極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

2023年 年頭所感

 

SNSをまったく更新しておりませんが、流行りの病に罹ることもなく元気に過ごしています。

最近は、音楽活動やSNSでの発信等よりも、英語の勉強に意識が向いている。

ので、各種更新がおろそかになってしまっている。

「DUO3.0」という名前の英単語、熟語帳を買って毎日1セクションずつ勉強しているのだけれど、これが実に面白い。これをやりだしてからシャドーイングAFNラジオのリスニングの際でも「あ!今の熟語聞き取れたぞ!」「意味がわかったかも!」と達成感を覚える場面が増えた。まだまだ長文で速度の速い話を聞き取れるわけではないけれど、しばらくはこの単語帳をボロボロになるまで使い倒そうと思う。

 

先日は大学共通テストの英語リーディングの問題を解いてみたのだけれど、結果は正答率6割程度だった。もう少しイケると思っていたので少しばかり落ち込んだけれど、めげずに頑張ろうと思う。

 

自分でも驚いている。こんなに勉強を「楽しい」と感じたのは生まれて初めてだ。

今にして思えば、高校生の時は毎日6時間もの間、ギターの練習やら曲作り、作詞、腹筋運動等に費やしていた著者である。

その6時間の熱意を、全て勉強に費やしていたら、私の人生も変わってたのかもな…なんて意味のないことを思ったりもする。

 

芸術で大成する人なんてのは全体の1パーセント以下だ。

それに対して、学歴等で平均以上の生活を手に入れている人々は全体の40パーセントくらいいるらしい。

つまり、ギターなんて弾いてないで勉強を頑張って結果を出した方がよっぽど良かったわけである。今になって気づいたが、まあ、それは言っても仕方がない。

 

そんなわけで今年は英語学習、講師の仕事等など、キャリアアップに焦点を絞って過ごそうと思う。資格取得も考えている。

机の上で過ごすことが多くなりそうだ。そんな一年も悪くないだろう。

 

皆さま、本年もよろしくお願いいたします!

 

 

DUO 3.0

DUO 3.0

Amazon

 

 

 

 

「仮面ライダーBLACK SUN」。赤軍派闘争、日本のダークサイドを描く!

 

 

生物的なルックがカッコいい「BLACK SUN」。

 

先月には10話全て観終わっていた。その後、今に至るまでこの作品のことを時折考えている。個人的には久しぶりに興奮とバイオレンスを堪能できる良作だった。「お涙頂戴」の感動ポルノ作品が多い現代コンテンツの中で、ここまで暴力に振り切った作品は久しぶりだった。

 

この作品のことを語る前に、私のこと(主に政治思想など)を書くことにする。この作品を観た方ならお分かりいただけると思うけれど、今回の「BLACK SUN」は政治色があまりに強すぎる。観客各々が抱いている政治思想によって評価が激変するのである。

 

観ていない方のために最初に書いておくが、この「仮面ライダーBLACK SUN」は左翼映画である。仮面ライダーを使って赤軍派闘争をやってしまったわけだ。論争は織り込み済み、というわけ。

 

amazon」のレビューを参照すれば、保守派の方々が怒りまくっている。まあ、怒っているのは保守派の方々だけでなく、物語の構成や展開そのものを受け入れられなかった方々も数多いのだけれど…。

そんなこともあり、念のため私の政治思想を書いていこうと思う。

 

私は基本的に政治に関しては中立でありたいと思っている。右翼でも左翼でもなく、信仰している宗教もない。特定の団体に所属することが性に合わないのもあるのだけれど、こういうのは外から眺めている方が色々と興味深かったりする。それぞれの団体が信じているものは何か、どういう行動原理で動くのか、理屈で分析することの方に興味が湧いてしまう。今回私がこの作品を楽しめたのは、そういった自分の性質があったからだと思う。

 

物語は人間と「怪人」と呼ばれる人々が暮らす日本が舞台。この「怪人」というのが在日コリアンの暗喩であることは言うまでもない。その怪人を作り出した731部隊、当時の首相の家系、宗教団体に似た怪人側の権力者等など、この国が抱えているダークサイドを全て描き切っている。

思えば、私(現38歳)の子供時代は、日本の近代史を振り返ることはタブーだった。それこそ赤軍派闘争や731部隊新興宗教についての系譜などは学校では絶対教えてもらうことはなかった。そういったものに興味があった私は、自分で図書館などで調べていくしかなかったのである。調べていく過程で、いつも信じられないような事実にぶち当たったものだった。日本が以前、世界最大のテロリスト排出国であったこと、民間人を対象にしたテロを初めて行ったのが赤軍派であったこと(テルアビブ空港のヤツ)、731部隊の所業、統一教会岸信介云々。

 

そういった事柄が、なぜ義務教育に組み込まれないのかはよく理解している。

あまりにも内容がショッキング。知りたくないことも多々あったからだ。

 

けど、「BLACK SUN」はそれをやってしまったのである。描き切ってしまった。

本当に驚愕の連続だった。

 

「え! 731部隊やっちゃうの!」

「ちょっと待て、これ、山岳ベース事件じゃん!」

「おいおい、内ゲバしすぎだろ!」

「ああ、こんなの某世襲の政治家さんじゃん!」

「政治と宗教の関係描くの早すぎねぇか! 予言書かよ!」

 

鑑賞中の一か月間は本当にこの物語に圧倒されていたし、白状すれば、完全に心を奪われていた自分がいた。

 

もちろん、この物語が完璧なものだったとは言い難い。

まず、登場人物の行動理念がわかりづらい。キャラクター全員心変わりするのが早すぎる。

例えば、自分の身内を殺した原因を作った奴を、簡単に許すなど、人物の心境がわかりかねる部分がかなりある。

悪役を完全に「悪」としてしか描いていない点も、現代的とは言えない。これは、メッセージを伝えるために敢えて一面的にしか描かなかったのだろうけれど、悪役には悪役で、彼らが抱える事情というものがある。

序盤の戦闘シーンについても、予算不足が見てとれる。ハリウッド映画に慣れきった人間からしてみると、残念な描写が多々あったのも事実だ。でも、これは現場のスタッフのせいではなくて、日本映画業界全体が抱えている問題なのだろう。もっと予算あげてくれ…。仮面ライダーとかウルトラマンとかゴジラとか、日本最大級のフランチャイズが「金が無い」なんて、どう考えてもおかしいよ。

 

以上、色々と書いてきたものの、本作が私にとって大興奮の良作だったことは否めない。思想云々は別にして「ここまでタブーに踏み込んだ」「仮面ライダーを使って左翼闘争かよ!」という驚きは、近年では得られ難い感覚だった。

先にも述べたが感動ポルノばかりが流通する現代映画界で、ここまでやったのけたことには拍手を送りたい。

 

あと、最後に念のため書く。

暴力革命や闘争は、飽くまでフィクションの中だけ。私自身、それを肯定しているわけでも、赤軍派を支持しているわけでもありません。悪しからず。

 

 

 

 

 

AIと我々は共存できるのか? 大躍進するAIアプリ、人間の努力の価値とは?

 

 

数か月ほど前に、SNS上で「NovelAI」等の自動画像作成サービスが突如現れた。

単語を入力して瞬時に希望のイラストが出力される。しかも高画質。現役で活動されているイラストレーター並みの画像が、瞬時に手に入る。料金は流行りの月額制。

出力されるイラストの完成度の高さに、個人で活動されているイラストレーターさんたちは動揺されていたのだった。

 

「AIに命令して作成された画像の、著作権は誰にあるのか?」

「あんなことされたら依頼が減ってしまう」

「背景描きなどの、アシスタントとしての仕事は激減するだろう」

 

等など、様々な意見が飛び交っていた。

 

「大変なことになったものだな」と、半ば対岸の火事のように思っていたが、どっこい。音楽家は音楽家で、こんなサービスが作られたもんだから、さあ大変!!

 

 

flat.io

 

 

カラオケ音源作成とか、楽譜があればこれでできてしまうじゃないか!

私に関しては、これで「カラオケ音源受け付けます!」の生業が一つ減ってしまうわけである。。。

音質の問題やら、「ミックスやマスタリングができない」など、現状完璧なものではないのだけれど、そんなのは時間の問題。技術とは日進月歩である。遅かれ早かれ実現すると考えるのが賢明だろう。

 

AIというやつは中々に面白いやつだと思う。我々人類は、面倒な計算やら、創造性のないデータ管理等を彼らAIに押し付けたかったのに、あいつらときたら、クリエイテヴィティに関しても高い情報量で能力を発揮しやがる。

恐れ入った。かくして、人類側のクリエイターたちは、情報豊かなAIが持ちえない(はずの)「独自性」やら「意外性」で勝負するしかなくなったのである。

 

そう、彼らは過去の情報の集積体でしかない。だとすれば、我々人類は前人未到の領域にトライするしかない。それもすぐに「情報」として彼らに取り込まれるだろうけど。

そして、ついには人類を凌駕するクリエイテヴィティを有したAIが登場するかもしれない。前述したが、技術とは日進月歩なのだ。

 

こうなってくると、人間の「努力の価値」について考えさせられる。

イラストの場合、イラストレーターというのは幼い頃からずっと絵を描いてきて、高い金払って美大や専門学校に通い、時に批評され、時に見下され、数多い試練を乗り越えて「絵描き」として成熟していくのだけれど、彼らが時間をかけて培ってきた「絵描き」としての技術やノウハウが、数分数秒でAIはモノにできてしまうのである。

 

音楽もしかり。ギター弾きの場合は毎晩寝る前に必ず運指練習、クリックを聞きながら演奏練習の他に、エフェクターを大量に購入して音作り研究、作曲作詞の勉強など、多岐にわたる学習と努力、それを実施するための財力を要するのだけれど、AIはそんな我々の努力などいざ知らず、数分数秒でプロ仕様の音源を作れてしまうわけである。

 

こういった現象はやはり今後、他分野でも頻発するだろう。

例えば、私は半年ほど前から寝る前に必ず英語学習を行うことを日課としているのだけれど、そんな私の努力も優秀な翻訳ソフトが登場すれば、無意味と化すのかもしれない。

 

車も自動運転の時代が到来すれば、ドライバーは不要となる。

事務職は要らなくなる。データ管理はAIが行う方がミスがない。

薬剤師は要らなくなる。これも上に同じ。

税理士も要らなくなる。マイナンバーなどの財務管理システムさえ構築できればAIが管理できる。

 

今後10年は上記の事柄は起きないだろうとは思う。第一、「事務職は無くなる」ってのはもう10年くらい前から言われてて未だに無くなってないので、こういう予想は大方の希望的観測を多く含んでいるものだ。

それでも、それらの職業が今後衰退していく可能性は十分にある。

頭では理解しているつもりだ。

問題は、そんな時代を前にして「自分はどうするのか」である。

 

時代の変革期に、私たちはいるのかもしれない。こういう類の話をする際、私はいつも「司馬遼太郎」氏の書いた「燃えよ剣」を思い出す。新選組の活躍と衰退、副長:土方歳三の生涯を描いた一大巨編だ。

鳥羽伏見の戦い」が個人的に非常に印象的な本作。主人公土方歳三は、数の上では遥かに勝っている幕府側につき、薩長率いる新政府軍に「必ず勝てる」と確信していた。

が、結果は新政府軍の持つガドリング砲などの近代兵器に味方をバタバタと殺されていく。

 

鍛錬してどんなに剣の腕を磨いても、近代兵器の前では無意味だったのだ。

そんな現実を目の当たりにした土方は、同僚に対してこう宣う。

 

「もう刀と槍の時代は終わりましたね」

 

そう言って、半ば恍惚とした表情で笑みさえも浮かべるのである。

 

「次は洋式でやってやる!」と潔く発想を転換する土方氏。色気のあるシーンだ。

こだわったって駄目なものはダメなのだと、それまでの努力を簡単に放棄できる姿に、胸が熱くなったのを覚えている。

 

もちろん、ここで描かれている土方歳三司馬遼太郎の創作キャラクターだし、「司馬史観」はフィクションに寄りすぎていることも知っている。

でも、今後我々がどうするべきなのかがこの土方の描かれ方に表れているように思う。

自分がこだわっていたこと、それまで培ってきたものが通用しなくなったとき、私たちはそれを一時的にでも手放すことができるか?

こだわりを捨てて、次の時代へと発想を転換できるか?

 

我々人類がAIと共存するための第一歩は、それを乗り越えるところから始まるのかもしれない。

 

 

 

ワールドカップがやってくる。

 

日本シリーズが終わったと思ったら、今度はワールドカップがやってくる。

 

そう書いている私は、実はスポーツには全く興味がない。

観るのも、やるのも…。

 

 

……。

 

 

わかっている。体育会系の人間が有名企業と日本社会を先導し、トップの大半を何らかのスポーツ経験者で占めるこの日本という国で、「スポーツに興味がない」と発言することが如何に無謀なことか。

「俺はこの社会では成功できません」と宣うようなものである。

マジで波風が立つ。

けど、書く。書いちゃうもんね。

 

スポーツを心から愛している「体育会系原理主義者、スポーツ右派、競技保守層」からは何度も本気でムカつかれてきた。それが私の人生である。時には人権さえも軽んじられることもあった。これはマジだ。

 

例えば、私の場合は大学を出て一番最初に就職した企業が「紳士服販売店」だったのだけれど、そこは体育会系社員が群雄割拠する職場だった。

一度、私が他店に努める野球好きの先輩社員に「自分は野球には興味がない」と話したところ、「お前が俺の店にいたらぶっ飛ばしているぞ」とすごまれたこともある。まあ、この場合、先輩の好きな物に対して「興味が無い」と言い放った私にもかなり問題がある。新卒に「興味ない」と言われた先輩、元気してっかな? 相変わらずバット振り回してんのかな?

 

 

そんな「スポーツ原理主義」が渦巻く日本社会で生きていくうえで、我々「革命的スポーツ興味ない派」は、ひたすらに「興味がない」ということを隠さなければならないわけである。不要に波風を立ててムカつかれても、損するのはこちらの方だ。

 

先の日本シリーズのときも、職場での話題には中々に苦労した。

「サエキさんは、野球はどこファンなの?」なんていう質問もされるのだけれど、贔屓のチームがない私は、適当に「巨人ですね! 最近は、黄金期と比べるとちょっっっと元気ないですよねぇ、ほんと」なんて、適当にお茶を濁しつつその場をやり過ごしたものだった。もちろん、日本シリーズは一瞬たりとも観てないし、最近の巨人軍についても全く存じ上げない。

 

で、今月の中盤には、いよいよワールドカップが始まってしまう。

 

これでも、サッカーについては少し「勉強しよう」と思ったことのある著者である。

 

「欧州サッカーに詳しいとカッコよさげじゃん! なんか洒落てるし、履歴書にも

『趣味:欧州サッカー観戦』って書くと格が上がるし!」

 

と思って色々調べたりしていたのだけれど、結果から言えば全く長続きしなかった。結局、人に良く思われようとして始めたことなんて碌なものにならないのである。これは真理だ。

 

行きつけの美容室での美容師さんとの会話も、ワールドカップの話題になるんだろうなぁ、なんて考えながら、今から戦々恐々としている筆者である。

「この間のカタール戦、観ました?」とか聞かれるんだろうな。そういう時は適当に「いやあ、日本って昔から後半のフォーメーション乱れますよねぇ?」なんて言っとけば乗り切れる。もちろん、試合を観る気はない。

 

「中盤の展開、エグくなかったですか?」

「やっぱり決定力不足が云々…」

「組織としてはまとまってる方だと思うんですけどねぇ」

 

こんなことを言ってるときの私は、その試合を観てませんので悪しからず。

観てないサッカーの試合を、あたかも観てきたかのように話せる。私の特技の一つだ。それもこれも、「スポーツ原理主義」によって価値観の偏った日本社会が悪いのである。こっちは空気乱さないようにしてるだけだ。これはある種の気遣いだぞ。わかってるか君たち?

 

こんな具合で、「スポーツ原理主義」が蔓延する日本社会で、その素性をひた隠し、心の中で「んなもん興味無ぇよイヒヒヒヒ」と舌を出してやり過ごしている我々「革命的スポーツ興味ない派(略して、革ス無派)」は、今日も心の中で小さなゲバ活動をしているわけである。

 

あ、でも、日本代表選手の名前くらいは憶えておいた方がいいかな?

ラモスとか…、北沢とか…、柱谷とか…、アジアの壁の井原さんとか、今年は選ばれてんのかな?

 

まずは情報収集だ。

 

急ごう、

 

同志よ、我々のワールドカップは、すでに始まっている。

 

 

 

 

 

 

ikomochiさんのこと。

 

 

2か月ほど前知人の登山家の「ikomochi」さんが亡くなられた。

「ikomochi」さんは、私が東日本大震災の時に行った災害ボランティアのグループメンバーの一人で、最年長の方だった。訃報については、他のメンバーの方がLINEで報せてくれた。49日を終えた段階でのお知らせだったためか、亡くなられて一か月半後の報せだった。

 

死因は、転落によるものだった。登山中の事故だ。

 

報せを聞いてから、心のどこかでモヤモヤとするものを抱えている。「ikomochi」さんは、日本百名山を踏破し、次は二百名山、三百名山のみならず、海外にも山登りに行っていたベテラン中のベテラン。そんな「ikomochi」さんでも山中で事故に遭うのかと、今でも信じられない気持ちだ。

 

ボランティアに行く前のことを思い出す。

グループ内最年少でリーダーとして活動することになった私は、正直不安で仕方なかった。被災地に行くのなんて未知の体験だし、おまけにリーダーである。現地がどんな状況なのかはニュースで理解している。危険な場所がクローズアップされて伝えられている。そんな場所で、自分がリーダーとして他のメンバーの安全に気を配りながら活動できるとは思えなかった。

 

「もし事故があったらどうする?」

「被災地という、予想もつかないような状況で手際よく動けるのか?」

「一番若く経験の浅い自分がリーダーにふさわしいのか?」

 

考えれば考えるほど不安になった私は、年長者である「ikomochi」さんに連絡をしたのだった。リーダーを代わってもらおうと思ったのだ。

 

そんな私の申し出に対して「ikomochi」さんは「あまり考えすぎない方が良いですよ」と話してくれた。

「私は半分、好奇心でいきますから。楽しむ気持ちでね」

その一言を聞いたときに、自分の肩の荷がスっと降りたのを覚えている。もちろん楽しむ余裕なんて無いが、不安を聞いて頂けたこともあって、心が軽くなったのだった。「何が起こるかはわからないけど、とりあえず向かって行こう」と思えた。

 

ボランティア終了後、他のメンバーとは数回お会いする機会はあったのだけれど、「ikomochi」さんとだけはいつもお会いすることができなかった。

新宿で開催した「お疲れ会」の時も、

一年後の「自由が丘での再会」の時も、

その後の「宮城再訪」の時も、

 

いつも「ikomochi」さんは「盛況を祈ってます」とのメールだけを残し、どこかの山に向かわれていた。

 

ここまで書いて、寂しさが募ってきた。

 

ヤマレコという、登山家の情報サイトがある。「ikomochi」さんも、そのサイトにアカウント登録されており、ご自身が登られた山々の記録が残されている。

記録を読んでいると、思わず没頭してしまう。自分も一緒に旅をしているような気持ちになる。そして、ボランティア前に私に話してくれた「ikomochi」さんの言葉を思い出す。

 

「楽しむ気持ちでいきます」

 

「ikomochi」さんの記録を読んでいると、人生というのは自分の心がけ次第で楽しいものになる、ということがわかる。「楽しむ」っていうのは実は言葉の印象以上に難しいものだ。ただのバカ騒ぎというのは一過性のものであり、人生を豊かにすることはない。人生を楽しむためには、知性と感性、体力、財力、器用さ、エネルギー、人当たりの良さなどなど、色々なものが必要なのもよくわかる。何よりもこの記録、読んでいてとても面白い。海外のことに関しては現地の人々の表情や文化風俗の一旦を見ることもできる。旅行記として、とても楽しい。

 

お会いできたのは一週間余り、被災地宮城という特殊な環境だったけれど、あの瞬間だけでも「ikomochi」さんと触れ合えたことは私の人生の貴重な財産だ。

まだまだ修行が足らず不器用で、人生を楽しむことができない私だけれど、「ikomochi」さんの話してくれた「楽しむ」という言葉を忘れずに生きていこうと思う。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

ボカコレ2022秋 ありがとうございました!

ニコニコ動画ボーカロイド祭典「ボカコレ2022秋」にて、極楽蝶P名義で新曲を発表しました。

ご視聴くださいました皆様、本当にありがとうございました!

ボカコレでの初投稿より早2年、今回を持ちまして、私、極楽蝶Pはルーキー(新人枠)から外れることとなります。

ルーキーから外れると途端に再生数が落ちるともっぱら噂のボカコレですが、極楽蝶Pに関してはそもそも再生数をそこまで意識して曲作りしていないので、ルーキーでなくなったとしてもボカコレには変わらず参戦するつもりでいます。

 

 


www.youtube.com

 

 

 

イラストは新進気鋭のイラストレーターイオさんにお願いして描いて頂いた。

イオさんとイオさんの旦那さんとは、以前働いていた職場で大変良くしていただき、今も連絡を取らせて頂いたりしている。思えば、在職中は夜勤明けに三人で昼ご飯を食べに行ったり、カラオケに行ったりして楽しい時間を過ごさせて頂いた。あの日々を懐かしく思う。

 

こちらの要望通り、シンプルでありながら奥の深い絵を描いてくださった。不思議なイラストで、左右反転すると空の奥行き感が一層深くなる。動画編集の際、すごくスムーズに作業ができた。感謝です!

 

イオ*さんのインスタグラムはこちら!

www.instagram.com

 

 

 

さて、ここからは曲についてのちょっと長い独り言。。。

つらつらと思うままに書いていく。退屈御免。

 

タイトルについて。

「keep rising!」。「上がり続けろ!」という意味で書いたけれど、そういう意味ならば「keep it rise on!」の方が英語として正しいのだろうか? わからん…。英語は難しい。

ここ一年ほど、毎晩寝る前に英語の勉強をしているのだけれど、やっぱり英語は簡単ではない。学生時代から数えると、英語はもう何年も勉強しているのだけれど…。勉強自体はとても楽しいんだけどね。

 

今回の曲は「勝てなくても負けない」「あきらめずに、最後まで立ち続ける」というのがテーマだった。

数年前に、シルベスタ・スタローンの名作映画「ロッキー」を観て、このテーマを思いつき、いつか曲の題材にしようと考え続けていた。

人生というのは理不尽なことの連続だ。勝てない戦いばかりを強いられるし、自分の力だけではどうにもならないことがあまりにも多い。例えばコロナとか、円安とか、30年以上続く日本経済の不況とか、低賃金とか、戦争とか、その他の抑圧諸々…。

映画「ロッキー」の主人公も、そんな抑圧まみれの人生を送っていた。物語の最後、彼は自分より遥かに格上のチャンピオンに対して「勝てない戦い」を強いられる。しかし、ロッキーはそんな戦いの中、相手選手に何発殴られても、最後まで立ち続けたのだった。結果は判定負け。しかし、どんなに辛くてもロッキーは痛みに耐え抜いたのだ。

 

それまで、「ロッキー」という映画をジョークとしてしか知らなかった私は、エンドロールを眺めながら心を震わせている自分に気が付いた。「もっと早くこの映画に出会いたかった」と、心の底から思った。

そんなわけで、歌詞に出てくる「waste of life」という一節は、映画「ロッキー」に出てくるセリフそのままである。

 

もう一つ言えば、「strike again」という一節も、アメコミヒーロー「バットマン」の名作「ダークナイト ストライクスアゲイン」からの引用だ。

 

サウンドエレキギターを主体にして、猛々しさと繊細さの両方を追及した。

荒々しい轟音と、透き通るようなクリーントーン。ギタリストとしての私が一番こだわっていることがその二つの両極性だったりする。

 

動画編集について。

ブロック体のアルファベットを大写しで登場させる演出は、フランス映画の巨匠ゴダールのオマージュ。ゴダールは先日、スイスの自宅にて自殺ほう助によってこの世を去ってしまった。ここ数日、私は彼の死に対してやりきれないものを感じている。

 

そんなわけで、自分の「好き」を詰め込んだ一曲、自分で聴いてて楽しくて仕方ない。世話がない。

また繰り返し聞いていこう。

 

そして最後、繰り返しになりますが、聴いてくださった皆様、本当にありがとうございました!

久しぶり、生存確認、「三足のわらじを履いている」という話し。

 

 

最後の投稿からあっという間に2か月が経過してしまった。

皆さま、お元気でしょうか?

コロナ第七波も猛威を振るっている昨今、変わりなく過ごされていることを願っています。

 

さて、

 

ここのところ私は仕事が忙しく、記事を書くことができなかった。

最近は大好きな映画館にも行けていない。バズ・ライトイヤーとか見たかった…。

 

趣味の読書は続けており、読み終えた本も沢山あるし書評も書きたいのだけれど、どうにも時間が取れない。このブログの下書き機能にも昨年読み終えた「地球の長い午後」や「月は無慈悲な夜の女王」等の下書きが完成されないまま溜まりに溜まっている。

 

仕事の忙しさにはちゃんと訳がある。

私は現在、介護の仕事をしているのだけれど、先月より就業先が変わった。

通勤一時間、乗り換え二回の地に週五日間、施設は介護度の高い方が多く、肉体労働メインである。

以前勤めていた施設では接遇やイベント等の比重も大きかったため、それなりに肩の力が抜ける時間もあったのだが、今の場所では時間に追われ、仕事も接遇というよりは「作業」に近い。「作業」、というのは人間相手のサービス業で使う言葉ではないよね。わかっている。わかっているが、理想を語るには圧倒的にリソースが足りない。もちろん、従業員皆、そんな状況でも頑張って働いている。手を抜いているわけでは決してない。

 

先月は施設でコロナ陽性者も発生し、感染対応に追われた。幸い私は感染せずに済んだが、今後の自分の仕事の方向性を改めて考えるきっかけとなった。やはり、現場での仕事はいつまでも続けてはいられない。

 

 

そして私は現在、介護現場の仕事の他に仕事を二つほど請け負っている。

 

 

先日より、介護業務の入門資格「初任者研修」の講師の仕事を請け負っている。

座学一コマと実技一コマ、加えて先日の授業後、新たに最終日の一コマも請け負うこととなった。

講義の運営さんからはとても良いお話を頂けて、感謝している。

先日初めての授業を行った。当日まで現場の仕事もある中準備に追われ、緊張の中で初日を迎えた。

 

結果としては、、

 

熱心な受講生さんたちのお陰で授業自体は円滑に進み、無事に終えることができた。終わった頃にはやりがいさえ感じた著者である。

準備に時間をかけて良かったと思う。解説系のyoutubeチャンネルなんかを見ていて思うが、やはり台本をしっかりと準備している解説者は聴いていてストレスが無い。

話し方の緩急だったり、言葉の淀みの無さだったり、話し方にも論理的なコツがあるのがわかる。勘や感性、自分の人間性だけでやるものではないことがよくわかる。

今後も、こういった「人前で話す技術」については勉強していこうと思う。受講してくださった方々に対して、授業を通して何か良いもの残せたら、これ幸いである。

 

もう一つは音楽の依頼仕事。

こちらもそろそろ納期なので、頑張らなきゃ。

 

そんなわけで、仕事が三つ。

「介護現場」「講師」「音楽の依頼」

三足のわらじを履いて日々を過ごしている著者であります。

来月になれば色々楽になる予定。それまで、頑張るぞ。