな気配があったが道が狭く、私の装備が廃墟探索仕様でなかったこともあり、敢え無く引き返すこととなった。残念無念。次回はちゃんと仕様と装備を考えていきます…。
雨畑地区はディープな場所だった。
冒頭でも記した集落が広がっていた。
一方通行の山道を車で駆け上り、硯の里キャンプ場へ。
ここでNSさんの卓越した運転技術が光る。まともに整備されていない、車の通りにくい一方通行の山道を、まるで車と同化したかのように華麗にハンドルをさばいて進んでいく。スピードもほとんど落とさない。廃墟探訪がお好きなNSさん、酷道を行くのは慣れているとはいえ、簡単なことではないはずだ。
助手席でその様子を見ている私は立派なペーパードライバーである。ハンドルさばきを見て、すごいな、と感動するとともに、先ほど物音がして逃げようとした自分を大いに恥じるのだった。
車内が木の葉だらけなところを見ると、やはり投棄されている、ということだろう。どういう事情でここに陸自のジープがあるのやら。
雨畑地区、数々の「通行止め」に遭い、思わぬ形で立ち寄ることになったが、とても興味深い場所だった。いつかまた、訪れたいとすら思う。
時間の関係で、下部温泉方面に戻る。
ここで、我々は「聖地」であるスーパーマーケット「セルパ」に向かう。
友人への土産と、翌朝の朝食等を購入し、宿へと向かう。
NSさんが手配してくださった旅館「甲陽館」も味のある旅館だった。旅館の主人のお爺さんが我々に茹でた枝豆をくれた。アットホームなサービス、最近ではあまり体験することも無いので、とても心が和んだ。
下部温泉駅の目の前の、丸一食堂にて夕飯を食べる。
のんびりと時間が過ぎる。旅の疲れも少しずつほぐれていく。
夜は小雨が降り注いでいたが、せっかくなので傘を差して温泉街の写真を撮る。
決して小綺麗とは言えない温泉街だったが、どうもそれが旅行当時の自分の心境とよく合っていたように思う。
雨畑の集落や、硯の里も、決して華やかな場所ではないし、そこに「現代」を象徴するようなものは殆ど見つけられなかった。
そんな場所に身を置くことで、自分の考えをまとめることができたように思う。色々と検討違いなものはあるだろうけど、今の自分には必要な旅だったと、改めて感じる。
初日はここまで。次はまた、二日目の出来事を書いていこうと思う。
ボカコレ2021秋開催! 新曲投稿しました! 「さよなら、梅雨空」のこと
「ボカコレ2021年秋」の開催に伴い、私「極楽蝶P」も新曲を投稿し参加しました!
タイトルは「さよなら、梅雨空」。
他所の家の初音ミクさんはEDM風の曲を歌われることがもっぱらですが、ウチのミクさんにはバンドサウンド風なものを歌ってもらうことが多い。私がギター弾きだから、というのもあるのだけれど。
今回はアコースティックギターのアルペジオ主体の曲を歌ってもらった。
ミクの歌声は意外なもので、アコースティックな曲にも合う。自信作です。
最初は、小さな部屋で数人で演奏しているような曲を目指していた。仮タイトルも「小部屋」という名前だった。しかし、曲を作っていく過程で「部屋」よりも「庭」のイメージが大きくなっていき、そこに「初夏」「梅雨明け」のイメージを重ねて完成させた。曲自体はすぐに完成した。
肝心な歌詞の方は、イメージが下りてくるのを待っていた。
夜勤入りの電車の中で、iphoneのメモに少しずつ書き溜めていったのを覚えている。車窓の流れる景色を見ながら歌詞のアイディアを付けたしていった。
初夏、梅雨明け、庭などなど、色々とイメージは沸いてくるのだけれど、決定打になるはずの「何か」が足りない。
最終的にルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の原作のラストのイメージを加えて納得のいくものになった。夢の終わりと、目覚めのイメージ。
この曲を作っていたときは、そんなイメージにすがるような気持ちだった。
イラストを依頼し完成したものを貰った後、動画の編集を自分で実施した。
最近のボカロ曲の動画を意識して、一枚絵でフィルターやオーバーレイ効果を活用して「今風」にしてみた。編集ソフトは「filmola」を使っているのだけれど、まだまだ使いこなせていない機能がたくさんある。「filmora」は安価なソフトだけど、フィルターの種類が多くて面白い。これからもまた勉強していこう。
曲自体は梅雨明けの晴れた空を見上げ、希望を胸に歩き出すような前向きなものになったのだけれど、作曲中の自分は全くと言って良いほどハッピーではなかった。
腰痛にやられていたし、心も荒んでいた。歌の内容とは真逆の精神状態だったと思う。
でも、創作ってそういうもんなんだよね。自分が喜びの中にいなくても、喜びを求めて歌を作ったりもする。まあ、辛いままの気持ちをそのままブチまけることもできたのかもしれないけれど、その時の僕はそれよりも「救い」の方を求めたんだろうね。
とにかく、自分の心の中の「梅雨明け」がくるのをひたすら祈りながら作曲していた記憶がある。
過ぎていった雨の日々でも、思い出になれば懐かしくなったりもする。
まだまだ、これから。
むしろ、今がはじまりなのかもしれない。
そうそう、現在とあるカラオケ音源のご依頼を頂いて制作中。まだ制作中のため詳細は書けないのだけれど、去年のヒット曲。EDM系4つ打ちビートとピアノ、シンセ主体の曲だ。
それから、とある方からアルバム制作、編曲のご依頼も頂いている。
ありがたい限りです。また色々決まったら発信していきます。
乞うご期待!
【BGM制作】NS製作所さんから再度BGM制作の依頼を受けました!
「はてなブログは、ツイッターの貼り付けもできる」という事実を昨日知った著者であります(汗)。
そんなわけで、毎度おなじみ「NS製作所」さんから、カピバラ動画に続きBGM制作の依頼をお受けしました!
今回は、イタリアのバイクメーカー「ドゥカティ」が誇る名作!
「1199 PANIGALE S TRICOLORE」のスケールモデル!
赤き雄姿をご覧あれ!
DUCATI
— NS製作所 (@ns_factory_100) 2021年9月2日
1199 PANIGALE S TRICOLORE
動画にしてみました。
BGM:極楽蝶/サエキカツミ(@katsumi_0225)#タミヤ #scalemodel#中村製作所作品集 pic.twitter.com/vAjwEBpBKT
光沢のあるパニガーレの美しさたるや!
内装の機械部分も実に細かく作られていて、画像を見る限りでは本物と見違えるほど!
芸が細かいですね。私なんぞは内装だけでもずっと見てられる(笑)
今回のご依頼内容は「ジャズよりのヒップホップ」だった。
参考音源をいくつかいただき、よく聞きこませて頂いた。
2パターンほど曲のアイディアが浮かんだので、短いバージョンを2つ作って聞いていただいたのだけれど、何と2つとも気に入って頂けてお買い上げいただいてしまうという運びとなった。NSさん、その節はありがとうございました!
曲に関しては、とにかく「艶っぽさと危険さ」を意識した。
バイクという乗り物には、ロマンと同時に危うさがある。それをうまく表現できれば、と思った。
そして、やっぱりヒップホップのリズム感は聴いていて心地良い!
気が付けば体のどこかしらが動いている。そんな曲です。
私としても自信作です! このビート感がクセになる!
ぜひ動画の方へ飛んでみてください!
NSさんのブログはこちら!
↓
そして、私からも告知です!
BGM、カラオケ音源制作ならBGM制作事業所「キリカ工房」にお任せください!
↓
ご依頼お待ちしております!
【BGM制作】企業案件を二件ほど受けた話。
とは言っても、以前勤めていた会社のPR動画に使うBGMである。
身バレやら本社からのお叱りやらの問題があるので、今までこのブログでも書いてこなかったのだけれど、今は退職したし言ってしまえば私も会社側からしてみれば「外部の人間」なので、少し書いてみようと思う。
二曲とも、楽曲自体「良くできている」という自負もあるので、この場を借りて皆様にも、その成果をみていただければ、と思います。
一つ目。
こちらは、この動画のために制作した完全オリジナルBGM。
曲名は特に決めていないけれど、上品で清潔感のある、都会的な雰囲気を重視して作った。上長からの指示も、そのような感じだったと記憶している。
ゲストハウスのある港区芝浦は、高層マンションに囲まれた大都会だ。その雰囲気を、楽曲で伝えたかった。
ちなみに、サムネにもバッチリ映っている著者。このころはカットモデルなんかをやっていた関係で、パーマがものすごいことになっている。
総監督を務めた方が個人でドローンを所有していたので、そちらを使用して撮影されたため、かなり現代的な絵作りになっている。
動画序盤から、手持ちカメラでは出せない滑らかな映像が続く。途中で挿入される画像に関しては、今や私のBGM制作の常連さんでもある「NS」さんが担当した。
外部業者を使わず、すべて事業所のメンバーだけで企業CM並みの動画を作り上げた。
クリエイティブなメンバーに恵まれた芝浦アイランドでした。
二つ目はカラオケ音源。superflyさんの「愛をこめて花束を」を制作。
ポップソングを楽譜を見ながら再現したのは、これが初めてだった。
頼まれた際は二つ返事でOKしてしまったが、家に帰って改めて楽曲を聞いてみて凍りついた。「こりゃやべぇ、難しい…」。ポップソングって何気に難しいんだよね(苦笑)。
でも、楽譜を見ながら録音していくうちに、この曲の構造がよく理解できた。
ストリングスの絡め方や、ボーカルの越智さんの得意とする歌の引き出し方等、色々と勉強になった。
「音」の一つ一つにちゃんと意味があって、楽曲の展開にもドラマ性がある。まだまだ勉強が足りない自分にも気が付けたし、何よりも、作っていて楽しかった。
6分30秒あたりに、制作風景まで映していただけている。ありがたや。
こちらも一大プロジェクトでしたな。やることの規模とクオリティが「有料老人ホーム」のそれじゃない。すごいよね。現場、大変だっただろうな。
さて、そんなわけで、動画BGM制作なら我が「キリカ工房」にお任せを!
↑
楽曲制作のご依頼お待ちしております!
2か月半休職、退職、次に進む。
今月15日付けで、6年ほど働いていた有料老人ホームを退職した。
原因は体調的なものが諸々重なったことにある。時系列的に書いていくことにする。
まずは、去年の冬から継続していた腰痛である。すべての元凶はここにある。
最初の段階では勤務中にバンテリンを腰部に塗ったり、コルセットを巻いて対処していたのだけれど、6月ころには眠ろうと思って横になっても痛みで眠れない日々が続いた。
ベッドに入り、腰部に痛みを感じる。横を向いても真上を向いても痛い。
そこそこ責任のある立場だったので、昼夜も休みも問わず会社のグループLINEからは業務連絡が入る。職場は過渡期というか変革期にあるらしく、ルールがどんどん変更更新される。痛みと戦いながら、何とか業務連絡を確認する日々だったが、次第にその連絡も追えなくなっていった。
不眠のはじまり。私は経験的に「これはまずいことになる」と感じていた。
20代のころ、鬱を患ってしまったことがある。あの時も不眠が全ての元凶だった。おかげで、人生でかなり貴重な「20代」という時間を私は「鬱との闘い」に費やすこととなった。周りの友人が昇進やら結婚やら子育てをしている中、私はひたすら自分自身の心と向き合う日々が続いた。限られた「若さ」という時間を棒に振ったようなものだった。
そんなわけで、自分の心が強くないのは経験的に理解している。
早々に心療内科に飛び込んだ私は、ドクターに頼んで「適応障害」の診断書を書いてもらい、休職する運びとなった。
こういう時、プライドが無い自分で良かったと思う。
あくる日、休職の指示をもらった私は、人間ドックを受けるため、雨が降りしきる中、東京駅へと向かうのだった。
ここでも心電図異常が確認される。
「ブルガダ症候群」というものをご存じだろうか?
かの昔は「ぽっくり病」と呼ばれたこともある、前触れなく心臓が止まり突然死してしまう病気である。最悪、寝たまま起きてこないで死んでいる、というパターンもあり。
10年前のガイドラインでは、発覚した時点でペースメーカー手術案件だったそうだ。
幸か不幸か、本人には自覚症状は全くなかった。痛くも痒くもない。
雨の日が続く6月初旬、私は心療内科と人間ドックのほかに、循環器内科にも行かなければならなくなった。ついでに歯も少し痛かった。歯磨きを怠ってたら、歯医者にも行くはめになっていたことだろう。
「ブルガダ」に関しては具体的な治療法はないし、再検査をしても結果は変わらず、現時点でできることは何もない。
「12月に再検査をして様子を見る」ことに落ち着いたが、ドクター曰く心電図に関しては「かなり気になる波形をしている」とのことだった。
そんなわけで、2021年の夏は
「腰痛」
「適応障害」
「ブルガダ症候群」
の3つの災いに、私は襲われていた。「腰痛」と「適応障害」の流れは自分でも理解できるものの、「ブルガダ症候群」は予想外だった。ひょっとしたら、かなり早い段階から無意識の領域で体が悲鳴をあげていたのかもしれない。知らんけど。
7月から9月半ばまでの2か月半、猛暑が続く夏の日々を、私はほぼ自宅で過ごすこととなった。
最初のうちは音楽を作ったり、ウェブサイトを作ったり、「シンエヴァ」やら「ゴジラVSコング」を観に行ったりしていたのだけれど、次第に先が見えない日々への不安が大きくなっていった。
「働き場所を変えよう」と決めたのは、9月に入った頃だった。
新しく9月分の診断書を心療内科の医師から受け取ったとき、「環境を変えるときが来た」と思った。6年間働いた場所で、未練がないわけではない。しかし、このまま診断書を貰い続けていても埒があかない。
6年。普通の会社なら部署異動なんかあっても良さそうな期間だ。私の父は銀行員だったが、私が記憶している限り3~4年に一度は転勤していた。癒着や不正を防ぐためである。環境を変えて、仕切りなおすには丁度良い。介護福祉士の資格も持っているし、この業界は労働者に対しては売り手市場だ。色々な場所で働いて経験を積むのも選択としては正しい。
今月17日、荷物の片づけのために出勤した。
事務所にて出勤中のスタッフの方々を集めていただき、一人ひとりお別れの言葉を頂いた。
思えば、仕事以外にも結婚式に出てくださった方々等、自分の人生の大切なイベントに携わってくださった方々も数多くいることに気が付いた。
ベトナムからはるばるやって来た実習生の方々も、来年には母国に戻られる。一期一会の儚さを痛感した。
体調を崩した自分のことが許せなかったのだけれど、そんな自分にも変わらず温かい目を向けてくれる人々がいることに気づき、思わず皆の前で涙をこぼしてしまった。
こういう、周囲の人々のやさしさに気づけない自分にいつも嫌気が差す。
でも、「ここに残って働く」という選択肢が、もう自分の中に無いこともわかっていた。
職場を去ったあとの一週間は、寂しさで心がグラグラと揺れていた。自分の居場所が一つ無くなった心細さで、気分も少し不安定になっていたと思う。
それも束の間。
一週間後、早速新しい仕事場に見学へ行ったとき、一週間抱えていた心細さが自然と収まっていくのを感じた。そこで働いている自分を想像できたからだと思う。
それに、働く場所は変わっても、変わらず仲良くしてくれる人たちもいる。
10月1日から、新しい場所で始業開始する。予報だと台風が来るそうだ。妻が言うには私は「相変わらずの雨男」だそうだ。今回も調子が良い、ということか。
体調がすぐれない中、変わらず生活を共にしてくれた妻には心から感謝している。生活の不安もあっただろうし、大きな喧嘩もした。申し訳ない。これからまた、返していく。
「腰痛」は、今はだいぶマシになった。ギターを立ったまま弾けるまでになったのが嬉しい。少し前まで、軽いアコギでもぶら下げられなかった。
「適応障害」は、「腰痛」と職場の業務連絡が追えないというストレス要因が解消されたので、こちらもクリア。
「ブルガダ」は様子見。12月の再検査を待つ。
また、前に進もう。自分なりの、歩幅で。
初代「ウルトラマン」お勧めエピソードの話をしてみる。追悼、二瓶正也さん。
言わずと知れた、初代「ウルトラマン」にてイデ隊員を演じられた名俳優だ。
イデ隊員は、コミカルな性格、劇中では所謂三枚目キャラで、彼の存在が物語全体を明るいものにしていた。狂言回しのようなセリフ口調も、芝居がかっており「粋」であった。「昔ながらの名役者」というのが、私の持つ二瓶さんの印象だ。
イデ隊員こと二瓶さんが天に召されたという事実に、年齢を考えれば理解はできるのだけれど、ちょうど私自身が初代「ウルトラマン」を全話観終わって間もないタイミングでのご逝去だったため、ちょっと気持ちの整理が追い付かない。
今回は、そんなイデ隊員への、二瓶さんへの追悼の意味も込めて、初代ウルトラマンについて書こうと思う。
初代「ウルトラマン」は1966年放送開始。以前このブログにも記事にした「ウルトラセブン」の一年前に制作された。
一年後に制作された「セブン」が「悪意を持って侵略してくる宇宙人を迎え撃つ」というハードな設定が通奏的にあったのに対して、「ウルトラマン」は物語そのものが軽快であり、観てて楽しいものが多いのが大きな特徴である。
日本が高度経済成長を迎えていた60年代。
「科学万能主義」が浸透したその時代、初代「ウルトラマン」は当時の子供たちにとっては夢の宝箱のような物語の連続だっただろう。
さて、そんな初代「ウルトラマン」のお勧めエピソードを、今回も紹介していきたいと思う。
第2話「侵略者を撃て」
ウルトラマンの全てのシリーズを代表する侵略宇宙人「バルタン星人」。ウルトラマンを知らない人でも、バルタンくらいは見たことあるよね?
昆虫のセミをモチーフにした造形が見事である。
このエピソードもイデ隊員のコミカルな演技が光る。
カメラ目線でテレビの前の視聴者に対して話かけるという「メタ手法」を使い、物語はイデ隊員の独白形式を取られて展開される。
色々と突っ込みどころはある。
まず、物語中盤で出現した巨大バルタンに対して、軍隊が核ミサイル「ハゲタカ」を街中でぶっ放すというヤバいすぎることを普通にやる。そして、それを食らうも分身(脱皮?)して立ち上がるバルタン。
まあこの演出のおかげで「核ミサイルが効かない、人類では対処できない敵」ということで「ウルトラマン登場」という流れになるのだけれど。
筆者が地味に気になったのが、ハゲタカが発射されるときの「ハゲタカ発射!」の号令が妙にリアルに聞こえる点。当時は先の大戦のせいで軍隊経験のある役者も多かったし、こういう号令一つとっても時代性が見えるような気がする。
バルタンとウルトラマンの深夜の空中戦もクールだ。ウルトラマンの夜の闇に光る白い目も神々しい。座った姿勢から放たれるスペシウム光線も痺れるほどカッコいい。
そして、故郷を失い難民となって眠っている数十億の小型バルタン達が乗る円盤を破壊するウルトラマン…。これ、虐殺やん…。
まあでも、ウルトラマンの世界観を理解する上では一番お勧めできるのが本作です。
色々あるが、まあ置いといて(笑)。
第17話「無限へのパスポート」
これはもう、製作者側も編集するの楽しかったんじゃないかな?
突如現れた4次元怪獣「ブルトン」の攻撃?というか嫌がらせ?に翻弄される科学特捜隊の面々を喜劇タッチで描く。
最後のウルトラマンとの闘いも、従来の「怪獣プロレス」的な物理攻撃はほとんど展開されない異色作。
外国人科学者の名前が「イエスタデイさん」というのも笑える。あり得ないネーミング(笑)。
でも、英語圏の人の名前がどんなものかって、当時の人にはわからないから仕方ないよね。
第22話「地上破壊工作」
著者がもっともお勧めするエピソードがこれ!
フランスの映画監督ゴダールの白黒SF映画「アルファビル」の影響をモロに受けて制作された本作。
上の画像は地底人の住む世界を表現している。
映像に白黒のフィルターを掛けて地下世界を表現するというのは、アイディアとしては単純なはずなのに、構図や、サングラスをかけた人物たちのスタイリッシュさも手伝って、非常にクールに見える。今見てもカッコいい。かっこよすぎる!
ちなみにこの画像のロケ地は世田谷の体育館なのだとか。やっぱり予算がないときはアイディアで勝負だね。
後半の怪獣テレスドンとの闘いは、ひたすらウルトラマンがテレスドンを投げまくって絶命させるという荒業を展開する。劇中一番の見せ場であるはずの必殺技スペシウム光線を撃つ描写がない。
実相寺監督はきっと、格闘シーンにはあまり興味がないのかも。ドラマパートは力を入れるけれど。
第23話「故郷は地球」
初代「ウルトラマン」を名作たるものにしたのが本作であることは間違いない。
当時の子供たちに圧倒的なトラウマを植え付けた「ジャミラ」回である。
放送当時は冷戦真っただ中で、米ソの宇宙開発競争は激化の一途を辿っていた。
その熾烈な開発競争の過程で犠牲になるパイロットも続出していた時代だった(特にソ連の宇宙開発のエピソードは人道的に考えて酷すぎる。詳しく知りたい人は各々自己責任で検索を)。
そんな時代背景もあり、宇宙開発競争で犠牲になった宇宙パイロット「ジャミラ」が怪獣と化し、自分を裏切った地球人に対して復讐に来るというエピソードは衝撃的だった。
本エピソードでは、いつもはコミカル担当のイデ隊員が感情的に怒りまくっている。
「俺はジャミラを攻撃するのはやめた。彼は我々の先輩のようなものだ」と主張したイデの意見は科特隊では「上層部の命令だから」という理由で受け入れられなかった。たまらず森の闇の中で「馬鹿野郎!」と叫ぶイデ。
山村を焼き払うジャミラの横暴に対してイデは「人間らしい心を忘れちまったのかよ!」と叫ぶ。
ウルトラマンの水流を浴びて、様々な国の国旗を泥だらけに踏みながら絶命するジャミラ。
物語のラストのイデのセリフにも考えさせられる。
「為政者はいつもこうだ。文句ばかりは美しいが」
第33話「禁じられた言葉」
一目見ただけで「知性のある悪の親玉」とわかるメフィラスの造形も見事である。
今までイデ隊員の話ばかりしていたが、この回のハイライトはハヤタ隊員(ウルトラマンの人間の時の姿)である。
自分の思惑がうまく進行しないことに怒りと焦りを募らせるメフィラスに、ハヤタは高笑いをして見せる。
さらにメフィラスの「貴様は宇宙人なのか、人間なのか?」という問いに間髪入れずに「両方さ」と答える。
「貴様のような宇宙の掟を破るような奴と戦うために生まれてきたのさ」と、迷いなく言い放つハヤタの姿に思わず胸が熱くなる。
ハヤタは科特隊でもエリートであり、実質的な組織のナンバー2だ。組織のトップであるムラマツキャップ不在時には、次席として現場の指揮を執るほど優秀な存在だ。ゆえに発言に迷いがない。
次回作の「セブン」の主人公モロボシダンには葛藤が多く描かれ、悩める青年としての親近感があったが、ハヤタは超然としてヒロイックに描かれている。
髪型もキチッと短く整えられており、アメコミヒーローのようだ。
ヒーローとしての理想像が、ハヤタには重ねられていると思う。そんなカッコいい大人のハヤタ隊員に、当時の子供たちも憧れたことだろう。
第34話「空の贈り物」
これはもうね、落語。メッチャ面白い。
宇宙より地球に落下した怪獣スカイドンを宇宙に戻そうとする話。何回やっても失敗する。うまくいったと思わせといて、また失敗する。成功すると面白くなくなるっていう笑いの法則。
実相寺監督作品ということもあり、おなじみの構図の妙が冴えわたる。
隊員全員が横並びでカレーを食べているシーンや、作戦が一時的に成功して隊員たちが「やった!」と喜んでジャンプするスチール等、見所沢山。
それに加えて、科特隊唯一の女性隊員であるフジ隊員の着物姿も登場。
実相寺氏はフジ隊員を魅力的に撮ろうとする節がある気がするのは著者だけだろうか? 監督お気に入りの女優さんだったんじゃないかな?
第37話「小さな英雄」
もうとにかくピグモンがかわいい!
その分、ピグモンの勇気ある行動と、その犠牲があまりにも悲しい。
そして今回は再びイデ隊員の苦悩が語られる。
「ウルトラマンがいれば、自分たちは必要ないのではないか」という葛藤を抱えるイデ。考えてみれば、ハヤタが超然としている分、悩める青年の役割をイデが担っている。
改心した後のイデの大活躍も見物である。科特隊=地球人が、初めてウルトラマンの力を借りずに怪獣を打ち負かす。地球人だけでも、脅威には対処できることを、悩みぬいたイデは自ら証明してみせる。
ウルトラマンのサポート役に甘んじることが多かった科特隊だが、幾多の戦いの中で確実に成長していたのだ。思い返せば、最終回への伏線がこの時点で張られているのである。
第38話「宇宙船救助命令」
最終回の手前で異色作をぶつけてくる円谷プロである。すげえな。無難には終わらせない。
本作前年にイギリスで公開された「サンダーバード劇場版」を意識しているのか、
舞台がほぼ宇宙、岩石の多い闇の惑星と、何かと共通点が多い。
円谷、ひいては日本特撮の実力を見せつけんばかりの意欲作。
第39話「さらばウルトラマン」
結末わかってるのにマジで辛くなる。俺たちのヒーローが倒されるなんて…。
しかし、ウルトラマンが倒せなかった強敵ゼットンを、最終的には科特隊が倒すこととなる。第37話でのイデの葛藤への答えが、ここでも集約される。
最後、仲間であるゾフィーと共に自分の星に帰っていくウルトラマン。その姿に手を振る科特隊員たち。今まで全話観てきた私の気持ちも、彼らとともにあった。
ありがとう、ウルトラマン。この3か月、本当に楽しかったよ。
さて、今回も長々と書いてしまった。誰が読んでくれるのやら(苦笑)
でも、全話観終わり、二瓶さんの訃報を聞いた私は、やはり何か書かずにはいられなかったのだ。楽しい物語を作ってくれた偉大な方々がこの世を去っていかれるのはやはり悲しいのだけれど、またブルーレイを再生すればコミカルに語りかけてくれる二瓶さんがいる。
作品の中で、二瓶さんはまた僕らを笑わせてくれる。それは変わらない。
二瓶さん、ありがとう。ウルトラの星で、どうか安らかに。
恐れ多くもシン・エヴァの話をしてみる。「承認」ではなく「愛」の価値に気づいた少年。
※本ブログには問題ない程度に本作のラストに触れた箇所があります。
公開から時間も経っているので問題ないと思いますが、本編未見の方はご注意ください。私も映画好きなので、念のため。
さて、エヴァに関しても所謂「警察」の方々が多いので、語るのもはばかられるが、配信も開始したことだし少しだけ語ってみようと思う。
ちなみに、私は映画公開フィナーレの二日前に劇場でみることができた。テレビ版放送の95年から26年の歳月を経た本作は、驚愕の大団円を迎えていた。広げまくっていた26年分の大風呂敷を、製作者の庵野秀明氏とスタジオカラーのスタッフの方々は見事なまでに畳んでみせたのである。あの「エヴァ」の物語を余韻を残さずに終わらせる、それだけでも大仕事なのに、感動のラストというおまけ付きである。「あっぱれ」の一言だ。
エヴァといえば、私にとってはテレビ版のラストシーンが一番印象に残っている。「物語」という形式をすべて放棄し、キャラクター達に自問自答のように思考を繰り返させることによって「作品としてのエヴァ」の核心に迫った問題作だ。
メタ的構造(というと語弊があるかもしれないけど)を用いて、キャラクターたちが「物語」の枠から飛び出し、様々な問答を繰り返す最終回。前衛映画的ともいえる本作の最終回は、放送後に様々な議論を呼んだ。
白状しよう、私はテレビ版の最終回で泣いた。
異論は理解できる。
そもそもロボットアニメ作品である以上「物語」という形式を放棄することはルール違反である。キャラクターたちが「物語」の枠を飛び出すことがアリであるなら、もう「なんでもあり」である。第一、物語として成立させていない。
しかし、ここはあえて言い切ろう。そんなことは問題ではない。
人はなぜ、絵を描くのか? なぜ文章を綴るのか? どうして音楽を作るのか? 面倒な思いまでして映画を作るのはなぜか?
答えは一つ、「伝えたいことがあるから」だ。
エヴァの最終回にはそれがあった。暴論かもしれないが、私は「エヴァ」はあの最終回に「エヴァの物語」の全てが詰まっていると今でも思っているし、むしろ最終回だけで良いとさえ思う。全部言ってくれてるし。
細かい設定やら整合性にこだわる人々は、あの最終回を「失敗作」と突き放す。それもわかる。「結局、人類補完計画ってなに?」「使徒はあれで最後?」「アスカはどうなっちゃったの?」など、回収できていない諸々があった。
それでも言い切る。
設定や整合性等は大した問題ではない。大事なのは「作者はここまでして、我々に何を伝えようとしたのか」である。
今回の「シン・エヴァ」に関しても、先に述べたテレビ版の最終回の雰囲気を踏襲したものとなっていたと、私は思う。
メインキャラクターたちそれぞれに、各々が抱えている心の問題と向き合わせ、助言を与えながら回復を促す(成仏させる、という表現が一般的か)。
アニメ版の最終回と、構造は同じである。私は医者ではないが、私が理解している範囲で言えば、このアプローチは精神科療法の一種ではないだろうか。
「最愛の人を亡くしてから、現実とうまく向き合えない」
「エヴァに乗らないと父から見放される、それが怖い」
「最高のパイロットでいなければ、自分に価値はない」
「自分はここでしか暮らせない。他の場所には居場所がない」
キャラクターたちが抱えている上記のトラウマはすべて、所謂「認知の誤解」である。
それら一つ一つを順番に解いていく過程は、アニメ版の最終回の構造を踏襲しているだけでなく、より深く個々のキャラクターに向き合ったものとなった。決して焼き直しではなく、より一歩深く踏み込んでいくクライマックス。そういう意味では、十分に「エヴァらしい」ラストと言えるのではないだろうか。「エヴァっぽくないラスト」という批評があるのもわかる。でも、そもそもエヴァンゲリオンって、こういう作品だったじゃん? 伝えようとしていることは何も変わっていない。これこそがエヴァだよ。
話は変わって、
「エヴァに乗る」とはどういうことか?
なぜシンジはエヴァに「さよなら」できたのか?
ここに、現代社会が抱える病理が存在すると私は確信している。
シンジにしろアスカにしろ、詰まるところ、十分に愛を受けなかったことがトラウマの発端になっている。人は愛されたいと願うとき、「何者か」になろうとする。
「自分はこんなに頑張っている」
「自分は優秀なパイロットだ」
「だから優しくしてくれ」
「居場所を与えて」
これらはすべて条件付きの「承認」であり、「愛」ではない。現代を生きる我々も、このあたりをよく誤解しがちである。
彼らが欲しいのは無条件に注がれる「愛」のはずなのに、やっていることは「承認」を求めることと変わらない。
つまり、エヴァに乗っている限り、貰えるのは条件付きの「承認」しかない。彼らが欲しい「愛」というものは、エヴァに乗っていても見つけることはできないのだ。
だから、本物の愛情(無条件の愛)を手に入れた彼らは、エヴァを降りることができた。すべてのエヴァンゲリオンに、「さよなら」をすることができたのだ。
物語の終盤、「エヴァ」というアニメの意味を失い、線画になっていくシンジ君と、海辺の風景。ここでもメタが使われる。印象的なシーンだ。
シンジ君に、もうエヴァは必要ない。
「承認」ではなく「愛」の価値に気づき、現実世界を生きる選択をしたシンジ君。
そんな彼を、心から祝福したい。