極楽記録

BGM制作受け付け中! BGM制作事業「キリカ工房」の主、ソロユニット「極楽蝶」の中の人、ユニット「キリカ」のギターとコンポーザー、弾き語りアーティスト、サポートギタリスト、編曲者のサエキの記録

「鬼滅の刃 無限列車編」 ー私たちは煉獄さんから何を受け取るべきか?ー

 

鑑賞したのはもう何日も前なのだけれど、今更ながらレビューを書く。

 

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久しぶりのビッグウェーブである。ここ数年で日本全土老若男女問わずの一大ブームが他にあっただろうか。少なくとも私の記憶にはない。

コロナ禍で映画館で上映されている作品が少ない、ファミリー層を巻き込めたという点で需要規模の拡大に成功したというのもあるのだろうけど、そんなことより単純にストーリーが面白いし、キャラクター達の魅力に心惹かれるし、作品としての完成度の高さが最大の要因だとも思う。

 

物語は映画としての単体作品というわけではなく、アニメシリーズの続編である。鬼に家族を殺された炭売りの少年・竈門炭治郎が、鬼に変貌させられてしまった唯一の生き残りである妹・禰豆子と共に、妹を人間に戻すために鬼殺隊に入隊し様々な試練を乗り越えていく様を描く物語である。

 

アニメシリーズも感動の連続だった。キーになっているのがキャラクターたちの悲惨な過去の体験。そう、これは日本のアニメ作品に多い「感情移入型」の作風である。

観客は登場人物たちの振り返る過去の記憶を通して、彼らの心の痛みを自分のもののように共感し、涙を流す。少女漫画や宮崎駿が監督したジブリ作品(高畑勲は逆に主人公批判型の作風)に多用される作風だが、これが観客にダイレクトに伝わる。過去体験が悲惨であればあるほど、作中のキャラクターたちの「乗り越えようとする姿」に感極まる。

 

この作品を語る上で外すことができないのが、本編の「真の主人公」とも噂されている人物「煉獄杏寿郎」氏の事柄である。熱血漢で面倒見の良い、兄貴的存在の煉獄さんは、一昔前の漫画アニメの主人公のようだ。そんな一昔前のヒーロー像である煉獄さんが、心優しい現代の主人公像の象徴である炭治郎に、何を引き継ごうとしているのか?

 

劇中終盤で、煉獄氏の少年時代の母との思い出が描かれる。彼の母は幼い煉獄氏に「お前は人よりも強く生まれてきた。強く生まれてきた者は、弱き者を助けなければならない」という旨を言い聞かせる。これこそが、煉獄さんの行動原理の全てであり、同時に煉獄さんの在り方を「一昔前のもの」にさせている要因だ。

 

「強く生まれてきた者は、弱き者を助けるべき」

 

ヒーローとはそういうものではなかっただろうか?

富豪のバットマンゴッサムシティの平和のために戦い、ウルトラマンは地球の平和のために戦う。そこに見返りがなくとも、力あるものの務めとして、弱きもののために、正義のために戦う。

これはキリスト教でいうところの「ギフテッド」という思想だ。力や才能は神によって与えられたものであり、与えられた者は、社会のために奉仕する義務がある。ヒーローはこの「ギフテッド」思想の元に正義を行使する。煉獄さんの行動原理もこの「ギフテッド」思想に他ならない。

 

では、現代社会ではどうだろうか? 「ギフテッド」は徐々に過去のものになりつつある。利己主義はまかり通り、「力や才能は、あくまでも個人のものである」とする新たな思想を持つ人々「リバタリアン」と呼ばれる人々が登場した。利益は一部の富裕層に独占され、世界規模で格差社会が進行している。

ここまで書いてきて思ったけど、この作品における「鬼」っていうのは「利己主義」の象徴として描かれているのかも? 欲望に忠実だし、人を食うし、粗暴だ。

そうかそうか、鬼は欲深い「近代資本主義」で、鬼殺隊は「失われた古きよきもの」なのかも…? コミックス全部読んでないから知らんけれど。でも、そう考えると炭治郎と禰豆子だけが生き残るのも合点がいく。現代は二人兄弟が主流。三人兄弟は「多い」と言われるし。ここで描かれているのは「現代」と「過去」の対立なのかも!

 

おっとっと、話を戻す。

そんな「利己主義」がまかり通る現代において、煉獄さんの行動原理は今にも風化してしまいそうだ。

しかし、「利己主義」がまかり通る現代社会だからこそ、改めてその思想を風化させず、心にとどめるべきである。

 

「強きものは弱き者を助けるために、その力を使う」。

 

作中で鬼に傷つけられ、それでも心の炎を灯し続けた煉獄さんを見て、その思想を風化させてはならないのだと、私は強く思った。

 

しかし、正直に言うと鑑賞後は少々疲れた。感情移入の連続だからか?

コミックスを読んでいないとは言え、色々とネタバレを聞いたりしているので「この後誰が死ぬか?」等、幾つかエピソードを知っているのだけれど、今後こんなことが数えきれないくらい続くらしいし、そのたびに感情移入して疲労困憊になることを考えると、今後私はついていけないかもしれない…。

ちょっとした感情労働になってくる。

それに、先日宇多丸さんのラジオで映画評をやっていてリスナーの方(教育関係者の方らしい)から「人の死を美化する描写については『最悪』としか言いようがない」なんていう意見もあり、これには「その通り」以外の感想を私は持てなかった。うーん、わかる。面白いんだけど辛いんだよね。

 

まあ、ついていけるところまではついて行きましょ。